利根町羽中(はなか)1431番地にある応順寺。
羽立山(うりゅうざん)と号し、初代教慶院釈清信により、
天正16年(1588)に開基された浄土真宗のお寺です。
八重咲きの名木「八ッ房の梅」があるなどとても美しいお寺。
小林一茶と親交のあった古田月船(げっせん)や
布川の書家杉野東山などの文化人の記念碑・墓などがあります。
所在地:利根町羽中1431 TEL:0297−68−3284
利根町中南部は探索がいちばん遅くなった地区で、コンテンツができていないところが多かったのですが、
その中でも、応順寺は早期に訪れ、比較的早い時期にコンテンツを作成しました。
マップ右端に立木新田の水神宮があり、これは利根町最東部か少し北の立木地区に入れたほうが妥当という感もします。
便宜上、中南部にも記しますが、その東の惣新田探索時に訪れて、すでに最東部マップを作成、そこに表記しています。
入口正面。
いつ訪れても、「美しい」という印象。
門の左に、羽立山応順寺。
右には、浄土真宗大谷派。
タヌポンはまったく無知で、
宗派などはちんぷんかんぷんですが、
京都にある東本願寺を
本山とする派のようです。
また東本願寺というのは通称で、
正式には「真宗本廟」というそうです。
いっぽう、東京都台東区には、
1981年に大谷派から離脱・独立した
東本願寺派の本山があるとのこと。
はあ、そうですかと
答えるしかないのが悲しいかぎり・・・。
門の裏を見てみると、建立日が記されていました。
平成9年(1997)5月建立。第17世 釈雅弘代 とあります。
浄土真宗といえば、親鸞、と習いました。
門を入った左手のすぐ裏に親鸞聖人の碑が建っています。
生誕800年、立教開宗750年を記念したもの。
昭和48年(1973)に、第16代住職により建立。
親鸞聖人は承安3年(1173)生まれということですから、
1173+800=1973 ぴったり符合しますね。
さて、応順寺へのアクセスですが、タヌポンの場合、布川から取手東線を東に行き羽中の交差点を右折しました。
でも、少し手前に広い通りが南に通じていますので、そこを利根浄水センター方面に向かうほうが分かりやすいですね。
途中で、以下の写真のように応順寺参道入口の目印がありますので、そこを左折すればOKです。
左の写真からまっすぐ奥に進むと寺があります。さきほどの門の前に続く参道になります。
右はその参道入口の位置から後を振り返ったところ。一面がたんぼです。

境内に入り、正面に見えるのが本堂。
応順寺の由緒としては、
初代教慶院釈清信により、
天正16年(1588)に開基。
寺宝として、「御絵伝」があり、
これは宗祖親鸞の行跡を描いたもの。
11月初旬に開催される報恩講にて
一般公開される、とありますが、
訪ねたことはありません。
写真など撮らせてもらえるんかしら?
左は、本堂の篆額。
門に書いてある「羽立山応順寺」をしっかり頭にいれていれば、
これが「羽立山(右から)」と書かれていることぐらい
すぐ分かりそうなものなのに、
タヌポンは最初、山の字を「坐」なのかなと思い、
また「立羽」を「翊」なのかなあと勝手に推測し
「翊坐」っどんな意味?と頭をひねっていました。
三国志で呉国の盟主孫権の弟に孫翊という武将がいて、
その翊の文字がやたら印象に残っていました。
応順寺を訪れた当時、光栄のシミュレーションゲームの三国志に
はまっている最中だったのです。おっと、また脱線しました。
この篆額の文字も、布川の書家杉野東山が天保10年(1839)6月17日付で記したもののようです。
杉野東山をその門弟たちが祀ったという「筆子塚(ふでこづか)」があると町史に書いてあったのですが、
どこなのかよく分らないので思い切って寺の方(ご住職かも?)に聞いてみました。
そのときに、篆額の文字の読み方も教えてもらいました。杉野東山等は後で紹介します。
本堂脇の石段左にある大岩。
庭園作りに欠かせないものですが、
タヌポンのような下賎なものには、
これ、高いんだろうなあ、と。
運び賃だけでもたいへんだし、なんて。
自宅にもほしいですが、
ネコの額の庭にはとても置けません。
これも、本堂脇に建てられていたものですが、あれっ?おかしいですね。
左が、2005年当時のもの。下が、2011年に撮ったもの。
位置は同じですが、変わっていますね。
左は・・・7重の塔?右は・・・13重?
十三重の塔といえば、昔学生時代に一人旅した奈良の談山神社を思い出します。

さて、境内入口にもどって、
門から入るとすぐ前の左手には、
ミニ石庭のような感じで、
石の縁台が置かれています。
ちょっと座るのがもったいない気がしますが、
まだ少々寒い時期で冷たそうだったからも少しありますね。
縁台の左手前に立っているのが、水子供養塔。昭和61年8月建立。タヌポンには幸いにも縁のない塔です。

水子供養塔の左隣りには 利根七福神 のひとつ。
応順寺では、不老長寿の神様、寿老人が建てられています。
寿老人・水子供養塔の後方にある鐘楼。正覚(しょうがく)という文字が見えますが、これは仏の悟りという意味ですね。
無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)の略で、「覚り」を超える、仏の真の「悟り」ということです。うーん、難しい話。

ところで、応順寺を最初に訪れたのが2月、そして3月で、梅を見るには絶好の時期だったのですが、
八重咲きの名木「八ッ房の梅」があるとは後で知ったことでした。
とても美しい梅の写真を撮ってきましたが、どうも以下はすべて「八ッ房の梅」ではないことが分かりました。
本堂の右手奥のほうにあるようなのですが、ちょっとお寺のかたの了解なしには入りづらい感じです。
いつか機会があればと思いますが、咲く時期は、どうなんでしょうね。


4月に再度、訪れたときこんなモミジも見つけました。常時、紅葉している種類?
下はウメノキゴケみっしりの梅。境内の樹木草花はとても手入れが行き届いています。



門を入って右手の奥へ回り込むようにして進むと、塀を背にして古田月船(ふるたげっせん)の石碑が2つ立っています。
左が月船碑。句碑ですが、月船のかんたんな説明文も。右は墓碑ですが、左側面にも月船の句が彫られています。
月船は布川の問屋の隠居ではないか、と柳田國男が推測していますが、それが事実かどうかは分かっていないようです。
とにかく小林一茶と親しく、江戸にも名を知られた風流人だったようです。
右側にある墓碑の向かって左の側面には、
花守が
余所(よそ)の花見る
月夜かな
の句が刻まれています(写真右)。
五水庵と名乗っています。
天保8年(1837)正月2日、
81歳でこの世を去りました。
子がいなかったのか
いまは無縁仏となっています。
辞世の句は、
花の春
八十一年の
めし(飯)としる(汁)
本堂前から左手の方向に進んで突き当たると、小高くなったところに「東山碑」と「亀趺墓」が立っています。
杉野東山は、明和6年(1769)布川に生まれました。東山は号で諱(いみな、つまり本来の名前のことです)は利恭。
生業は搾油でした。当時、菜種油を絞るのがとても繁盛していたようです。
碑には、性格が正直で飾り気がなく見栄を張らず、また人を笑わすのも得意だったというようなことが書かれています。
最初は趣味として習字をとくに好み、50歳になってから家業を子息につがせ、もっぱら書道三昧の生活に入りましたが、
達筆の名声はたちまち上がって子弟は800人余りにも達したといいます。
さて、下の写真の左が「東山碑」ですが、台座には門人弟(もんにんてい)と記されています。
讃岐の人、河田興がその碑文を撰し、「門人相謀りて金を醵し、石を立て以って不朽を図り文を余に請う」とあります。
これは、いわゆる筆子塔(塚)といわれています。
注)「醵し」とは難しい言葉ですが、醵す・・・「きょす」と読み、お金を集めることを意味します。
上記でほぼ筆子塔(塚)の意味は分かると思いますが、以下、念のため。
筆子塚とは、江戸時代に庶民の教育機関であった寺子屋や家塾で、読書算や実務教育を教わった教え子が、師匠が死んだ際にその遺徳を偲んで、自分たちで費用を出し合って建てた墓である塚、または供養塔。明治に入ってから建てられた例もある。師匠塚・筆子塔・筆子碑という場合もある。(Wikipedia)

「東山碑」の隣には杉野家の墓があるのですが、この台座はとても珍しい亀の形をしています。
これは亀趺(亀石)墓と呼ばれるものです。しかし、これを見ていると何かちょっとした違和感を感じませんか?

これが、亀?なんて思いますよね。体はともかく、顔というか頭というか、どうもどこかちがうような・・・。
そう見える原因は・・・。この亀には、ふつう無いはずの「耳」があるからです。
神社には狛犬やキツネなどさまざまな動物が神の使いとして飾られています。
この神の使いを「眷属(けんぞく)」と呼んでいるのですが、そのなかには亀も含まれていて、
そういう場合の亀には、なぜか「耳」がついているというのです。
応順寺は神社ではなくお寺なのですが、この亀もそうした眷属の一種なのでしょう。
ところで、東山の弟に「嵩雲(すううん)」という画家がいて、布川の 琴平神社 にその絵馬が奉納されています。

左が杉野嵩雲が描いた「水難救助図」の絵馬。琴平神がおぼれている子供を救う様子が描かれています。
嘉永4年(1851)琴平神社に奉納されたものです。
右は同じ琴平神社に奉納されている「搾油図」の絵馬。当時の搾油作業が生き生きと描かれています。
しかし、この「搾油図」が杉野嵩雲作とは「利根町の絵馬展」のパンフレット※には明記されていません。
でも実家が搾油業であるなら嵩雲の絵である可能性は高いのではないでしょうか。
どちらの絵馬も利根町の有形文化財に指定されています。(※利根町教育委員会編集発行 2005年02月開催時配布)
前にも記しましたが、応順寺には、寺宝として宗祖親鸞聖人の行跡・一生を描いた「御絵伝」がありますが、
11月初旬に開催される報恩講で一般公開されるということです。
あと阿弥陀如来立像も安置されているということですが、どうしたら見られるかは不明です。
名称は「利根浄化センター」正確に言えば「茨城県利根流域下水道事務所」
所在地は〒300-1622 茨城県北相馬郡利根町布川3番割 TEL: 0297-68-3301
URL: http://www.pref.ibaraki.jp/bukyoku/doboku/01class/class35/index.html
このコンテンツとは違和感があるし、
利根浄化センターの所在地は
応順寺のある羽中地区ではなく、
布川になるのですが、
応順寺から500mほど南下すれば
すぐの場所なので、
ここに掲載しました。
家庭で台所や洗濯、
トイレなどで使った水を集めて処理し、
きれいになった水を
川などに流すための施設です。
Webを見るまで知りませんでしたが
見学もできるようです。
ここでは桜の見所として紹介します。
下左は北東方面から建物を眺めたカット。右は無量寺方面から西方へ向かった場合。

花見もいいですが、敷地内にはこんな池もあるんですね。
これは敷地の東南の方角にあり、
敷地の外から回り込んで撮影しました。
タヌポンが見学するとしたら、
浄化センターとしての機能より、
こういう自然の風景を見たり撮ったりしたいんですが、
それではいけないんでしょうね。
(10/12/11) (09/03/05・09/04/07 撮影)
(11/02/10・10/12/10・05/04/26・05/04/23 追記) (05/04/19) (撮影 05/02/13・05/03/19・05/04/16・05/04/23・11/02/05)