タヌポンの利根ぽんぽ行 白山神社

狸囃子のきこえる家TOP・探訪目次>白山神社

白山神社


白山神社は布川地区の西、南北に長く伸びた四季の丘の南にあります。
四季の丘は利根町でも比較的新しく整備された街区です。
この新興住宅地のなかほどにも大師堂と庚申塔のある一角を見つけました。(後述)
区画整備のときに点在していたものをここに集めたのではないでしょうか。

なお、最初の訪問時より2年後に再び訪れると、白山神社は様相が一変していました。
当初は、ブロック積みの囲いのなかに本殿の石祠が置かれた素朴なものでしたが、
立派な本殿が新築されていました。同時に、全体の敷地の柵なども整備されなおした様子です。

タイトル画像は2画像のjavascript処理をしていますが、IE以外では固定1画像のみの表示となりますので、以下、2画像のミニ画像を再掲します。
左が旧白山神社本殿、右が新しい本殿です。(クリック拡大できます)

旧白山神社 新白山神社

布川地区マップ



白山神社

鳥居・全容

白山神社

5つの道路が交わる交差点ですが、往来も少なく、見通しも悪くはありません。信号もありませんしね。
その南の一角に白山神社があります。
神明系の鳥居(鹿島鳥居か?)が立っています。背後にはブロックで囲まれた石祠が見えます。
下は当初訪問時の外観(クリック拡大できます)。

旧白山神社


本殿・石祠

白山神社

白山神社は「はくさん」神社と思いますが「しらやま」神社だとしても不思議はありません。
それもそのはず、総本社というのが石川県鶴来町にある「白山比盗_社」で、これは「しらやまひめじんじゃ」と呼びます。全国には2700社余りの白山神社・白山社があるということです。

祭神は全国共通の「菊々里媛命(くくりひめのみこと)」。
創世の神話のなかで、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、その妻である伊邪那美命(いざなみのみこと)の赴いた黄泉国から逃げ帰ろうとするとき、黄泉平坂(よもつひらさか)という場所でその逃走を助けた姫神というのが菊々里媛命です。(狸の巻物 神代の物語2. 禊祓[みそぎはらえ]参照)


旧白山神社

左は最初の訪問時の本殿で石祠が直に見えます。 この本殿の石祠に「白山」の文字が記されていました。(下左写真)
由緒沿革としては、もとは布川字中戒善寺(廃寺)の隣に鎮座。文政7年(1824)の大火で現在地に移設。明治13年(1880)石祠が再建されたとあります。祭礼は10月25日。(町史より)
石祠の裏にはたしかに再建の日付が記されていました。明治13年9月ですね。(下右写真)
現在は、新築の本殿内におそらくこの石祠が祀られているのだと思いますが、
勝手に扉を開けて見ることはできないようです。


石祠 石祠

参拝記念碑?

参拝記念碑?

ミニ遊園地のブランコの前に1基だけ、参拝という文字が読める記念碑らしい石碑が建っていました。
何を参拝したのか、誰がいつそうしたのか、分かりません。



(07/11/30追記再構成)(撮影07/08/19)
(05/11/15)(撮影05/07/17・05/08/20)


谷原集会所と大師

谷原集会所

白山神社再訪問時に本殿の新築に加えてもうひとつ発見したのが近隣の集会所。
小路を入ったところにひっそりと建てられていました。



大師

集会所の脇に大師堂が見つかりました。番号はついていません。

谷原集会所の大師 谷原集会所の大師像

(07/11/30追記再構成)(撮影07/08/19)


四季の丘の大師と庚申塔群

大師と庚申塔群

利根町は大きな国道や繁華街が少なく、したがって信号も多くはありません。
そんな数少ない信号機が、わずかの距離に2基も並んで付けられている交差点のひとつ、その片隅にこれらを見つけました。
道路整備で仕方なく生じたような3角の利用価値の少ないスペースです。
四季の丘という団地を作ったときに、昔からその地区に散在していた庚申塔をこの1ヵ所に集めたという感じです。



大師

大師堂

ここにも大師がありました。クリックすると像が見えます。
番号は見当たりません。



庚申塔群


大師堂の右脇から背後にたくさんの庚申塔が見えます。
すぐ右脇のものは天皇陛下即位の礼を記念して平成2年(1990)に建てられたもののようです。(下写真左)

庚申塔 庚申塔

全8基、円を囲むように並んでいます。

庚申塔群

(05/11/15)(撮影05/07/17・05/08/20)