![]() 利根町の中央を南北に走る千葉龍ヶ崎線の北東部にある住宅街のもえぎ野台。
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北側の通路にある入口から入るとお墓の右手にお堂が2つ並んで建っているのが見えます。
正面に立ってみると上の写真のようになります。お堂の左右にたくさんの石塔が建てられています。
ちょっと、「どうしてなのかな?」と思うことがありましたが、ここに関する史料等がまったくないので分かりません。タヌポンの推測の域を脱しないのですが、思いつくままに・・・。
なぜ大日如来と阿弥陀如来だけをとりあげてお堂を造ったのでしょうか?
というのは、以下の写真で分かるように堂の中をのぞくと真新しい「ご本尊様?」が祀られています。古い石祠や石塔が入っているなら分かるのですが・・・。もしかすると、ここの所有が何か大日如来および阿弥陀如来と密接に関連する宗派のお寺だからということなのかも知れません。タヌポンは宗派のこともまったく疎いので分からないのですが・・・。
ここにあるたくさんの石塔にしても、これらのほうは年代物らしく風化していますので、供養塔らしきものや庚申塔・仏塔いろいろあるようですが、詳しくは分かりません。
ここでは、写真を見ていただくしかありませんね。

これは向かって右側にある大日如来堂。
さて、大日如来とはなんぞや?ということですが、これを簡単に説明するのはたいへんです。
説明の言葉ひとつひとつにまた説明の必要が出てくるわけでありまして・・・。
タヌポンみたいに何も知らないモノが理解するには時間を要しますね。
でもそんなことを言ってるといつまでも分からないので少しずつ勉強してみましょう。
えーーと、まずは要点を箇条書きにしてみます。
と、こんなところですか。分かります?大乗仏教って何?法身仏って?マンダラ????もう、際限がありませんね。でも、少しずつ。とくに試験はありませんので気楽にたのしくやりましょうね。

向かって左側の阿弥陀如来堂。
えっ、阿弥陀如来って何?
仕方ありませんね。また調べてみますか。どれどれ・・・。
とまあ、こんな感じです。タヌポンの実家は浄土真宗なので(タヌキ教ではないですぞ!)そう言えば亡くなった祖母が「南無阿弥陀仏」とよく仏壇にお経をあげていましたね。タヌポンはお経などあげたことない「罰当たり」です。知らないし仏壇もないからあげられませんです。

上の写真左は、阿弥陀如来堂の左にある石塔8基。右は大日如来堂の右にある5基。
→ 石塔8基と記しましたが実は9基。この下で紹介した妙な形の石塔は、この前から2列目の真後ろに隠れていたものでした。(06/07/29追記)

阿弥陀如来堂(左)と大日如来堂(右)との間にある石塔群。15.6基ほどありますが、数えたメモを紛失しました。再訪問して正確に数えます。→ なんと21基ありました。右列から順に、4、5、6、5、1の計21基。最後の1基はこの写真では陰になって見えませんね。(06/07/29追記)
近くまで来て見てみないと、背後に隠れたものを見逃してしまいますね。下左は堂の裏手を横から。右は大き目の石塔に囲まれた背丈の低い石塔。なんか妙な形ですね。

(06/07/29・06/07/09追記)(撮影05/09/17・05/05/05)
もえぎ野台団地の中央には貯水池のような調整池があるのですが、いつもほとんど水はないような状態です。
この調整池の西と南にこんもりとした塚があり、それぞれ「かぶと塚」「よろい塚」と呼ばれています。
右のFLASHは、調整池(北)から左方(南)によろい塚、右方(西)にかぶと塚を眺めたところです。
この2つの塚にはこんな言い伝えがあるそうです。
(利根町史・関口秀明氏談)
この話はなんだか崇徳上皇、菅原道真と並んで日本の三大怨霊と言われる平将門の首塚(所在地:東京都千代田区大手町1−1−1)を連想させますね。
調整池とかぶと塚の間に自然公園がありますが、かぶと塚へと登れる道はとくにないようです。

下左はかぶと塚。塚の上に何本かの木が立っているのが目印です。
よろい塚のほうにはなにか草むらを掻き分けていけば登れそうな気配がする場所(下右写真)がありましたが、ちょっとその気にはなれませんでした。

かぶと塚(左)とよろい塚。(クリック拡大できます。06/09/24撮影)
横須賀方面から北向き(かぶと塚)、東向き(よろい塚)に見た眺めです。


もえぎ野台の北の千葉龍ヶ崎線寄りに「庄兵衛台住居跡」と呼ばれる遺跡?があるような案内が、これも蛟もう神社内の案内看板に出ていました。
写真のちょっと奇妙な空き地が地図上では該当していそうなのですが、結局は不明のままです。
古墳跡地のようなのですが、これがそうだとは見えませんね。
庄兵衛何某という人もどういう人なのかの資料もまだ見つかりません。
タヌポンはまだ地元や教育委員会の方がたに知己はほとんどなく、お尋ねする機会がないのでいまいち記述が浅くならざるを得ません。しかし、独力でできるだけ調べてからいつかお尋ねできればと思っています。すべてを最初から教えてもらい識ってしまうより、「これは何だろう?」とか「こうなっているのはなぜだろう?」と推理するのも楽しみだからです。読者の皆さんには完全なるものを最初は提供できませんがご理解ください。
☆弟橘媛の櫛塚(通称だんご塚)・倭建尊(やまとたけるのみこと)の伝説については
タヌポンの利根ぽんぽ行「龍ヶ崎南高校近辺」に移転しました。
(06/07/09・05/12/06追記)(05/04/26)(撮影05/07/18・05/03/13・05/02/26)