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神代の物語7. 国譲り

(くにゆずり)
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謎の多い出雲神話の終末、天孫降臨の前段階

神々の系譜はこちら。


  • この話は、天上界にいる天照大神高御産巣日神を中心とする天津神(あまつかみ)のグループが地上界に降臨するという、いわゆる天孫降臨(てんそんこうりん=神代の物語8で紹介)の前段階である出雲の国譲りのお話です。しかし、舞台が出雲なのに国譲り交渉した後に降臨するのが日向。これがよく分りません。
  • また古事記の神代編の約3分の1を占めている出雲神話であるにもかかわらず、当の出雲風土記にはこの地の王者ともいうべき大己貴命(おおなむちのみこと=古事記では大国主命)に関して、有名なその恋とか冒険の話が記されていないのです。例えば、あの因幡の白兎を助け、いろいろな試練を経て素盞鳴尊(須佐之男神)の娘、須勢理毘売(すせりひめ)とともに現世に帰り葦原中国の王者となる物語などがないのです。
  • この神話の成立にはいろいろな面で論議の的となっているようですが、ここでは多少の矛盾は学会等の先生方の研究をまつとして、とりあえず古事記の記述に沿って紹介しましょう。

天孫降臨、第1の使者

  • 天孫降臨をするにあたって、天照大神や高御産巣日神は、地上で天孫が治めるべき国を探しました。
    ちょうどその頃、出雲の地、豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきのながいおあきのみずほのくに)では、三貴神の一人、素盞鳴尊の子孫である大国主命国引きをして土地を増やし、豊かな国を造っていました。
  • これを取り上げ、天照大神は素盞鳴尊との誓約で生まれた子である勝吾勝勝速日天忍穂耳神(かつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと=天忍穂耳神)の支配すべき土地としようとし、彼を派遣しました。
  • しかし、天忍穂耳命は、天の浮橋まで行ってみると下界は荒ぶる神々がいる様子。これではとても近づけないと引き返してその旨、報告します。
  • 報告を受けた高天原の神々は合議の結果、まず、第1の使者として、同じ誓約で生まれた天之忍穂耳命の弟、天穂日神(=天菩比神、あめのほひのかみ)を派遣して「そこは本来、天忍穂耳神が治めるべき地である」との口上を伝えさせました。
  • しかし、こともあろうか、口上を述べた当の天穂日神がいつのまにか大国主神の家来になってしまい、3年たっても戻って来ません。
    注)どうしたのでしょう?あとの経緯をみると、大国主神はとても頭がよく魅力的な人物で、人物攻略が上手だったのかと想像できます。

天孫降臨、第2の使者

  • そこで再度合議の結果、第2の使者として今度はもう少し強そうな天若日子神(天稚彦=あめのわかひこのかみ)に天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)、天之波波矢(あめのははや)という武器を持たせて派遣することにしました。
  • ところが天若日子神も地上に降りると大国主命の娘、下照比売(したてるひめ)神と結婚、8年たっても音信不通というありさまです。
    注)なかなかの策士ですね、大国主神は。先の天穂日神もこの手にやられたのでしょうか。天若日子神はなかなかの美男子だったということで恋に盲目となってしまったのでしょうか。
  • たまりかねて天界の最高指令神の1人である高御産巣日神は、若日子神の使命を糾そうと、使者、雉の鳴女(なきめ)を送り込みます。
  • しかし若く血の気も多い天若日子神は、脇にいた天佐具売(あめのさぐめ)の殺してしまえという唆しもあって、使者、雉鳴女の胸を高御産巣日神から与えられた天之波波矢で射抜いてしまいました。その矢は天上まで飛んでいき、高御産巣日神の前にぽとりと・・・。
    注)天佐具売は、邪神、天邪鬼の原型ともいわれています。
  • 高御産巣日神は血に染まった矢を拾い上げると、「天若日子神に謀反の心、邪心があればこの矢に当れ」と言って下界に投げ返します。それは天若日子神の胸に見事に突き刺さりました。
    注)これを還し矢といい「還し矢畏るべし」という諺も生まれました。

天孫降臨、第3の使者

  • 天照大神と高御産巣日神は、やはり強い神でなければならないということで、第3の使者は武神として名高い武甕槌神(建御雷之男神=たけみかづちのかみ)を指名し、彼に名刀十握剣(十掬剣=とつかのつるぎ)を与えて経津主神(ふつぬしのかみ)とともに派遣、天鳥船(あめのとりふね)に乗せて出雲の伊那佐の浜へ下らせました。
    注)最初は経津主神のみの派遣で武甕槌神がこれに抗議したともあります。武甕槌神は中臣氏の氏神となっています。
  • 武甕槌神と経津主神はさすがに軍神、天若日子神のように軟弱ではありません。大国主神の前に進み寄り、波間へと十握剣の刃を上向きに突き立て、それを前にして胡坐をかいて「この国は天照大神の子が治めるべき国である。如何?」と大国主命を威圧します。
  • さて、大国主命は、「わたしだけでは決められない。美保の関にいるわが子の八重言代主神(事代主神=ことしろぬしのかみ)にも意見を聞いてくれないか」と言います。
    注)八重言代主神は、理性的で判断力がある神と言われています。そんな息子に聞けというのも道理ではありますが、父の大国主命もなんとなく狸ですね。(あっ、タヌポンという意味ではないですよ、念のため)
  • そこで武甕槌神は美保の関の事代主神を訪ねると、彼はあっさりと従うと言います。そして、乗っていた船をひっくり返して、天の逆手(柏手)を打ちました。すると船は青柴垣(あおふしがき)へと変わり、彼はその中に入って二度と出てくることはありませんでした。
    注)天の逆手とは呪いの拍手なのでしょうか。蒼柴垣(あおふしがき)についてはこの神事が現地にて毎年、4月に行われています。
    また、大国主命長男の事代主神は、出雲固有の神ではないのか出雲風土記には出てきません。かわりに大和の葛城に八重事代主神社があります。どうなっているのでしょうか?

武甕槌神と建御名方神

  • 武甕槌神は再び大国主神のところへ戻り「他に何か文句を言う奴はいるか?」と聞きますと、大国主神は「もう1人の息子、建御名方神(たけみなかたのかみ)にも聞いてみてくれ」と言います。
  • 建御名方神も千人がかりの大岩を軽々と持ち上げるほどの力自慢、承伏しかねると言って武甕槌神に力比べを挑みます。大岩をつかんで武甕槌神に投げつけると、負けじと武甕槌神も岩を投げつけます。この岩は、弁天島つぶて岩という名で現在も残っているということです。
  • 力はあった建御名方神ですが、互いに御手を取る引っ張りあいの格闘に移ると・・・武甕槌神は取られた手を剣に変えたり氷柱にしたりして幻惑し、最後には建御名方神を投げ飛ばしてしまいました。これは勝てないと建御名方神は逃げ出します。諏訪湖のあたりまで逃げ、追いかけてきた武甕槌神に国譲りを認めました。
    注)ちょっと情けない感じの建御名方神ですが、これも事代主神と同様、出雲風土記には出てきません。諏訪地方に伝わる神のようで、足長、手長の巨人を打ち負かした伝説が残っているということです。出雲国風土記と古事記・日本書紀の出雲神話にはけっこうちがいがあるのですね。建御名方神は全国諏訪神社の祭神となっています。

天孫降臨の代償、出雲大社

  • さて、武甕槌神もこれで目的を達したとして、再び大国主神の所に行って、さあどうすると尋ねます。
    もう仕方ありません。大国主命は、天日隅宮(あめのひすみのみや)すなわち出雲大社建造を引き換えに国譲りを承諾します。
    「現世のことは天津神に任せ、自分は幽界の支配者になる。180人の子供たちも事代主神に従って抵抗しない」
    と約束しました。
    注)一説には艶聞家、大国主神には181人の子供がいたとも言います。1人の差は?
  • 天照大神は承諾し、武甕槌神に立派な宮殿、出雲大社を建てさせ、高天原に復命させました。こうして出雲の地は天領となり、天孫降臨への基盤ができあがったというわけです。
    注)この神話にはとても政治的なにおいがします。何度もの使者による交渉や同意する側の親族の葛藤、そして代償としての広大な宮殿の造営。この出雲大社は東大寺大仏よりも大きな建造物だったのです。
    また、最初の使者、いわば裏切った反逆者である天照大神の第2子である天穂日命を大国主大神に仕えさせますが、その子孫は代々「出雲國造」という重要な役割を果たし、以降、出雲大社宮司の職に就いているというのも何か釈然としない、妙な感じもあります。
    出雲風土記と記紀との相違など、これらの矛盾点等がいつか解明されるときがくることを期待します。

(05/06/25)

神代の物語8. 天孫降臨(てんそんこうりん)へ続く。