タヌポンの利根ぽんぽ行 やじり塚と笠貫沼

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更新経過

やじり塚で昔見つけた石塔が、その後、見えなくなりました。
生い茂った潅木・雑草等に隠れてしまったようで、
やはり存在していることを聞き、石造物データベースに掲載すべく再調査を。(16/06/21)


当初のコンテンツ制作から約6年経過し、その間、ときどき訪問し、
追加で写真を撮っていましたが、それらを含めて、再構成し直しました。(12/05/15)


蛟蝄神社奥の宮から東に向かい県道立崎羽根野線を突き抜けると、
あたりは一面が田畑で、一気に見晴らしがよくなります。
この先にちょっとした見所が2ヵ所あります。

それが、やじり塚と笠貫沼。
これらには面白い伝説が残されています。

やじり塚は大房地区なのですが、笠貫沼は所在地的には立木地区の管轄になるようです。
でも、笠貫沼に伝わる興味深い伝説は
この地「だいぼう」の名前の由来にもかかわっていますので、この項目に入れました。(05/05/28)


利根町北東部マップ

元・河内屋堤

蛟蝄神社の門の宮・奥の宮の前を通る細道を東に抜けると、広々と一面が見渡せる交差点に出ます。
南北に県道が通っていますが、まっすぐさらに東の方角を見ると、田んぼの中を突っ切る道が通っています。
この道はもとは新利根川の左岸堤で、寛文(1661〜)のころ工事を請負った人の名から河内屋堤と名付けられました。
新利根村には河内屋治兵衛がヘドロの上に堤を築くという難工事に四苦八苦した話が伝えられています。(13/07/19 追記)

さて、300〜400m前方左手に、何か樹木が植わった塚のような台地が見えます。もっと進んで見てみましょう

やじり塚を望む やじり塚

やじり塚

やじり塚近景

これは、「やじり塚」と呼ばれています。

やじりとは弓矢の鏃(やじり)の意味。
でも、塚の形は、どう見ても
やじりには似ていませんね。
どうしてやじり塚と呼ぶのでしょうか。

これには、命名の由来となった、
以下のような伝説があるのです。

やじり塚とお大平さま

やじり塚正面

ここから3kmほど離れた西に、
大平神社 という名の神社があります。

同名のコンテンツでも紹介しましたが、
その神社自身の名前の由来にもなり
興味深い伝説をもった人物である
「お大平(だいへい)さま」が、
実はこのやじり塚の名前にも
関係があるというのです。

大平の五十嵐五郎氏の話では・・・。

お大平さまは体格に優れ力持ちでとくに狩猟を得意としていました。
ある日、狩りのときの彼の流れ矢が隣村の立木村を飛び越して
笠貫沼 (次の項目で紹介します) の北側の野原に突き刺さってしまいました。
矢は篠で作ったものだったので、その後、やがてそこから根が出て芽をふき、矢篠が繁って塚ができました。
そこで、この塚を人びとは「お大平さまのやじり塚」と呼ぶようになったということです。(利根町史より)

かずかずの お大平様伝説 をもち、一説には守永親王(1328〜1397)とも推定されている人物。
お大平さまとは、真実のところいったいだれなのでしょうね。タヌポンはますます興味が湧いてきました。
でも、この伝説自体は、一度加工した鏃の矢篠が地に刺さって、果たして再び繁るものなのかとか、
現存しているやじり塚には、篠竹などなそさうに見えることなど疑問が・・・まあ、細かい話です。
要は、3kmも矢を飛ばす、怪力・神業のお大平さまというコンセプトのエピソードですから。

善畜禅定門の墓碑

塚の上に、以前は2基の石塔が建っていました。小さなものは何か不明ですが、像が彫られたものには文字が見えます。

善畜禅定門の墓碑 善畜禅定門の墓碑

上とは別の写真では「善畜禅定門」と彫られているように見えますが、これはいったいどういう意味でしょうか。
造立は、宝暦12年(1762)4月21日のようです。庚申塔の青面金剛のような像も彫られています。

「禅定門」(ぜんじょうもん)とは禅宗での戒名に付ける言葉のようですが、上が「善畜」ではなんとも不可解です。
この後に記したペットの墓と考え合わせると、大切にしていた動物の墓なのかと当初思ったのですが、それでも・・・。
こうした石仏を造立するには、それなりに費用もかかるでしょうし、動物のためにそんなに費用をかけるとは・・・。
「生類憐れみの令」がだされたころならもしかしてと思いますが、宝暦時代より100年ほど前ですし・・・。

それで、もういちど現物を調べてみようと、2012年に訪れたのですが・・・。

消失した善畜禅定門の墓碑

塚は、雑草がものすごく、登るのはたいへん(左写真)。
身重のタヌポンでは、踏む土も深く沈んだりして・・・。
それでも、なんとか草をかきわけて、塚の上に登り、
それらしいものを探したのですが、
石仏らしい色のものはまったく見当たりません。

仕方なく帰宅して、もういちど「善畜禅定門」
の意味合いを調べてみました。すると・・・

どうも、これは、あまりよくないものなのかもしれません。
動物ではなく、人間を差別して付けた戒名とか。まさか・・・。
真偽のほどはよく分かりませんが、
もしそうなら、破棄すべきものでしょう。

そういうタヌポン自身は、自分の戒名などにはなんの興味もなく、要らない(笑)とさえ思っていますが、
人を差別・蔑視したようなやり方のものなら許せません。そうした意味で、破棄・消失させたのなら納得です。
でも、真実は・・・やはり動物の墓で、盗難にあったとか、大地震で倒れてしまってよく探せば見つかるのかも・・・。

ペットの墓

現在、ここはペットのお墓になっているようです。タヌポンが最初に訪れたとき、ちょうど女子高校生とその母親が来て、
しきりに昔、ここに埋葬したらしい愛犬の墓を探していました。風化しにくい建て方でないと分からなくなるんですね。
下の「ミミの墓」と「いくぞうの墓」は残念ながら、彼女たちのお目当ての墓とはちがうようでした。

ミミの墓 いくぞうの墓
新しいペットの墓

上の写真の時期から約7年の年月が経ちました。
「ミミの墓」も「いくぞうの墓」も、もう見当たりません。

代わりにまだ建てて間もない新しいお墓が1基(左写真)。
草がぼうぼうの時期なので、
探せばほかにも隠れているかも知れません。

タヌポン宅のチョコ もいつかは・・・。
うーん、そんな悲しいことは考えたくない!

2016年再調査

根本さん情報」によれば、上記の2基の石塔はいまも存在している!とのことで、さっそく訪問してみました。
根本さんが潅木等を伐採するなど通り道を付けてくれたようです。感謝。下左写真が、道路から裏に廻っての上り口。
上り口から左手に行くと下右に。昔見たときと同様の姿で2基が立っていましたが、周囲の樹木の様相が一変していました。

上り口 石塔2基

馬頭観音塔

馬頭観音塔

遠目から見ると像容から庚申塔かと思いましたが、
近づいてみると明らかな「馬頭観音塔」でした。
歳月の流れは、少しタヌポンの知識も増やしてくれたかも知れません。

頭上に馬頭を戴いた像容は馬頭観音ならではのもの。1面8臂です。
庚申塔青面金剛は、6臂が多く8臂は見たことがありません。

胸の前で両手で何か印をふんでいるようですが、
馬頭観音特有の小指と中指を立て馬の口を模した「根本馬口印」ではなさそう。
ほかの手には刀剣や弓矢などを持っている様子。

また、忿怒相が一般的ですが、この塔の顔はそれほどには見えません。
これは愛馬への鎮魂を込めた造立からくるものでしょうか。

銘文は、右上に「善畜禪定門」、やはり愛馬の戒名でしょう。
左上に「宝暦十二午」と「申四月廿一日」。
宝暦12年(1762)4月21日が愛馬の歿した日もしくは造立日。

本体: 高59cm、幅30cm、厚19cm。

道祖神?

道祖神?

この小ぶりの石祠は、表面、側面いずれにもまったく銘文がありません。
したがってなんであるかは不明です。
なにも書いてない場合は、道祖神が多いのですが、断定は避けるしかありません。

本体: 高31cm、幅22cm、厚15cm。

(16/06/21 追記) (16/06/20 撮影)

笠貫沼

沼へ

上記のやじり塚前を通り過ぎるとすぐに
農道が左右(南北)に伸びています。そこを右折して、
しばらく進むとため池のような水面が見えてきます。

これが、「笠貫沼(かさぬきぬま)」
と呼ばれている沼です。笠脱沼とも書きます。

毎年秋に行われる 蛟蝄神社の例大祭 では、
湯立て神事に、御手洗(みたらし)として、
この笠貫沼の水が使われています。そのためか、
土地の人々はここで魚をとったり食べたりはしませんでした。
また、沼から龍神様が舞い上がって
神社のほうに向ったという逸話も残っています。

利根町には、かつてはもっと多くの沼がありましたが、宅地造成とともに数多くが埋められてしまいました。
それらはもともとは、利根川等の氾濫によってできたいわゆる「切れ所沼」が多いようです。
したがって、笠貫沼の水は湧き水ということではなく、現在は上流の豊田堰からの灌漑用水で満たされているようです。

笠貫沼 笠貫沼

さて、この笠貫沼には、その名の由来ともなった「だいだらぼう」に関する興味深い逸話が残されています。
以下で紹介しましょう。

ただし、逸話はともかくとして、実際には、笠貫沼はこのあたりが流れ海だったころの深みがとり残されてできた沼で、
久安2年(1146)、千葉介常胤が伊勢神宮にこの地を寄進した際の書状に、東限として「笠脱江」の名があります。
いわゆる相馬御厨の東の端にある沼、ということですね。

だいだらぼう伝説

だいだらぼう伝説1:笠貫沼とみのかけ榎

昔、大田羅(だいだら)の神がこの地にこられて、笠を脱いでしばらく休憩された。
ところが、その 笠の重みで地面が凹み、そこに水がたまって大きな沼になった のだという。
そこで、土地の人はこの沼を、笠を脱いでできた沼というので「笠脱沼(笠貫沼ともいう)」 というようになった。
このとき、大田羅の神は、近くにあった榎の木に蓑(みの)を脱いで掛けた ことから、
その木を「みのかけ榎」と呼ぶようになったという。(北相馬郡志より)

笠貫沼

みのかけ榎は焼失

みのかけ榎のあった付近からやじり塚を見る

さて、「みのかけ榎」は現在、どうなっているのでしょう。

近くに「やじり塚」があるので、それが「みのかけ榎のその後」
と思いたいところですが、どうもちがうようです。

実は、「みのかけ榎」は、実在していたようなのですが、
いまから20数年前に焼失してしまったらしいのです。
おそらく、落雷かなにかが原因と思われます。

その場所が、左写真の野焼きの黒くなっている辺り。
前方に見えるのがやじり塚で、
笠貫沼は、その途中左に見える小道を少し進んだところです。
あっと黒くなっているのは、その名残ではありませんよ。

蛟蝄神社の若い宮司さんより聞きました。焼けたのは、彼の子供の頃だとか。残念ですね。見たかったなあ。
ちなみに「利根町の昔ばなし」(高塚馨著:崙書房1978年刊行)の第1部冒頭にみのかけ榎の写真が掲載されています。


さて、大田羅(だいだら)の神とは、「もののけ姫」にも登場した「だいだらぼっち」などもそうなのでしょうね。
この巨人伝説は日本各地にあるようなのですが、ここ茨城県・利根町関連ではほかに次のような話があります。

だいだらぼう伝説2:筑波山の移転

蛟蝄神社の北の地域を大房(だいぼう)といいますが、これは大田羅坊が住んでいたところで、
ダイダラボーがいつか短く省略されてダイボーになった というのです。

また、昔、筑波山は現在の千葉県にあった のだそうです。
そのためその北にある利根町は日陰になり農作物がよく実りません。
百姓のひとりが「あの筑波山さえなければなあ」とため息をついていたのを聞いた大田羅坊は、
「それなら、ちょっくら動かしてやっぺ」。

どこからか大きなシャベルを持ってきてウンコラショッと 現在の筑波山の位置に運んでしまった そうです。

ところがあまり 土を取りすぎてしまって、その跡に印旛沼や手賀沼ができた というのです。
さらに、筑波山を動かすために踏ん張った足跡が、牛久沼と霞ヶ浦になった そうです。
(利根町史第4巻)

とてもうまくできたお話ですが、いったい発案者はだれなのでしょうね。
最初につくった人は現代で言えば素晴らしい童話作家だったでしょう。
それとも皆さんは、巨人が実在していたということのほうを信じますか?

だいだらぼう伝説3:Topics

2012年4月に、つくば市民レポーターの「かるだもん(HN)」さんからコンタクトがあり、
ラヂオつくば( FM84.2MHz)で「だいだらぼう伝説」の特集を放送されるということで、
当コンテンツを参考にしたいという依頼があり、もちろん快諾させていただきました。
放送後、かるだもんさんご自身のブログで、「だいだらぼう伝説」をまとめておられますのでご紹介します。

つくば近郊ミステリーハンター「かるだもん」さんが、
茨城県南、県西で、巨人伝説「だいだらぼっち(だいだらぼう)」伝説の伝わる土地を訪ねるシリーズ
という力作レポートで、「だいだらぼう伝説」がいろいろ形を変えて、各地で伝わっていることを知りました。
ほかの地区での「だいだらぼう伝説」をぜひこのブログでご覧ください。
タヌポンの当サイトも、放送とブログの両方で紹介していただきました。この場を借りて重ねてお礼申し上げます。

付録:論所排水路

論所排水路

さて、大房地区のやじり塚付近まで来ると、
もうそこは利根町の最東部近く。
みわたす限りの田園となりますが、その先にはなにがある?

お隣りの龍ヶ崎市との境界はどのようになっているのでしょうか。
それを確かめに、農道のような道をさらに東に進んでいくと・・・。

左のような「小川」に出会いました。
地図で調べると、これは「論所排水路」と呼ばれるもので、
利根町と龍ヶ崎市の境界に沿って、北西方向に伸びています。

ここでも、ほぼ北の方角に「筑波山」がくっきりと見えています。
都会の喧騒を忘れて、なんかのんびりしますね。

「論所」とは聞きなれない言葉ですが、境界をめぐって論争されたことなどから、そのような名前が付くようです。なるほど。


(16/06/21・13/07/19・12/05/15・06/06/11 追記再構成) (05/05/28) (撮影 16/06/20・12/05/05・12/05/01・09/04/02・08/08/06・07/07/08・05/05/28・05/03/20・05/02/11)


本コンテンツの石造物データ → やじり塚と笠貫沼石造物一覧.xlxs (11KB)