タヌポンの利根ぽんぽ行 面足神社

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面足神社 目次


いったい「面足」と書いてみんなどう読みます?
めんそく、なんて言っちゃいますよね、ふつう。でも、それはなんかちがう気がするんだけど、
面を「おも」「おもて」とかは読めても「足」が読めなくて・・・。

「おもたる神社」というのです。
タヌポンの家族も最初、めんそく神社じゃおかしいね、と言いながらも
本当の名前がわかったいまも「めんそく」とそのまま呼んでいます。すみません。

しかし、いちばん最初にこの神社を訪れたとき(サイト構築以前)の印象では、
めんそくと読んだほうがぴったりくるような「おどろおどろしい」雰囲気があったのです。
とくに、入口から鳥居まで続く参道には周囲に雑木が生い茂り、
なんともぞくぞく感のある退廃的な空気が漂っています。
また、それまでにもうひとつ気味の悪いものを見つけていました。
知識があれば何ということも無いものなのですが、これはあとで。

そんなわけで、ここは利根町ではないのですが、
とくにタヌポン好みの気になるスポットなので紹介することにしました。
ところが、そう思って撮影しに出かけたとき、
辺りは、区画整理や公園化などで、すっかり変貌してしまっていました。
また、その後も、現在に至るまで幟の文字を撮影する機会に恵まれていません。
ちょっと残念です。もっと早く来ていたら・・・。


「まさか」というところにある神社

バス停 間坂

神社は取手から大利根交通、北方車庫行きのバスに乗り、
12、3分ほど進んだバス停で降りたすぐのところにあります。
写真の左手にあるのが停留所、
右手の青緑色のフェンスにそって奥に進むと神社に行けます。

このバス停の名前が「まさか」。

馬坂、と書きます。

これも何か、意味シンでしょ?
そしてこの辺りはは、数年前まではあることで有名?
になったところなんです。

それは・・・日本一狭い歩道のあるところ。TVか雑誌などで紹介されたのを偶然、タヌポンは発見しました。
なんのメディアだったかもう忘れたのですが・・・。

写真の手前にガードレールが見えますが、その脇がわずか50〜70cm程度の狭い歩道がずっと先まで続いていたのです。
また道の奥の右側は現在、コンクリートで保護されていますが前はこれがなく、
フェンスの脇はずっと雑木林のように樹木が植わっていたのです。
さらに、面足神社の入口はこの写真のもう少し手前右にあるのですが、そこには崩れかけた石の階段がありました。

それらを総合した雰囲気は、何かとても懐かしいような、またいっぽうで少々不気味な雰囲気を醸し出していたのです。
そしてついふらふらと誘い込まれるようにその階段を登って見つけた神社の名前が「めんそく」神社。
得体の知れない奇妙なもの、つまり前述の気味の悪いものにも惹かれて・・・。
これはなにか妖怪の出そうなタヌポン好みのスポットだったのですが・・・。

変貌した参道。ちょっと残念

いまは石段はなく・・・

平成8年(1996)にこの神社が火災にあったようです。
(原因はどうも落雷のようです)
それから6年たった2002年に新しい社殿ができると同時に、
参道脇の雑木を伐採したり奥の林に散歩道をつくるなどの
公園化整備が行われたようです。
もう少し取手寄りの交差点付近なども、すっかり区画整理されて、
きれいになってしまいました。

マスコミに歩道が狭いことを指摘されたことがきっかけなのか、
社殿の火災が引き金なのかわかりませんが、
面足神社は変貌してしまいました。

あのおどろおどろとした雰囲気はすっかり欠落してしまいました。

祭神と由緒

立て札

少し行くと以前はなかった立看板があり、
いま話したようなここ数年のいきさつも説明されています。

タヌポンがサイト開設したのは2004年秋ですから、
そのときには、すでに「あの雰囲気」も消失していた訳です。

面足神社は通称大六天と言われ、
祭神が 面足尊(おもたるのみこと)と書かれています。
永禄元(1558)年1月の創建です。

祭神の神々は基本的に「日本書紀」に記された表記を
用いることになっているということです。
つまり 面足尊 は日本書紀の表記です。

「古事記」には創世の神々の中で「神代七代」の第六番目於母陀流神(おもだるのかみ)とあります。
通称の 大六天 と言われるのはこの第六番目ということを意味しているわけですね。(狸の巻物、創世の神々参照)

興ざめのフェンス

参道

このフェンスはいただけないなあ。

前は両脇に雑木がいっぱいで、
まるで100年以上も過去に遡ったような、
なんとも言えない懐かしく不思議な雰囲気があったのですが・・・。

周りの樹木を切り払ったため、危険防止で
このような処置になったと思いますが、
「公園化」に向けてですから仕方ありませんね。

右手は農家か

右手は少し土地が低くなっていて
参道に平行して道がついています。民家も数軒見えます。
神社の氏子の皆さん宅なのでしょうね。

前は、雑木に阻まれてこんなには見えませんでした。

鳥居近辺

鳥居

面足神社鳥居 村社面足神社の石碑

鳥居が見えてきました。やはり前に来たときとは雰囲気がちがいます。とてもきれいに整備されています。
鳥居の前には「村社 面足神社」と記された石碑が立っています。村の守り神ということですね。
これらの石碑の位置も以前からこうだったのでしょうか。もっと雑然としていたような・・・。
さらに、上記は2005年時の写真ですが、それから1年後に再整備され、鳥居左脇のスペースも変化。
以下の鳥居の写真は2006年時。左側が上とは少々ちがいますね。ここから下に下りる階段も付けられたようです。

鳥居奥に社殿が

典型的な明神鳥居です。
鳥居の奥に社殿が見えます。

神額にもちょっと見にくいのですが
「村社面足神社」とあります。
額にも「村社」を付けるのは、
何かとくべつな理由が?

神額

怪しい影1

振り返って

鳥居を抜けていま来た道を振り返るとこうなります。

(あれっ?なにかいまおばあさんがいたような???)

石碑・石塔類

石碑・石塔類

鳥居の背後に各種の石碑・石塔類が 並んでいます。

鳥居にいちばん近い右端の塔は、
「鳥居再建寄付記念碑」とあります。
その2基隣りは庚申塔。
ほかは墓塔のように見えます。

庚申塔など

真ん中には大きな面足尊の石碑が建っています。おそらく背面に面足尊の縁起などが彫られて祠碑ではと思います。
左端には2基の石灯籠が並んでいます。安永8年(1779)3月に奉納されたもの。奥にも1基、石塔が見えます。
「石坂寄付」の記念碑で大正13年(1924)8月建立。石坂とは、前に入口にあった石段のことではないかと思います。

石灯籠2基と石坂記念碑 面足尊祠碑

周囲は杉林

社殿へ

少し前に進んで、社殿はもう間近ですが、
この周辺は杉林がすごいです。
ちょっとFlashで見回してみましょう。

余談ですが、「面足神社」は、
サイト開設初期のコンテンツで、
ここで初めてFlash制作にチャレンジしました。

→ 上記から10余年。FLASHの終焉時代を迎え、
制作しなおしです。
JQueryを用いて以下、スクロールスライドに。
(最初、読み込みに少々時間がかかります)

こんなところがあったのですね。
前のときは参道を通って古い拝殿をちょっと見ただけで
何か怖くて引き返してきたのですが・・・。

怪しい影2

面足婆

さて、社殿のほうへ・・・と。
ん? なんか背後に・・・違和感!だれかいるの?

近眼だし、よく見えないなあ。

・・・・・・・・・これは!

さっきちらっと見た老婆のようです。
なんか、ヤだなあ。先を急ぎます。

本殿とその周辺。裏にも道が・・・

新しい本殿

本殿

まだ新しいですね。
ピカピカしてます。

12月29日(2004)に降った雪が
5日経ったいまもまだ残っています。
ここは少し気温が低いんでしょうね。

読みにくい鳥居の神額のかわりに、
ここには新しい額がかかっていました。

額

新しい狛犬なども

狛犬

本殿の周囲には、比較的新しく設置されたものも、
いくつか見られました。
この狛犬も平成15年(2003)7月建立。
ユニークな顔?と思ったら逆向きでしたか。

愛宕神社

これも、江戸時代とかそんな古いものではないですね。
明治100年記念、昭和43年(1968)建立の愛宕神社の石祠。

そういえば、わが利根町には、
面足尊はむろん、愛宕神社の石祠はどこにもありません。

石仏・庚申塔など

ほかに、庚申塔の文字塔や、二十三夜の月待塔など、
仏教関連の石仏などもいくつか見られます。

いろいろ新しい建造物もありますが、やはり、
面足神社は、初体験のイメージが強烈だったので、
1558年からの自然の趣を大切にするのがいいのでは、
などと思いました。

本殿から鳥居への裏道

社殿裏手に道が・・・

おや、社殿の裏に道がついています。

ちょっと行ってみましょう。

それにしても、公園化されたというのに、
ここもだれもいないんだもんなあ。

というわけで入口の鳥居のところに戻ってきました。最初にこんな脇道があるのにはまったく気がつきませんでした。

梵字の幟

ポール

さて、1月3日にここに来たのですが、これには深い意味が・・・。
と、それほどではないのですが、
正月にこの鳥居脇のポールに昔、奇妙な幟が立っていたのです。

それはおそらく梵語で書かれたものだろうと思います。
毎年、正月にそれが立てられるようなので
今度ぜひ何が書いてあるのか写し取って
調べてみようと思っていたのですが・・・。
残念ながら今年は何もありません。元旦だけだったのでしょうか?

多分、おめでたいことが書かれているのでしょうが、
前にそれを見たときみんなの印象は第一感、呪詛の言葉でした(面足さん、ごめんなさい)

このコンテンツ冒頭で、「おどろおどろしい」と言ったのや、何か得体の知れない奇妙なものというのはこの旗のことでした。
当時は、鳥居もポールも、たしか入口の階段を登ったすぐのところに設置されていたと記憶しています。

ところが、この文字を意外なところで目にしました。さきほどの神社本殿脇にある石祠の中です。

石祠内部 梵字経典

ああ、これは、確かに前に見た幟に記されていた文字。ただ読めないので何がなんだか・・・。
どうも、仏教での種子とか真言などと呼ばれるものと思いますが、三王二十一仏を表すものとか、多数あります。
ここは神社なのに仏教関連のものがこうして石祠に納められているというのも不思議な感じです。
神仏習合ということでしょうが、仏教の経典などを納める人はこの面足神社とどういう関係になるのでしょうか。

いすれにせよ、この奇怪なサンスクリット文字が天空にはためいていると何か妙な気分になります。
古えの自然をそのままにし、それでいて何か得体の知れない「めんそく」という名の神社。
これは何か秘密があるのでは?などと勝手な想像を楽しんでいたというわけです。

まだその片鱗が残っていますので、皆さんもぜひ。

ポールと鳥居を抜けてふと左のほうを見下ろすと、さきほどちらっと目にした
平行道路の下からタヌポンをぢっと視ていました。急に風がざわざわと騒ぎ出します。
真冬とはいうもののそれほど寒いわけでもないのにぶるっとして、タヌポンは転げ落ちるように参道を降りていったのでした。

おもたるその後

富士見坂階段

面足神社とその周辺は、
取手市のライオンズクラブなどにより
どんどん開発されているようです。

ある日、神社の下の道路側から
鳥居方面へ続く階段(富士見坂階段)
もできていました。まもなく、
案内看板も立てられました。

下は階段を登ったところ
鳥居脇にある休憩所。

休憩所
参道

休憩所はまあ雰囲気はいいですね。
でも、参道(左写真)は舗装など
しなくてもよかったんじゃないか
と思うのですが、みなさんどうですか?

雨に降られると泥だらけになるから、
やっぱり舗装したほうがいいのかな。
敷石なら雰囲気ありますがコストが。

まあ、便利になるにつれ、
面足神社が当初醸し出していた
おどろおどろしい雰囲気は、
少しずつなくなりつつあります。

このことについては2005年6月23日付のColumbus Blog「厭魅(まじもの)」にも掲載しました。

柵がされている敷地

いま、tanupon の興味は、面足神社よりも、上記の富士見坂階段の左手にある敷地です。雑木が鬱蒼と茂っていて中が見渡せません。立ち入り禁止の意志表示があるだけで、2重の柵に鍵がかけられているので、ちょっと入って様子を見てみるというわけにはいかないのです。また地図で調べても面足神社を左から取り囲むように私道らしきものが表示されていますが途中で行き止まりになっていて、その先にも建物等はまったく表示されていません。かなりの敷地があるハズなのに何の説明もされていないのです。いったい何があるのか興味津々なのですが・・・。もしかすると、面足神社の右手もしくは裏手の道路のほうから探索するとなにか分かるかもしれませんが・・・。(まあ、どこかの企業の単なる資材倉庫というところでしょうが・・・)


(18/01/07・12/06/30 追記再構成) (10/01/25・06/09/10・05/07/16・05/02/11・05/01/30・05/01/29 追記) (05/01/04)
(撮影 06/09/10・06/06/19・05/07/16・05/01/08・05/01/03)