タヌポンの利根ぽんぽ行 利根町の鎌倉街道−1

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利根町の鎌倉街道 目次



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鎌倉街道。
そのようなものがタヌポンの棲む利根町にあろうとはいままで思ってもみませんでした。
というより、鎌倉街道そのものの存在をいままで知らなかったのです。
蛟蝄神社 探索の帰路で「あれっ、これはなに?」と入り込んだワープゾーン。
それが鎌倉街道でした。
神社の案内看板でちらっと見かけただけなのにそのすぐあとで見つけられるとは・・・。

タヌポンにとって幸運だったのはそれが真冬の季節であったこと。
(その意味は後ほど分かります)
そして不運なのかどうかは分かりませんが、このテーマはあまりにも膨大で、
もし満足できるようなコンテンツをそろえるにはたいへんな努力が必要だと思います。
果たして怠惰で浅学なタヌポンにそれができるのかどうか。
そんな重い課題を抱えてしまいました。
でも少しずつ、探索していきたいと思います。

鎌倉街道って、いったいなに?→ 鎌倉街道 序 参照。


鎌倉街道地図

利根町の鎌倉街道マップ

鎌倉街道は利根町の北東・文間地区にあります。利根町は広いのでそこまで行くことはいままでありませんでした。
この未知の道に出会ったのは 蛟蝄神社 探索の日。
神社は上の地図の東方にあり、そこから文間小学校近辺を経由して、帰路である西のもえぎ野台方面に向かっていました。
その途中、八幡宮の前あたりまできたときです。その入口がぽっかりと開いてタヌポンを誘っていたのです。
(参考:利根町全体図

右か、左か

鎌倉街道入口

この光景を目にして人は何を思うでしょうか?
右と左。それぞれに何かしら奥に誘う怪しい気配がしませんか?
タヌポンも思わず足を止めてしまいました。そして迷いました。
迷いはふたつ。

  1. ここに入るか入らないか
  2. 入るとしたらどちらから入るか

どうして迷うのか。
ここに入ると何か膨大な未知の世界が待ち受けているような気がしました。
ここにくるまでに 蛟蝄神社 などでいろいろ写真を撮ってしまって、もうデジカメのバッテリもメモリも乏しくなっていたのです。
ここに入ってしまうと、残ったデジカメの余力では到底、一度では撮りきれないだろうという予感がしました。
しかし、すべてを後日にというのでは余りにも惜しい気がします。

こんなとき RPG ゲームのダンジョン攻略のクセが出てしまいます。
何となく「ボスキャラ」に遠そうな左のほうから先に攻略する、というものです。

これはまさしく正解でしたが・・・。

鎌倉街道入口遠景

鳥居が見えるほうの入口は、
後で調べて知った「八幡宮」境内で、
あっけなく探索は終わりました。
ちなみに鳥居にもどこにも
八幡宮の名は記されていません。
何か別のことで調べなければ
何も分からないというのが現実です。

八幡宮で軽い探索を終えて
日を改めて次回は右の「洞窟」を、
などと最初、考えていましたが、
あまりにあっけなくて、
これでは物足りません。

八幡宮の内部から右に、
洞窟入口からの道に出られる
脇道を見つけて決心がつきました。

「とにかく行けるところまで行ってみよう」。

ところで、入口の立て札看板には「ハチにちゅうい!」とありました。
後で考えてみればハチもそうですが、マムシなどのヘビもとても怖い存在。冒頭でタヌポンが言った幸運とはこのことです。
この発見が春以降であったら、もしかすると入るのを断念していたか、もしくは危険な目にあっていたかも知れないのです。
それほど中は異次元の世界でした。
冬のこの時期は、危険な動物のことを気遣う必要はないのが救いで、
中に入り先に進む決心がついたのも、このことが少し要因としてはあったかも知れません。

先に八幡宮から紹介します。

八幡宮

八幡宮鳥居

ふつうの鳥居。
神明系ではなく明神系の鳥居です。
鳥居の種類はまた後日、調べて載せますね。

(→ 狸の巻物 鳥居の簡単な見分け方 参照)

八幡宮境内 八幡宮境内2

なにかよくわからないまま「ふーーーん」という感じで見ていました。
本堂もなにもありません。唯一写真に見えるのは石の祠(ほこら)というものでしょうか。
わたしより浅学なうちの娘もほこらという言葉は知っています。
ドラクエをやっていたからです。これではとてもほこれません(漢字はおそらく知らないでしょう)。

八幡宮は八幡太郎義家で有名な清和源氏の開祖、源義家に関わる神社で日本中にありますね。
ここだけがどうこういう言われはないように思いますがさてどうなのでしょう。


さて、上記は2005年3月、初訪問時の記述。それ以降、何回か来て、写真ももう少し撮りましたのでご紹介します。
当初、八幡宮とはどこにも記されていないと書きましたが、本殿の石祠の中に「八幡宮」と彫られていました。

鳥居と道祖神

八幡宮鳥居 鳥居脇の道祖神

樹木に少し隠れていますが典型的な明神鳥居です。コンクリート製。
左の柱の左斜め1mほど後方(この写真では見えませんが)、草むらに隠れるように道祖神(上右の写真)が建っています。
この道祖神は、寛政10年(1798)の建立。

境内・本殿

八幡宮境内

左写真で中央にあるのが
八幡宮の本殿の石祠。

その手前に見える石塔は御神燈で
左右に1基ずつあります。
これは天保5年(1834)の建立。

本殿の左隣りにある2基の石祠は、
別雷神社(左)と金毘羅大権現(右)。
どちらも八幡宮の境内社です。

八幡宮の本殿。明治19年(1886)建立。下右は八幡宮と彫られた本殿内部。

八幡宮本殿 八幡宮本殿

祭神は、誉田別命(ほむだわけのみこと)、つまり応神天皇ですね。全国共通です。
八幡宮の祭神はこの応神天皇と神功皇后および媛神をあわせて八幡三所の大神としています。
媛神を仲哀天皇または宗像三女神としたり、武内宿禰を合祀している八幡宮もあります。

応神天皇と神功皇后、応神天皇の関係は以下。数値は天皇の代。

日本武尊 ━┯━布多遅能伊理毘売命
      仲哀天皇(14) ━┯━ 神功皇后
            応神天皇(15)

???

これは、左の御神燈の背後にあったもの。何でしょうか?
灯籠などにある火袋だけがとれたもののようにも見えます。

別雷神社と金毘羅大権現

別雷神社と金毘羅大権現

左が別雷神社。「わけいかずち」神社と呼びます。
明治15年(1882)10月の建立。
底部に「四季講」と記されています。
京都の加茂別雷神社と同神を祀る神社です。
別雷神は上賀茂・下鴨両社の祭神である
建角身命(たけつねみのみこと)の孫であり、
同じく祭神となっている
玉依姫命(たまよりひめのみこと)の子と言われています。

ややこしいのですが、この賀茂の玉依姫命(たまよりひめのみこと)は、神武天皇の母である玉依姫命とは別の女神です。
また、建角身命は、神武天皇東征の際、紀州熊野から大和への道案内をし、八咫烏(やたがらす)の称号を受けた人物。
→ 本サイト「狸の巻物」 神代の物語10.神武東征 賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)の項目参照

右の石祠、金毘羅大権現は天保2年(1831)正月の建立。祭神は大物主命(おおものぬしのみこと)ですね。

神木?

大樹です。左は入口正面から。右は背後から。

神木 神木

この八幡宮境内の右手奥から鎌倉街道への脇道が出ています。
では、いよいよ、鎌倉街道、本線です。
地図上のルート1・2は鎌倉街道跡ではありますがふつうの道路です。道しるべのため後で紹介します。
本線はルート3以降です。

鎌倉街道ルート3攻略・・・入口の八幡宮から十字路まで

これは驚きました。こんな時代にこんなところがあったなんて。
行けども行けども道は途絶えません。また、タヌポン以外にひとりとして出会いません。
アスファルトなどもいっさいなし。唯一、人の手が入れられている痕跡は、「ハチにちゅうい!」の立札だけ。

ルートB入口左 ルートB右
鎌倉街道ルートB

途中、何度か引き返そうかと思いました。
戻れなくなってしまうのではないか?
そんな気さえしてしまう異次元空間です。
そして、とうとうある変化の地点に到達。
それは、またしても迷いを起こさせる四辻でした。

3方向の未知の路を前にして、
これは近日中にもう一度は来なければと思いました。

ご容赦ください

そもそも、鎌倉街道とは?という説明もまだしていませんね。これも、最初からタヌポン自体が調べなければならないことなわけです。そういうことで不備はご容赦ください。→ 鎌倉街道 序 で「鎌倉街道とは」を説明しました。

十字路までのポイント

広場

入口・八幡宮から200mほど行くと立札が立っているところに出ます。この左手がちょっとした広場になっています。
立札に広場の説明などしていないところがいいですね。あまり親切すぎるのも探索意欲がそがれます。
道との境界に丸太が何本か置かれています。人工的な石の柵なんかでないところもまたいいですね。
タヌポンは整備された公園のあの茶色に染めたコンクリートの椅子や柵などが大嫌いなのです。
樹木がまばらに立っていますが、人の手が加えられたという感じは少しあります。いったい何のための広場なのでしょうか?
見渡しても奥には何もなさそうなので入っては見ませんでしたが、もしかして細い道などが隠されているかもしれません。
調べるのはヘビが冬眠しているいまのうちですが、先を急ぎました。

左に立札のある広場 立札と広場

苔むした樹

もうしばらく行くと右手に苔むした・・・何の樹木かは分かりませんが・・・立っていました。
街道脇は基本的には竹やぶかまたはスギが多いようですが、この樹はスギではないようです。

タヌポンは、昆虫なら少しはわかるのですが、あまり植物・樹木の名前にくわしくありません。
花が咲いていないと桜なのかなんなのかも見分けがつきません。

苔むした樹木 苔むした樹木

上左は2005年の2月、右は2年後の2007年5月。
同じ樹と思いますが、苔や周りの竹の様子が変化していますね。(10/12/16追記)

熊笹

熊笹

左手にクマザサが見え出したら四辻はもうすぐという感じです。
クマザサを見るのは久しぶりだなあと思っていましたが・・・。
ちなみにタヌポンは熊笹と覚えていましたが隈笹が正解。
冬に葉の縁が白くなって隈取りがなされることから
その名がついたとあります。
冬眠からさめた熊が食べる笹だと思っていましたが・・・。
ササ、ドウゾって具合に。

お酒はいいなあ

ふーーん、冬場だけ?
夏はふつうの白い縁取りのないササになるわけ?
(タヌポンもササが大好きです=ササとは酒の古語)

十字路

左手にクマザサ、右手に小さな祠のようなものが見えてきたら・・・
十字路です。

交差点1

とうとう交差点、十字路にやってきました。今後、これを便宜上交差点1と呼びます。

当然、左右、見回しますよね。これはまるで3Dダンジョンです。

直進方向は・・・

直進方向

これです。
先に道が続いていますが、
右方向に曲がっているので見通しが悪く
どれだけ続いているのか分かりません。

右を見てみます

右折方向

これは少し先で、左方向に曲がっています。
が、同様に見通しが悪く、予想がつきません。
いくぶんか下り坂のようにも見えます。

Wizardry だと振り向いたこのあたりで Encount になり、
レベルアップした新手の魔物にてこずりかけるところですが
・・・なにも現れません。

( Wizardry が分からない方に・・・アメリカ産元祖 RPG [ロールプレイングゲーム]のひとつ。ドラクエはこの Wizardry とウルティマを基本とした日本の RPG 。Encount とは魔物が現れて戦いになること。レベルアップ・・・とは新場面で敵も強くなっていること)

さて、左は・・・

左折方向

おっ、何か見えます・・・鳥居のようです。
いやあ、これははまりますね。不気味です。まるでクエストです。
いまならスライムぐらいなら倒せそうです。

あっ、しかし、もうバッテリーがわずか。
メモリーカードも残りが1〜2枚程度。
もう引き返して宿屋に泊まり
HP はともかく MP を回復しなければなりません。
( GAME を知らないあなたでも何だか少しその楽しさがわかりませんか? MP とはマジックポイント。魔法を使うためのエネルギーという意味です。HP はホームページではなくこの場合ヒットポイント、つまり体力です。えっ、スライム?とても弱い魔物です。ザコキャラといいます。ここのバナー写真 に出ているやつです)

でも、ムリして進むところがタヌポンです。
(現実の世界はリセットはできないのですが、そのかわり魔物に出会って死んでしまうことも少なめです)

これはまあ、見通しがつかない直進や右折方向より、目先のお宝を取りに・・・
(撮りにと言い切れないのがいまはつらい!)行くのがセオリーというところ。

前の道を振り返って見ると・・・

交差点1

あれっ、先ばかり焦って見ていたけど
なんかありますよね、近くに。


タヌポンお奨めの RPG


道祖神

道祖神

交差点手前から右のコーナーに見えていた祠がこれ。
道祖神とあります。

タヌポンは最初、どうそしんと読んでいましたが
「どうそじん」と濁って読むのが正しいようです。
また、「さえのかみ」などとも読むことができます。
災いや悪霊などを防ぐ神様で、
旅の安全を守る役割を果たしています。
猿田彦神と同様です。縁結びや出産の神とも言われます。

庚申塔

庚申塔など

左のコーナーにはクマザサをバックに庚申のお三方が・・・。
右から庚申塔。
真ん中には、青面金剛(しょうめんこんごう)とありますが、
これは庚申のご本尊さまで三尸(さんし)の虫を
追い払ってくれるというものです。
(メインサイト 「狸囃子について」の「鏡花と狸囃子」注釈 参照)

左は・・・と、おやここにも猿田彦大神が。
道祖神といっしょに旅の安全を守ってくれているのでしょうか。

仏教、神道、それに道教も加わって、どうなってるのという感じ。
何が何だかよくわかりませんね。

きみたちのせいでもう MP(バッテリー) ゼロだけんね・・・タヌポンは使えないデジカメを捨てた(おっとっと)。
が、思い直してまた拾った。

交差点1からの進路選択。戻るか、進むか

戻るか、進むか

episode

入口に立看板

入口看板

初めて訪れたときからわずか2ヵ月後、
入口の鳥居前に鎌倉街道の案内立看板が設置されました。
最初からこれがあれば分かりやすかったのですが・・・。
でも、なかったおかげで探検気分を味わうことができました。

→ 何年か後に再訪問したとき、
「中世の道、鎌倉街道」の旗も立っていました。
利根町の鎌倉街道をPRするのは大切なことだと思いますが、
現地では入口に1本立てておけば十分ではないでしょうか。
クルマのディーラーのように何本も立てるのは、
個人的にはちょっとひいてしまいますね(笑)。

要所を再撮しようと思って行くと大事なところに旗が立っていたので、しかたなく撮影を断念したりしました。
鎌倉街道に限っては、タヌポンは周りの自然とあまりそぐわないものは必要最小限にしてほしいなあと。勝手ですね。


(11/01/26・10/12/24・10/12/16・06/06/18・05/03/26・05/03/05 追記)
(撮影 05/02/11・05/02/26・05/02/27・05/05/02・05/07/03・05/09/17・06/09/16・07/05/05・07/05/26・07/08/19・09/03/27・10/12/23)