タヌポンの利根ぽんぽ行 仏説阿弥陀経碑

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仏説阿弥陀経碑 目次



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このコンテンツは、総州六阿弥陀詣 の資料編です。
本来、納経所来見寺 の項目に入れるべきものですが、
ボリュームが大きいので別個に分けて紹介することにしました。

本コンテンツ作成にあたり、碑文解読は、tanupon 所属の利根町歴史探訪の会会員である、
香取達彦氏・二見達夫氏によるものです。
また歴史研究家嘉津山清氏の翻刻も参考にさせていただきました。

碑表の読み下しと現代語訳は、その多くを Wikipedia から引用・転載させていただきました。
ほかに、『利根町史』第4巻〜6巻・『利根町の文化学芸碑』第2集等々、数多くの文献を、
参考としました。


仏説阿彌陀経碑

納経所来見寺にある石碑

納経所来見寺

総州六阿弥陀詣のコースの一部となっている納経所来見寺。
その境内中央、松替の梅の前に立っているのが阿弥陀経碑。
高さ333cm、幅151cmの大形の石碑で、碑の表は、
縦60字、横37行に、約2000文字余り彫られています。

この碑の左肩(向かって右上)部分が一部欠損しているのですが、
これは推定補完することが可能です。(後述・碑白文の赤字部分)
というのは、碑文は造立当時に新たに撰文されたものではなく、
「般若心経」などと同様に、もともと碑文の内容が石碑造立以前に
「阿弥陀経」として訳され、明らかにされているものだからです。

碑のタイトル部分(題額)に何が記されているか、ですが、以下。

陀 阿 南
仏 彌 無

南無阿彌陀仏、とありますが、この碑文の内容は、正式には、
「仏説阿彌陀経」と呼ばれています。したがって、石碑の名前も
「仏説阿彌陀経碑」と呼ぶのが妥当です。

また、碑陰(碑の裏面)にも、表面ほどではありませんが、
約850字の文字が彫られています。これについては、
仏説阿彌陀経そのものとは異なって新たに撰文されたもので、
ここも若干の欠損部分があります。しかし、それも、
赤松宗旦義知が『布川案内記草稿』に、碑陰の漢文を
全文書写しておいてくれたため、補完することができます。

この石碑も、願主星野一楽、撰文楳塢野長(碑陰のみ)、
揮毫中村仏庵、石匠窪世祥による造立です。

仏説阿彌陀経とは

仏説阿彌陀経つまり阿弥陀経とはどういうものでしょうか。
Wikipediaによれば、大乗仏教の経典のひとつで、原題は『スカーバティービューハ』(サンスクリット:Sukhāvatīvyūha)。
意味するところは、「極楽の荘厳」「幸あるところの美しい風景」。
サンスクリットでは同タイトルの『無量寿経』と区別して『小スカーバティービューハ』とも呼んでいます。
そのため、略称は、『無量寿経』の『大経』に対して、『小経』と呼ばれます。
『阿弥陀経』は、弟子の質問に答える形の経ではなく、釈尊自ら説かれた経であるため「無問自説経」とも呼ばれます。

三藏鳩摩羅什とは

「仏説阿彌陀経」の内容は訳されている、と前述しましたが、訳とは、サンスクリット語を漢訳したものという意味です。
その訳者が、鳩摩羅什(くまらじゅう)で、一般に鳩摩羅什の訳した阿弥陀経をイコール「仏説阿彌陀経」と呼んでいます。
鳩摩羅什ですが、これは初代の三蔵法師で、よく耳にする「西遊記」の三蔵法師とは後代の唐の玄奘(げんじょう)です。
三蔵法師とは、仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶の尊称で、一般名詞であり、固有名詞ではありません。

鳩摩羅什(くまらじゅう、くもらじゅう、サンスクリット:Kumārajīva, कुमारजीव、クマーラジーバ)、344年−413年、一説に350年−409年とも)、亀茲国(きじこく・新疆ウイグル自治区クチャ県)の西域僧、後秦の時代に長安に来て約300巻の仏典を漢訳し、仏教普及に貢献した訳経僧である。最初の三蔵法師。のちに玄奘など、多くの三蔵が現れた。時にのちの玄奘と共に二大訳聖と言われる。また、真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれる。三論宗・成実宗の基礎を築く。漢名の鳩摩羅什(くまらじゅう)はサンスクリット名のクマーラジーヴァの音写。略称は羅什(らじゅう)または什(じゅう)。(Wikipedia)

21文字多い仏説阿彌陀経

来見寺の「仏説阿彌陀経碑」に彫られた経文は、鳩摩羅什が漢訳した通本より、21文字追加されたものになっています。
来見寺の石碑で言えば、後述白文の17行目後半にある「専持名號以稱名故諸罪消滅即是多善根福徳因縁」です。
「襄陽の石碑の経」にならったもので、全国のほかの地区にある同様の石碑も、文字数の多い分珍重されているようです。
「襄陽の石碑の経」とは、『龍舒浄土文』(りゅうじょじょうどもん)巻一によると、
隋の陳仁稜の書になる『阿弥陀経』を石碑に刻み、襄陽(現在の中国湖北省襄陽)に建てたといわれています。
陳仁稜の書とは、陳仁稜が揮毫したのか、撰文したのか不明ですが、揮毫なら元はだれが記したのか気になりますし、
撰文だとすると、陳仁稜がよほどの高僧でないと不可能なような気がします。真相はどうなのでしょうか。

碑表の白文と碑文の構成

碑表の白文

碑文は縦書きですが、行数と一行の文字数(60字)をそろえて、以下、横書きで示しました。
冒頭の数字は、後述解説する阿弥陀経の区分の数値、区分は本文の地色でも分けて記しています。
末尾は行通し番号、赤字は欠損部分の補完文字。青地ヌキ文字は前述の追加の21文字、青字(2文字)は後述します。
(文字が小さいので、ブラウザで、[表示]→[拡大]でご覧ください)


1 仏説阿彌陀              三藏鳩摩羅什譯 1
1 如是我聞一時佛在舎衛國祇樹給孤獨園與大比丘衆千二百五十人倶皆是大阿羅漢衆所知識長老舎利弗摩訶目犍連摩訶迦葉摩訶迦旃延摩訶 2
1 倶絺羅離婆多周梨般陀伽難陀阿難陀羅睺羅憍梵波提賓頭盧頗羅堕迦留陀夷摩訶劫賓那薄拘羅阿菟樓駄如是等諸大弟子并諸菩薩摩訶薩文 3
1.2 殊師利法王子阿逸多菩薩乾陀訶提菩薩常精進菩薩與如是等諸大菩薩及釋提桓因等無量諸天大衆倶尓時佛告長老舎利弗從是西方過十万億 4
2.3 佛土有世界名曰極楽其土有佛號阿彌陀今現在説法舎利弗彼土何故名爲極樂其國衆生無有衆苦但受諸樂故名極樂又舎利弗極樂國土七重欄 5
3 楯七重羅網七重行樹皆是四寶周匝圍遶是故彼國名為極樂又舎利弗極樂圀土有七寶池八功徳水充滿其中池底純以金沙布地四邊階道金銀琉 6
3 璃頗梨合成上有樓閣亦以金銀琉璃頗梨硨磲赤珠馬碯而嚴飾之池中蓮華大如車輪青色青光黄色黄灮赤色赤光白色白光微妙香潔舎利弗極樂 7
3 國土成就如是功徳荘嚴又舎利弗彼佛國土常作天樂黄金爲地晝夜六時而雨曼陀羅華其土衆生常以清旦各以衣裓盛衆妙華供養他方十万億佛 8
3 即以食時還到本圀飯食経行舎利弗極楽國土成就如是功徳莊嚴復次舎利弗彼國常有種種奇妙雑色之鳥白鵠孔雀鸚鵡舎利迦陵頻伽共命之鳥 9
3 是諸衆鳥晝夜六時出和雅音其音演暢五根五力七菩提分八聖道分如是等法其土衆生聞是音已皆悉念佛念法念僧舎利弗汝勿謂此鳥實是罪報 10
3 所生所以者何彼佛國土無三惡趣舎利弗其佛國土尚無三惡道之名何况有實是諸衆鳥皆是阿彌陀佛欲令法音宣流孌化所作舎利弗彼佛國土微 11
3.4 風吹動諸寶行樹及寶羅網出微妙音譬如百千種樂同時倶作聞是音者自然皆生念佛念法念僧之心舎利弗其佛國土成就如是功徳莊嚴舎利弗於 12
4 汝意云何彼佛何故號阿彌陀舎利弗彼佛光明無量照十方國無所障礙是故號爲阿彌陀又舎利弗彼佛壽命及其人民無量無邊阿僧祇刼故名阿彌 13
4 陀舎利弗阿彌陀佛成佛以来於今十劫又舎利弗彼佛有無量無邊聲聞弟子皆阿羅漢非是算數之所能知諸菩薩衆亦復如是舎利弗彼佛圀土成就 14
4.5 如是功徳莊嚴又舎利弗極樂國土衆生生者皆是阿鞞跋致其中多有一生補處其數甚多非是算數所能味之但可以無量無邊阿僧祇刼説舎利弗衆 15
5.6.7 生聞者應當發願願生彼國所以者何得與如是諸上善人倶會一處舎利弗不可以少善根福徳因縁得生彼國舎利弗若有善男子善女人聞説阿彌陀 16
7 佛執持名號若一日若二日若三日若四日若五日若六日若七日一心不亂専持名號以稱名故諸罪消滅即是多善根福徳因縁其人臨命終時阿弥陀 17
7.8 佛與諸聖衆現在其前是人終時心不顛倒即得往生阿弥陀佛極樂國土舎利弗我見是利故説此言若有衆生聞是説者應當發願生彼國土舎利弗如 18
8 我今者讃歎阿彌陀佛不可思議功徳東方亦有阿閦鞞佛須弥相佛大須弥佛須彌灮佛妙音佛如是等恒河沙數諸佛各於其國出廣長舌相遍覆三千 19
8.9 大千丗界説誠實言汝等衆生當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念經舎利弗南方世界有日月燈佛名聞光佛大炎肩佛須弥燈佛無量精進佛 20
9.10 如是等恒河沙數諸佛各於其國出廣長舌相遍覆三千大千世界説誠實言汝等衆生當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念経舎利弗西方丗界 21
10 有無量壽佛無量相佛無量幢佛大光佛大明佛寶相佛淨灮仏如是等恒河沙數諸佛各於其國出廣長舌相遍覆三千大千世界説誠實言汝等衆生當 22
10.11 信是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念經舎利弗北方世界有炎肩佛最勝音佛難沮佛日生佛網明佛如是等恒河沙數諸佛各於其國出廣長舌相 23
11.12 遍覆三千大千丗界説誠實言汝等衆生當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念經舎利弗下方世界有師子佛名聞佛名灮佛達摩佛法幢仏持法 24
12.13 佛如是等恒河沙數諸佛各於其國出廣長舌相遍覆三千大千世界説誠實言汝等衆生當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念経舎利弗上方世 25
13 界有梵音佛宿王佛香上佛香光佛大焔肩佛雑色寶花嚴身佛娑羅樹王佛寶華徳佛見一切義佛如須彌山佛如是等恒河沙數諸佛各於其圀出廣長 26
13.14 舌相遍覆三千大千丗界説誠實言汝等衆生當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念經舎利弗於汝意云何何故名爲一切諸佛所護念經舎利弗 27
14 若有善男子善女人聞是諸佛所説名及経名者是諸善男子善女人皆爲一切諸佛共所護念皆得不退轉於阿耨多羅三藐三菩提是故舎利弗汝等皆 28
14 當信受我語及諸佛所説舎利弗若有人已發願今發願當發願欲生阿弥陀圀者是諸人等皆得不退轉於阿耨多羅三藐三菩提於彼國土若已生若 29
14.15 今生若當生是故舎利弗諸善男子譱女人若有信者應當發願生彼國土舎利弗如我今者稱讃諸佛不可思議功徳彼諸佛等亦稱説我不可思議功徳 30
15 而作是言釋迦牟尼佛能爲甚難希有之事能於娑婆國土五濁惡世刼濁見濁煩悩濁衆生濁命濁中得阿耨多羅三藐三菩提爲諸衆生説是一切世間 31
15.16 難信之法舎利弗當知我於五濁惡世行此難事得阿耨多羅三藐三菩提爲一切丗間説此難信之法是為甚難佛説此經已舎利佛及諸比丘一切丗間 32
16 天人阿修羅等聞佛所説歡喜信受作禮而去   佛説阿弥陀経 33
17 無量壽佛説往生浄土咒 34
17 南無阿弥多婆夜哆他伽哆夜哆地夜他阿弥唎都娑毗阿弥唎哆悉耽婆毗阿弥唎哆毗迦蘭帝阿弥唎哆毗迦蘭哆迦弥膩伽伽那枳多迦隷娑婆訶 35
18         文政十二年己丑十二月建乎下總州相馬郡瑞龍山来見禪寺  二十二世觀了代  江戸  南無佛庵主中村景蓮書并題額 36
18                                                                                   窪世祥拝刻 37

碑表の碑文構成

上記白文で地色区分で分かるように「仏説阿彌陀経碑」表の碑文はいくつかの区分に分かれています。
実は全37行あるうち、「仏説阿彌陀経」の部分は、最初から33行まで。最後の2行は奥書にあたる部分ですが、
その前の34、35の2行は、「仏説阿彌陀経」とは異なるもので、「無量壽佛説往生浄土咒」と記されています。

仏説阿彌陀経の構成

仏説阿彌陀経は、大別して以下の3部分に分かれますが、メインは 2.正宗分です。これがいくつかの項目に分かれます。

  1. 序分: 阿弥陀経の説かれた由来
  2. 正宗分: 経の中心をなす部分
  3. 流通分: 教えを後世に伝える方法
1 序分 冒頭1行目から4行目後半まで。
2 正宗分 讃極楽依正 4行目後半〜5行目前半まで
3 正宗分 讃極楽依正 総釈土名 5行目前半から12行目後半まで。 (無地)
4 正宗分 讃極楽依正 光寿二無量 12行目後半〜15行目前半まで。
5 正宗分 勧念仏往生 15行目前半〜16行目前半まで。 (無地)
6 正宗分 勧念仏往生 不可少善根福徳 16行目後半。
7 正宗分 勧念仏往生 執持名号 16行目後半〜18行目後半まで。 (無地)
8 正宗分 勧念仏往生 執持名号 東方 18行目後半〜20行目前半まで。
9 正宗分 勧念仏往生 執持名号 南方 20行目後半〜21行目後半まで。 (無地)
10 正宗分 勧念仏往生 執持名号 西方 21行目後半〜23行目前半まで。
11 正宗分 勧念仏往生 執持名号 北方 23行目前半〜24行目後半まで。 (無地)
12 正宗分 勧念仏往生 執持名号 下方 24行目後半〜25行目後半まで。
13 正宗分 勧念仏往生 執持名号 上方 25行目後半〜27行目後半まで。 (無地)
14 正宗分 示現当利益 27行目後半〜30行目前半まで。
15 流通分 30行目後半〜32行目後半まで。
16 流通分 (結語) 32行目後半〜33行目まで。 (無地)

以上が、仏説阿彌陀経の内容。

無量壽佛説往生浄土咒ほか

17 無量壽佛説往生浄土咒 34行目から35行目まで。
18 (奥書) 36行目後半〜37行目まで。 (無地)

無量壽佛説往生浄土咒 は、往生咒(おうじょうしゅ)、往生浄土神咒ともいわれています。
「仏説阿彌陀経碑」としては、おまけのような気もしますが、21文字の追加といい、内容豊かな石碑です。

往生浄土咒を含め、以下の項目で、それぞれの区分を細かく見ていきます。

碑表の読み下しと現代語訳

1.仏説阿彌陀経 序分(1行目〜4行目後半まで)

白文(句点文)

仏説阿彌陀経 三藏鳩摩羅什譯
如是我聞。一時、佛在舎衛國祇樹給孤獨園、與大比丘衆千二百五十人倶。皆是大阿羅漢。衆所知識。長老舎利弗・摩訶目犍連・摩訶迦葉・摩訶迦旃延・摩訶倶絺羅・離婆多・周利般陀伽・難陀・阿難陀・羅睺羅・憍梵波提・賓頭盧頗羅堕・迦留陀夷・摩訶劫賓那・薄拘羅・阿菟樓駄、如是等諸大弟子、并諸菩薩摩訶薩、文殊師利法王子・阿逸多菩薩・乾陀訶提菩薩・常精進菩薩、與如是等諸大菩薩、及釋提桓因等、無量諸天・大衆倶。

読み下し文

仏説阿彌陀経 三藏鳩摩羅什譯※1
是の如く、我※2聞きたてまつりき。一時、佛、舎衛国※3の祇樹給孤独園※4にましまして、大比丘の衆※5、千二百五十人と倶なりき。皆是大阿羅漢なり。衆に知識せらる。長老舎利弗※6・摩訶目犍連※7・摩訶迦葉※8・摩訶迦旃延※9・摩訶倶絺羅※10・離婆多※11・周利般陀伽※12・難陀※13・阿難陀※14・羅睺羅※15・憍梵波提※16・賓頭盧頗羅堕※17・迦留陀夷※18・摩訶劫賓那※19・薄拘羅※20・阿菟樓駄※21、是の如等の諸の大弟子、并に諸の菩薩摩訶薩※22、文殊師利法王子※23・阿逸多菩薩※24・乾陀訶提菩薩※25・常精進菩薩※26、是の如等の諸の大菩薩、および釋提桓因※27等の無量の諸天・大衆と倶なりき。

現代語訳

『極楽の荘厳と名づける大乗経』(仏説阿彌陀経) 三藏鳩摩羅什が訳す
この様に私はお聞きした。ある時、仏(釈尊)は、舎衛国の祇樹給孤独園に滞在され、1250人もの修行僧たちと一緒におられた。彼らは、皆、徳の高い阿羅漢であり世に知られた人物で、すなわち、長老の舎利弗、摩訶目犍連、摩訶迦葉、摩訶迦旃延、摩訶倶絺羅、離婆多、周利般陀伽、難陀、阿難陀、羅睺羅、憍梵波提、賓頭盧頗羅堕、迦留陀夷、摩訶劫賓那、薄拘羅、阿菟樓駄、このような大弟子たち、ならびに諸々の菩薩・救道者たち、すなわち、法王子の文殊菩薩、阿逸多菩薩、乾陀訶提菩薩、常精進菩薩など、多くの優れた救道者、および帝釈天らの神々、そして大衆とともに(仏は)おられた。

用語解説

※1 三藏鳩摩羅什譯: 姚秦三蔵法師鳩摩羅什奉詔訳(ようしん・さんぞうほっし・くまらじゅう・ぶしょうやく)と称される場合もある。姚秦(ようしん)は後秦(384−417)。王室の姓をとって姚秦と呼ぶ。奉詔訳は、詔を奉じて訳す、の意。
※2 : この「我」とは阿弥陀経を記した釈尊の弟子のひとりを指すと考えられる。経自体は、1世紀ころ、北インドで成立したと推定されている。後述の阿難陀が「如是我聞」で始まる経典を数多く記したといわれている。
※3 舎衛国(しゃえこく): 梵名シュラーヴァスティー(Śrāvastī)の音写。釈尊在世の頃の中インドにあったコーサラ国の首都(現在のサヘート・マヘートの地と推定される)。祇園精舎は、この城西にあり、釈尊は25回の雨安居(うあんご=雨季の修行)をこの地で送られたといわれている。
※4 祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん): 舎衛国の西にあった精舎(しょうじゃ)。いわゆる祇園精舎。舎衛国の祇陀(ぎだ)太子が所有する土地を須達(しゅだつ)長者が譲り受けて釈尊に献上し、祇陀太子もその地にあった樹を献じたのでこの名がある。
※5 大比丘の衆(だいびくのしゅ): 大いなる比丘の集まり。後に列挙する菩薩衆に対すれば声聞衆(しょうもんしゅ=未だ声聞乗、つまり自己の悟りのみを目的とする声聞のために説かれた教え、に至らない修行者)である。
※6 舎利弗(しゃりほつ): 梵名シャーリプトラ(Śāriputra)の音写。釈尊十大弟子の一人。智慧第一と称された。王舎城(おうしゃじょう)外のバラモンの子に生れ、六師外道の一である刪闍耶毘羅胝子(さんじゃやびらていし)の弟子となったが、釈尊成道後まもなく摩訶目犍連と共に釈尊に帰依した。釈尊に先だって寂したといわれる。
※7 摩訶目犍連(まかもくけんれん): 目犍連は、梵名マウドガリャーヤナ(Maudgalyāyana)の音写。大目(だいもく)犍連また略して目連ともいう。釈尊十大弟子の一人。神通(じんずう=衆生を救済する無碍自在なはたらき)第一と称された。舎利弗と親交があり、ともに六師外道の一人である刪闍耶毘羅胝子に従っていたが、後に釈尊に帰依して仏弟子となった。王舎城行乞(ぎょうこつ)中に仏教教団を嫉む執杖バラモンによって殺害された。
※8 摩訶迦葉(まかかしょう): 梵名マハー・カーシャパ(Mahā-kāśyapa)の音写。大迦葉ともいう。釈尊十大弟子の一人。衣・食・住に対する執着を払い捨て修行に専心し、頭陀(ずだ=修行僧)第一と称された。釈尊入滅後教団の統率者として、第一結集(けつじゅう=経典編集会議)を行ったと伝えられる。
※9 摩訶迦旃延(まかかせんえん): 梵名マハー・カーティヤーヤナ(Mahā-kātyāyana)の音写。迦旃延のこと。釈尊の十大弟子の一人。論議第一と称された。アヴァンティ国の首都ウッジェーニーに生れ、チャンダパッジョータ王の輔師の息子であった。ある日、王の命で釈尊を迎えるため、王の臣下と釈尊を訪ねたが、それが機縁となって釈尊に帰依し出家したという。
※10 摩訶倶絺羅(まかくちら): 梵語マハー・カウシュティラ (Mahā-kauşţhila) の音写。 釈尊の弟子。 舎利弗の兄弟であるとする説、また、一切の学成るまで爪を切るまいとの誓いを十数年守ったという長爪梵志(ちょうそう)梵志と同一人物で、舎利弗の伯父にあたるとする説などがある。『大経』では大住(だいじゅう)の名で出る。
※11 離婆多(りはた): 梵語レーヴァタ・キャディラ・ヴァニヤ(Revata-khadira-vaniya)の音写。離波多等あり。釈迦の弟子の一人である。本名は「キャデラ林に住するレーヴァタ」という意味。
※12 周利般陀伽(しゅりはんだが): 梵名チューダパンタカ(Cūđapanthaka)の音写。周利般特(しゅりはんどく)とも音写し、小路・愚路などと漢訳する。釈尊の弟子。生来愚昧であったが、釈尊に教えられた「塵を払い、垢を除く」という短い言葉を繰り返してさとりを得たという。この石碑では「般」だが「槃」の字が一般。
※13 難陀(なんだ): 梵名ナンダ(Nanda)の音写。仏弟子の名。釈尊の異母弟。容姿端麗であったと伝えられ、諸欲をよくおさえて諸根調伏(しょこんじょうぶく=感覚器官を統制する)第一と称されている。大経では嘉楽の名で出るが、一説ではこの嘉楽は牧牛者であった別人のナンダであるという。
※14 阿難陀(あなんだ): 梵語アーナンダ(Ānanda)の音写、阿難と略する場合も多い。釈尊十大弟子の一人。釈尊の従弟にあたる。釈尊入滅までの20余年間常随して説法を聞き、多聞(たもん=仏法を多く聞いて身を持する、博識)第一といわれる。第一回結集の際には選ばれて釈尊の説かれた教法を誦出(じゅしゅつ)した。
※15 羅睺羅(らごら): 梵名ラーフラ(Rāhula)の音写。羅云(らうん)とも書き、覆障(ふくしょう)と漢訳する。釈尊十大弟子の一人。密行(みつぎょう=戒律を細かく守ること)第一と称された。釈尊の実子で、釈尊成道(じょうどう=釈迦が仏になったこと)後初めて故郷カピラ城へ帰られたおり、舎利弗・摩訶目犍連を師として出家した。『大経』では羅云の名で出る。
※16 憍梵波提(きょうぼんはだい): 梵語ガヴァーンパティ(Gavāmpati)の漢訳。牛主とも漢訳する。解律(げりつ)第一と称される。ヴァーナーラシー(ベナレス)の富商の子であった耶舎(名聞)の友人。釈尊の弟子。耶舎の出家を聞いて、離垢・善実・具足とともに出家した。釈尊の命によりサラプー河の洪水を神通力によって防いで人々を救ったという。釈尊の入滅後、シリシャ山中で後を追うように入滅した。『小経』では憍梵波提の名で出る。
※17 賓頭盧頗羅堕(びんずるはらだ): 梵語ビンドラ・バラダージャ(Pindola Bharadvaja)の漢訳。釈尊の弟子。弟子中でも獅子吼(ししく=仏の雄弁な説法)第一と称される。また十六羅漢の一人。名前の意味は、不動、利根という。バラダージャはバラモン十八姓の中のひとつである。略称して賓頭盧(びんづる)尊者と呼ばれる。→ 参考:徳満寺 賓頭盧尊者
※18 迦留陀夷(かるだい): 梵語カーローダーイン(Kalodayin)の音写。釈迦族の出身で、釈尊と同日に誕生したという。成道後の釈尊を故郷に見返る際、尽力し弟子となった。
※19 摩訶劫賓那(まかこうひんな): 梵語マハー・カルピナ(Mahā-kalpina)の音写。釈尊の弟子。知星宿(ちせいしゅく)第一と称され、天文学・暦学に秀でていた。クックタという町の王族に生れ、父の跡を継いで王位についたが、ある商人より釈尊が祇園精舎に滞在していることを聞いて旅立ち、途中で釈尊に会うことを得て出家したという。
※20 薄拘羅(はくら): 梵語ヴァックラ(Dvākula)の音写。釈迦の弟子の一人。仏弟子中、病をしなかったことから、無病第一、また最も長く生きたので長寿第一と称される。
※21 阿菟楼駄(あぬるだ): 梵名アニルッダ(Aniruddha)の音写。阿那律(あなりつ)・阿尼楼駄(あにるだ)・阿泥律(あないりつ)とも音写し、無貪(むとん)と漢訳する。釈尊十大弟子の一人。天眼(てんげん=智慧の眼)第一と称された。カピラヴァストゥの人で斛飯(こくぼん)王、または甘露飯(かんろぼん)王の子ともいわれ、釈尊の従弟にあたる。釈尊の説法の座で居眠りをして叱責されたため、眠ることなく修行し、ついに失明したが、天眼を得たという。『大経』では離障の名で出る。
※22 摩訶薩(まかさつ): 梵語マハー・サットヴァ(mahā-sattva)の音写。摩訶薩捶とも音写する。大心。大衆生・大有情と漢訳する。偉大な志をもつ者の意。菩薩に同じ。
※23 文殊師利法王子(もんじゅしりほうおうじ): 梵語名はマンジュリー(Mañjuśri)の音訳。「法王子」は、法王=仏の子の意で、仏の教化をたすける最上首の菩薩を指していう。文殊師利菩薩。つまり文殊菩薩。弥勒菩薩と共に実在の可能性を持った菩薩。
※24 阿逸多菩薩(あいったぼさつ): 梵語アイッタ(Ajita)の音写。弥勒菩薩の字(あざな)が Ajita で弥勒菩薩と同義とされるが、別という説もある。
※25 乾陀訶提菩薩(けんだかだいぼさつ): 尊貴(そんき)第一と称される。
※26 常精進菩薩(じょうしょうじんぼさつ): 常に精進を怠らない者の意。
※27 釈提桓因(しゃくだいかんいん): 梵語シャクラ・デーヴァーナーム・インドラ(Śakra-devānām-indra)の音写。最後にヒンドゥー経の神である帝釈天が紹介されている。聖典リグ・ヴェーダにおける最大最強の英雄神で、仏教を守る神。
(以上 Wikipediaによる)

2-14.仏説阿彌陀経 正宗分(4行目後半〜32行目まで)

仏説阿彌陀経 正宗分 2.讃極楽依正(4行目後半〜5行目前半まで)

白文(句点文)

尓時佛告、長老舍利弗。從是西方、過十万億佛土、有世界。名曰極樂。其土有佛、號阿彌陀。今現在說法。

読み下し文

尓時、佛、長老舎利弗に告げたまはく、「是より西方、十万億の佛土を過て世界有り。名づけて極樂と曰ふ。其土に仏まします、阿彌陀と號す。今現にましまして法を說きたまふ。

現代語訳

その時、仏は、長老の舎利弗に告げて言うには、「これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界がある。名づけて極楽という。その仏国土には仏がおり、阿弥陀と号する。いま、現にましまして真理を説く。

補足

長老舎利弗に告げたまはく、: 直後の“「”から以降が仏(釈尊)の言葉となり、15.流通分 の“」”まで続く。


仏説阿彌陀経 正宗分 讃極楽依正 3.総釈土名(5行目前半〜12行目後半まで)

白文(句点文)

舍利弗、彼土何故、名爲極樂。其國衆生、無有衆苦、但受諸樂。故名極樂。
又舎利弗、極樂國土七重欄楯・七重羅網・七重行樹。皆是四寶周匝圍遶。是故彼國名為極樂。
又舎利弗、極樂圀土有七寶池。八功徳水充滿其中。池底純以金沙布地。四邊階道、金・銀・琉璃・頗梨合成。上有樓閣。亦以金・銀・琉璃・頗梨・硨磲・赤珠・馬碯、而嚴飾之。池中蓮華、大如車輪。青色青光、黄色黄灮、赤色赤光、白色白光、微妙香潔。舎利弗、極樂國土、成就如是功徳莊嚴。
又舎利弗、彼佛國土、常作天樂。黄金爲地。晝夜六時而雨曼陀羅華。其土衆生、常以清旦、各以衣裓、盛衆妙華、供養他方十万億佛。即以食時還到本圀、飯食経行。舎利弗、極楽國土、成就如是功徳莊厳。
復次舎利弗、彼國常有種種奇妙雑色之鳥。白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命之鳥。是諸衆鳥、晝夜六時出和雅音。其音、演暢五根五力・七菩提分・八聖道分、如是等法。其土衆生、聞是音已、皆悉念佛、念法、念僧。舎利弗、汝勿謂此鳥實是罪報所生。所以者何。彼佛國土無三惡趣。
舎利弗、其佛國土尚無三惡道之名。何況有實。是諸衆鳥、皆是阿彌陀仏、欲令法音宣流、孌化所作。舎利弗、彼佛國土微風吹、動諸寶行樹及寶羅網、出微妙音。譬如百千種樂同時倶作。聞是音者、自然皆生念佛、念法、念僧之心。舎利弗、其佛國土、成就如是功徳莊嚴。

読み下し文

舎利弗、彼土を何故、名づけて極樂と爲。其國の衆生、衆苦有ること無く、但諸樂を受く。故に極樂と名づく。
又舎利弗、極樂國土に七重の欄楯※1・七重の羅網※2・七重の行樹※3、皆是四寶※4周匝※5し圍遶※6せり。是故に彼國を名づけて極樂と爲。
又舎利弗、極樂圀土に七寶※7の池有り。八功徳水※8其中に充滿せり。池の底には純(もっぱ)ら金の沙を以て地に布けり。四邊の階道は、金・銀・瑠璃・頗梨合成せり。上に樓閣有り。また金・銀・琉璃※9・頗梨※10・硨磲・赤珠※11・馬碯を以て、之を嚴飾※12す。池の中の蓮華は、大きさ車輪の如し。青色には青光、黄色には黄灮、赤色には赤光、白色には白光ありて、微妙香潔なり。舎利弗、極樂國土は、是の如きの功徳莊嚴※12を成就せり。
また舎利弗、彼の佛國土は、常に天の樂を作す。黄金を地と爲す。晝夜六時※13に天の曼陀羅華を雨らす。其土の衆生、常に清旦※14を以て、各衣裓※15を以て、衆の妙華を盛て、他方の十万億の佛を供養したてまつる。即食時※16を以て本圀に還り到りて、飯食し経行※17す。舎利弗、極楽國土は、是の如きの功徳莊嚴を成就せり。
復次に舎利弗、彼の國に常に種々奇妙なる雑色の鳥有り。白鵠※18・孔雀・鸚鵡・舎利※19・迦陵頻伽※20・共命の鳥※21なり。是の諸衆の鳥、晝夜六時に和雅の音を出す。其の音、五根※23・五力※24・七菩提分※25・八聖道分※26、是の如き等の法を演暢※22す。其の土の衆生、是の音を聞き已りて、皆悉佛を念じ、法を念じ、僧を念ず。舎利弗、汝此の鳥は實に是れ罪報の所生なりと謂ふこと勿れ。所以は何。彼の佛國土に三惡趣※27無ければなり。
舎利弗、其の佛國土に尚三惡道の名無し、何に況んや實有らんや。是の諸衆の鳥は、皆是れ阿彌陀仏、法音を宣流せしめんと欲して、変化して作したまふ所なり。舎利弗、彼の佛國土は微風吹いて、諸の寶行樹及び寶羅網を動かすに、微妙の音を出す。譬へば百千種の樂を同時に倶に作すが如し。是の音を聞く者、自然に皆佛を念じ、法を念じ、僧を念ずるの心を生ず。舎利弗、その佛國土は、是の如きの功徳莊嚴を成就せり。

現代語訳

舎利弗よ。かの仏国土をなにがゆえに名づけて極楽となすや。その国の民衆は、もろもろの苦しみを受けず、ただもろもろの楽しみを受ける。故に、極楽と名づける。
また、舎利弗よ。その極楽国土には、七重の欄楯、七重の羅網、七重の行樹があって、みな、これ四宝であまねく取り囲んでいる。故に、かの国を名づけて極楽という。
また、舎利弗よ。極楽国土には、七宝の池がある。八功徳の水が、その中に充満している。池の底には純ら黄金の砂が布かれている。池の四辺の階段は、金・銀・瑠璃・玻瓈からできている。階段の上には楼閣があって、それもまた、金・銀・瑠璃・頗梨・硨磲・赤珠・碼碯で、美しく飾られている。池中の蓮華は、大きい車輪のようだ。青色(の蓮華)には青光、黄色には黄光、赤色には赤光、白色には白光と、様々な色の花が、それぞれあるがままに美しく咲いて、かぐわしい香りを放っている。舎利弗よ。極楽国土は、このように麗しい姿をそなえている。
また、舎利弗よ。かの仏国土は、つねに天の音楽が奏でられている。そして大地は黄金でできていて、昼夜六時に、曼陀羅の華が降りそそぐ。その国の民衆は、常に清々しい朝に、おのおのが花器を用いて、種々の美しい花を盛りつけ、他の国々の十万億の仏を供養する。昼の休息までには本国に還到し、食事をとってからしばらくの間はそのあたりを静かに歩き、身と心をととのえる。舎利弗よ。極楽国土は、このように麗しい姿をそなえているのである。
また次に、舎利弗よ。かの国には、常に、種々のめずらしい色とりどりの美しい鳥がいる。白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥である。この種々の鳥たちは、昼夜六時に、優雅な声で鳴き、その声は、五根・五力・七菩提分・八聖道分などの尊い教えを説く。その土の民衆は、この声を聞き終わって、みなことごとく仏を念じ、法を念じ、僧を念じる。舎利弗よ。そなたは、これらの鳥は、実にこれ、罪の報いとして鳥に生れてきたのだと思ってはならない。それはなぜか。かの仏国土には、三悪趣がないからである。 舎利弗よ。その、仏国土には、三悪道の名は無い。言うまでも無く、実体が無い。このもろもろの鳥は、みなこれ、阿弥陀仏の法を説きひろめようと、姿かたちを変えて作りだされたものである。舎利弗よ。かの仏国土には、微風が吹動して、もろもろの宝の行樹や宝で飾られた網は、微妙な音を出す。たとえば、百千種の楽の音を同時に奏でるようなものだ。この音色を聞く者は、みな、自然に佛を念じ、法を念じ、僧を念ずる心が生じる。舎利弗よ。かの仏国土には、このように麗しい姿をそなえているのである。

用語解説

※1 欄楯(らんじゅん): インド文化圏で、ストゥーパ(仏塔)、聖樹、その他の聖域を囲うために用いられた玉垣。(Kotobank)
※2 羅網(らもう): 浄土や天界にあるとされる、宝珠を連ねた網。また、仏殿や仏像を飾る荘厳具。(goo 辞書)
※3 行樹(ごうじゅ): 並木。(Wikipedia)
※4 四寶(しほう): 四つの宝。仏教では、金・銀・瑠璃(るり)・水晶をいう。(goo 辞書)
※5 周匝(しゅうそう): まわりをとりまくこと。また、そのまわり。めぐり。(Kotobank)
※6 圍遶(いにょう): 囲繞と同。法会のとき、多くの僧たちが尊像の周囲を回って礼拝すること。仏教語。(Weblio古語辞典)
※7 七寶(しちほう): 七つの宝物。経典によって説が分かれるが、「無量寿経」では、金・銀・瑠璃(るり)・玻璃(はり=水晶)・硨磲(しゃこ=シャコガイの貝殻)・瑪瑙(めのう)・珊瑚(さんご)をいう。(三省堂大辞林)
※8 八功徳水(はっくどくすい・はちくどくすい): 仏語。極楽浄土などにあって、八つの功徳を備えている水。倶舎論(くしゃろん=インドの難解な仏教論書)では、甘・冷・軟・軽・清浄・不臭・飲時不損喉(のどを損しない)・飲已不傷腸(腹を痛めない)の八徳。八徳。(Kotobank)
※9 琉璃(るり): 瑠璃と同。七宝の一。青色の美しい宝石。ラピスラズリ。(goo 辞書)
※10 頗梨(はり): 玻璃と同。仏教で、七宝の一。水晶のこと。(Kotobank)
※11 赤珠(あかだま): 琥珀(こはく)。(goo 辞書)
※12 嚴飾(ごんしょく)・莊嚴(しょうごん): 仏教寺院では、堂塔や尊像などを装飾することを荘厳(しょうごん)という。荘厳は厳飾(ごんしょく)ともいい、それが仏法によるものであって、一般世俗の装飾とは異なることを示す。(Kotobank)
※13 晝夜六時(ちゅうやろくじ): 昼夜を、晨朝(じんじょう)・日中(にっちゅう)・日没(にちもつ)の昼三時、初夜(しょや)・中夜(ちゅうや)・後夜(ごや)の夜三時に分けていう。(Wikipedia)
※14 清旦(しょうたん): すがすがしい夜明け。(Wikipedia)
※15 衣裓(えこく): 花を入れて仏前に置く脚つきの箱または籠(かご)。けこ。はなかご。(Kotobank)
※16 食時(じきじ): 古来、一食をたべ終わるわずかな時間と解釈されているが、梵本は「昼の休息」の意。(Wikipedia)
※17 経行(きんひん): 原意は、一定の場所を徒歩で往復することである。2012年現在の禅宗では、坐禅に伴う足の痺れや眠気を取り除くため、坐禅と坐禅の間に行うとされている。また、義浄によれば、経行には、病を取り除き、消化を助ける、健康促進の目的もあったとされる。(Wikipedia)
※18 白鵠(びゃっこう): 鶴の一種で、白鳥または天鵞(てんが)ともいう。鵠は白鳥の別名。(Kotobank ほか)
※19 舎利(しゃり): 九官鳥の一種。鸚鵡とともに人間の言葉を話す鳥で、浄土にいる彼らは、仏法を奏でて浄土を荘厳するといわれる。(浄土真宗おみのり情報サイト)
※20 迦陵頻伽(かりょうびんが): 美声をもって知られる神話的な鳥。妙音鳥とも訳される。極楽浄土で法を説く鳥の一つにあげられる。インドの仏教彫刻に人頭鳥身の姿で表され、上半身が翼をもつ菩薩形,下半身が鳥の姿をとる。(Kotobank)
※21 共命之鳥(ぐみょうのとり): 1つの胴体に2つの頭を持つ双頭の鳥で、2つの頭がそれぞれ別々の心を持ち、いのちの平等を体現するという。(浄土真宗おみのり情報サイト)
※22 演暢(えんちょう): 広く説きのべること。(Wikipedia)
※23 五根(ごこん): 悟りに至るための五つの作用。信根・勤(精進)根・念根・定(じょう)根・慧(え)根。(Kotobank)
※24 五力(ごりき): 悟りを開く方法である三十七道品(どうほん)の一部分で、悪を破る五つの力。信力(心を清らかにする力)・念力(記憶する力)・精進力(善に励む力)・定(じょう)力(禅定する力)・慧(え)力(真理を理解する力)の5つ。(三省堂大辞林)
※25 七菩提分(しちぼだいぶん): 七覚(しちかく)・七覚分(しちかくぶん)・七覚支(しちかくし)ともいう。さとりを得るために役立つ7種の行法(ぎょうほう)。『成実論』(しょうじつろん=訶梨跋摩[かりばつま]によって著された、16巻の仏教論書)では次の7種。
(1)念覚支(ねんかくし)。心に明らかに憶いとどめて忘れないこと。
(2)択法覚支(ちゃくほうかくし)。智慧によって、法の真か偽かを選択(せんじゃく)すること。
(3)精進覚支(しょうじんかくし)。一心に努力すること。
(4)喜覚支(きかくし)。法をたのしみ喜ぶこと。
(5)軽安覚支(きょうあんかくし)。身心が軽やかで安らかなこと。
(6)定覚支(じょうかくし)。心を集中して乱さないこと。
(7)捨覚支(しゃかくし)。心の興奮や沈滞がなく平静なこと。(Wikipedia)
※26 八聖道分(はっしょうどうぶん): さとりに至るための8種の正しい行法(ぎょうほう)。
(1)正見(しょうけん)。四諦(したい)の道理を正しく見る智慧。
(2)正思惟(しょうしゆい)。正しく思惟し意思すること。
(3)正語(しょうご)。正しい言葉を語ること。
(4)正業(しょうごう)。身の行いを正しくすること。
(5)正命(しょうみょう)。身・口・意の三業(さんごう)を浄らかにして正しい生活をすること。
(6)正精進(しょうしょうじん)。正しい努力。道に努め励むこと。
(7)正念(しょうねん)。正しい憶念。四諦(したい=釈迦が悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論をまとめた苦集滅道の4つ。四聖諦。「4つの聖なる真理」苦諦:苦という真理/集諦:苦の原因という真理/滅諦:苦の滅という真理/道諦:苦の滅を実現する道という真理)の道理を常に心に留めて忘れないこと。
(8)正定(しょうじょう)。正しい精神統一。(Wikipedia)
※27 三惡趣(さんあくしゅ): 三悪道と同。死者が悪業(あくごう)のために行く、地獄道・餓鬼道・畜生道の三つの世界。(三省堂大辞林)


仏説阿彌陀経 正宗分 讃極楽依正 4.光寿二無量(12行目後半〜15行目前半まで)

白文(句点文)

舎利弗、於汝意云何、彼佛何故號阿彌陀。舎利弗、彼佛光明無量、照十方國無所障礙。是故號爲阿彌陀。又舎利弗、彼佛壽命及其人民無量無邊阿僧祇刼。故名阿彌陀。舎利弗、阿彌陀佛、成佛以来於今十劫。又舎利弗、彼佛有無量無邊聲聞弟子、皆阿羅漢。非是算數之所能知。諸菩薩衆、亦復如是。舎利弗、彼佛圀土、成就如是功徳莊嚴。

読み下し文

舎利弗、汝が意に於いて何をか云わん。彼の佛を何故ぞ阿彌陀と號す。舎利弗、彼の佛の光明無量にして、十方の國を照らすに障礙する所無し。是故に號して阿彌陀と爲す。又舎利弗、彼の佛の壽命及び其の人民も無量無邊※1阿僧祇※2※3なり。故に阿彌陀と名づく。舎利弗、阿彌陀佛は、成佛以来今に十劫なり。
又舎利弗、彼の佛に無量無邊の聲聞※4の弟子有り、皆阿羅漢なり。是算數の能く知る所に非ず。諸の菩薩衆、亦復是くの如し。舎利弗、彼の佛圀土は、是くの如きの功徳莊嚴を成就せり。

現代語訳

舎利弗よ。そなたはどう思うか。かの仏を、なにゆえに阿弥陀と号するのだろうか。舎利弗よ。かの仏の光明は無量であり、十方の国を照らすのにさまたげが無い。ゆえに、阿弥陀となす。また、舎利弗よ。かの仏の寿命およびその民衆の寿命も、無量であり阿僧祇劫である。ゆえに阿弥陀と名づける。舎利弗よ。阿弥陀仏は、完全な悟りを開いてこのかた、いまに十劫になる。
また、舎利弗よ。かの仏に無量無辺の声聞の弟子がいる。みな、阿羅漢であり、その数は、とても算数の及ぶところではない。もろもろの菩薩衆も、またまた、このようである。舎利弗よ。かの仏国土には、このような麗しい姿をそなえているのである。

用語解説

※1 無量無邊(むりょうむへん): はかり知れないこと。果てしないこと。(Kotobank)
※2 阿僧祇(あそうぎ): 漢字文化圏における数の単位の一つ。阿僧祇がいくつを示すかは時代や地域により異なり、また、現在でも人により解釈が分かれる。日本では一般的に10の56乗を指すが、10の64乗とする人もいる。阿僧祇は元は仏教用語で、梵語の असंख्येय "asaṃkhya"を音訳した「数えることができない」の意味。意訳では「無数」。仏典では、成仏するまでに必要な時間の長さである「三阿僧祇劫」という形で用いられることが多い。(Wikipedia)
※3 (こう): 劫と同。梵語「劫波」の略。「ごう」とも。仏語。きわめて長い時間。古代インドにおける時間の単位のうち、最長のもの。(goo 辞書)
※4 聲聞(しょうもん): 声聞という用語はジャイナ教の経典にも見られるものであり、仏教成立以前からインドで広く用いられていたものであることはほぼ間違いない。仏教では、古くは縁覚も声聞であり声聞縁覚地、声聞縁覚乗などのように表現された。また、菩薩も声聞であり声聞菩薩地、声聞菩薩乗などのように表現された。(Wikipedia)

仏説阿彌陀経 正宗分 5.勧念仏往生(15行目前半〜16行目後半まで)

白文(句点文)

又舎利弗、極樂國土、衆生生者皆是阿鞞跋致。其中多有一生補處。其數甚多。非是算數所能知之。但可以無量無邊阿僧祇刼説。
舎利弗、衆生聞者、應當發願願生彼國。所以者何。得與如是諸上善人倶會一處。

読み下し文

又舎利弗、極楽国土には、衆生生ずる者は皆是阿鞞跋致※1なり。其中に多く一生補處※2有り。其の數甚多し。是れ算数の能く之を知る所に非ず。但無量無邊阿僧祇刼を以って説く可し。
舎利弗、衆生聞かん者、當に發願して彼の國に生ぜんと願ふべし。所以は何ん。是くの如きの諸上善人と倶に一處に會することを得ればなり。

現代語訳

また舎利弗よ、極楽世界に生れる人々はみな不退転の位に至る。その中には一生補処の菩薩たちもたくさんいる。その数は実に多く、とても数え尽すことができない。それを説くには限りない時をかけなければならない。
舎利弗よ、このようなありさまを聞いたなら、ぜひともその国に生れたいと願うがよい。そのわけは、これらのすぐれた聖者たちと、ともに同じところに集うことができるからである。

用語解説

※1 阿鞞跋致(あびばっち): 梵語アヴァイヴァルティカ(avaivartika)またアヴィニヴァルタニーヤ(avinivartanīya)の音写。阿惟越致(あゆいおっち)ともいい、無退・不退・不退転と漢訳する。退かないの意。すでに得たさとりや功徳、地位を決して失わないこと。菩薩の修道が進んで仏になることが定まり、再び悪趣や二乗(声聞・縁覚)や凡夫の位に退歩したり、悟ったところの菩薩の地位や法を失わないこと、またその位をいう。(Wikipedia)
※2 一生補處(いっしょうふしょ): 生死の世界につながれるのはこの一生だけで、次の世には仏として生まれることができる地位。菩薩としての最高位の等覚(とうがく)をいう。(三省堂大辞林)


仏説阿彌陀経 正宗分 勧念仏往生 6.不可少善根福徳(16行目後半)

白文(句点文)

舎利弗、不可以少善根福徳因縁得生彼國。

読み下し文

舎利弗、少善根福徳の因縁を以て彼の國に生ずることを得べからず。

現代語訳

舎利弗よ。わずかな良い徳を積んでも、かの国に生まれることはできない。

用語解説

少善根福徳(しょうぜんごんふくとく): 自力を励まして行うわずかな善根功徳。大善大功徳である念仏以外のすべての行。(Wikipedia)


仏説阿彌陀経 正宗分 勧念仏往生 7.執持名号(16行目後半〜18行目後半まで)

白文(句点文)

舎利弗、若有善男子・善女人、聞説阿彌陀佛、執持名號、若一日、若二日、若三日、若四日、若五日、若六日、若七日、一心不亂、専持名號、以稱名故、諸罪消滅。即是、多善根・福徳因縁。其人、臨命終時、阿弥陀佛、與諸聖衆現在其前。是人終時、心不顛倒、即得往生阿弥陀佛極樂國土。舎利弗、我見是利故、説此言。若有衆生、聞是説者、應當發願生彼國土。

※ 注) 青地色白ヌキ文字部分が、追加となった21文字。「襄陽の石碑の経」にならったものです。

読み下し文

舎利弗、若し善男子・善女人有て、阿彌陀仏を説くを聞て、名號を執持すること、若は一日、若は二日、若は三日、若は四日、若は五日、若は六日、若は七日、一心にして亂ぜず、専ら名號を持(たも)ち、名を稱するを以ての故に諸罪消滅す。即ち是れ多善根・福徳の因縁なり。其の人、命終の時に臨みて、阿弥陀仏、諸の聖衆と現じてその前に在しまさん。是の人終らん時、心顛倒せずして、即ち阿弥陀佛の極樂國土に往生することを得。舎利弗、我是の利を見るが故に、此言を説く。若し衆生有て、是の説を聞かん者は、當に發願して彼の國土に生るべし。

※ 注) 追加21文字がない場合の読み下しは、「一心にして亂ぜずんば、其の人、命終の時に臨みて〜」という感じです。

現代語訳

舎利弗よ、もし善良なものが、阿弥陀仏の教えを聞き、その名号を心にとどめ、あるいは一日、あるいは二日、あるいは三日、あるいは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日の間、一心にして乱れず、名号を専称すれば、その名を称えるが故に、諸罪が消滅する。即ちこれが多善根・福徳因縁というものである。その人が命を終えようとするときに、阿弥陀仏が多くの聖者たちとともにその前に現れてくれるのである。
そして、その人がいよいよ命を終えるとき、心が乱れ惑うことなく、ただちに阿弥陀仏の極楽世界に生れることができる。
舎利弗よ、わたしはこのような利益があることをよく知っているから、このことを説くのである。もし人々がこの教えを聞いたなら、ぜひともその国に生れたいと願うがよい。

※ 注) 21文字の追加は、ただひたすらに「南無阿弥陀仏」の名号を唱えることを強調したものといえるでしょう。

用語解説

執持(しつじ): しっかりととりたもつこと。親鸞はこれを阿弥陀仏の名号を信じ称えることと解釈。(Wikipedia)


仏説阿彌陀経 正宗分 勧念仏往生 8.執持名号 東方(18行目後半〜20行目前半まで)

白文(句点文)

舎利弗、如我今者讃歎阿彌陀佛不可思議功徳、東方亦、有阿閦鞞佛・須弥相佛・大須弥佛・須彌灮佛・妙音佛、如是等恒河沙數諸佛、各於其國、出廣長舌相、遍覆三千大千丗界、説誠實言。汝等衆生、當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念經。

読み下し文

舎利弗、我今阿彌陀佛の不可思議の功徳を讃歎するが如く、東方に亦、阿閦鞞佛※1・須弥相佛・大須弥佛・須弥光佛・妙音佛、是くの如き等の恒河※2沙數の諸佛ましまして、各其國に於いて、廣長の舌相※3を出し、遍く三千大千丗界に覆ひて、誠實の言を説きたまはく、“汝等衆生、當に是の不可思議の功徳を稱讃したまふ一切諸佛に護念せらるる經を信ずべし”と。

現代語訳

舎利弗よ、わたしが今、阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえているように、東方の世界にもまた、阿閦鞞仏・須弥相仏・大須弥仏・須弥光仏・妙音仏など、ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がおられ、それぞれの国で、ひろく舌相を示して、世界のすみずみにまであまねく阿弥陀仏の徳が真実であることをあらわし、まごころをこめて、“そなたたち世の人々よ、この不可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がお護りくださる経を信じるがよい”と仰せになっている。

用語解説

※1 阿閦鞞佛(あしゅくびぶつ): 梵語アクショーブヤ(Akşobhya)の音写。無動・無瞋恚(むしんに)と漢訳する。東方の現在仏。昔、大目如来のもとで発願・修行し、一切の瞋恚と淫欲を断つことを成就して正覚を得、今現に東方妙喜世界にあって説法しているという。(Wikipedia)
※2 恒河(ごうが): ガンジス川。
※3 廣長の舌相(こうじょうのぜっそう): 広長舌相は仏の三十二相の一。仏の舌は広く長くてその顔をおおうといわれる。ここでは三千大千世界をおおうとされている。仏が舌を出すのは教説が真実であることを証明する意味を持つ。(Wikipedia)


仏説阿彌陀経 正宗分 勧念仏往生 9.執持名号 南方(20行目後半〜21行目後半まで)

白文(句点文)

舎利弗、南方世界、有日月燈佛・名聞光佛・大炎肩佛・須弥燈佛・無量精進佛、如是等恒河沙數諸佛、各於其國、出廣長舌相、遍覆三千大千世界、説誠實言。汝等衆生、當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念経。

読み下し文

舎利弗、南方の世界に、日月燈佛・名聞光佛・大炎肩佛・須弥燈佛・無量精進佛、是くの如き等の恒河沙數の諸仏ましまして、各其の國に於いて、廣長の舌相を出し、遍く三千大千世界に覆ひて、誠實の言を説きたまはく、“汝等衆生、當に是の不可思議の功徳を稱讃したまふ一切諸仏に護念せらるる経を信ずべし”と。

現代語訳

舎利弗よ、また南方の世界にも、日月灯仏・名聞光仏・大炎肩仏・須弥灯仏・無量精進仏など、ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、まごころをこめて、“そなたたち世の人々よ、この阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくださる経を信じるがよい”と仰せになっている。

用語解説

大炎肩佛(だいえんけんぶつ): この石碑では大炎となっているが、一般には大焔と記す。読みも意味も同。


仏説阿彌陀経 正宗分 勧念仏往生 10.執持名号 西方(21行目後半〜23行目前半まで)

白文(句点文)

舎利弗、西方丗界、有無量壽佛・無量相佛・無量幢佛・大光佛・大明佛・寶相佛・淨灮仏、如是等恒河沙數諸佛、各於其國、出廣長舌相、遍覆三千大千世界、説誠實言。汝等衆生、當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念經。

読み下し文

舎利弗、西方の丗界に、無量壽佛・無量相佛・無量幢佛・大光佛・大明佛・寶相佛・淨灮仏、是くの如き等の恒河沙數の諸佛ましまして、各其國に於いて、廣長の舌相を出し、遍く三千大千世界に覆ひて、誠實の言を説きたまはく、“汝等衆生、當に是の不可思議の功徳を稱讃したまふ一切諸佛に護念せらるる經を信ずべし”と。

現代語訳

舎利弗よ、また西方の世界にも、無量寿仏・無量相仏・無量憧仏・大光仏・大明仏・宝相仏・浄光仏など、ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、まごころをこめて、“そなたたち世の人々よ、この阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくださる経を信じるがよい”と仰せになっている。

用語解説

淨灮仏(じょうこうぶつ): この石碑では灮となっているが、一般には光。灮は光の異体字。


仏説阿彌陀経 正宗分 勧念仏往生 11.執持名号 北方(23行目前半〜24行目後半まで)

白文(句点文)

舎利弗、北方世界、有炎肩佛・最勝音佛・難沮佛・日生佛・網明佛、如是等恒河沙數諸佛、各於其國、出廣長舌相、遍覆三千大千丗界、説誠實言。汝等衆生、當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念經。

読み下し文

舎利弗、北方の世界に、炎肩佛・最勝音佛・難沮佛・日生佛・網明佛、是くの如き等の恒河沙數の諸佛ましまして、各其國に於いて、廣長の舌相を出し、遍く三千大千世界に覆ひて、誠實の言を説きたまはく、“汝等衆生、當に是の不可思議の功徳を稱讃したまふ一切諸佛に護念せらるる經を信ずべし”と。

現代語訳

舎利弗よ、また北方の世界にも、炎肩仏・最勝音仏・難沮仏・日生仏・網明仏など、ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、まごころをこめて、“そなたたち世の人々よ、この阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくださる経を信じるがよい”と仰せになっている。


仏説阿彌陀経 正宗分 勧念仏往生 12.執持名号 下方(24行目後半〜25行目後半まで)

白文(句点文)

舎利弗、下方世界、有師子佛・名聞佛・名灮佛・達摩佛・法幢仏・持法佛、如是等恒河沙數諸佛、各於其國、出廣長舌相、遍覆三千大千世界、説誠實言。汝等衆生、當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念経。

読み下し文

舎利弗、下方の世界に、師子佛・名聞佛・名灮佛・達摩佛・法幢仏・持法佛、是くの如き等の恒河沙數の諸佛ましまして、各其國に於いて、廣長の舌相を出し、遍く三千大千世界に覆ひて、誠實の言を説きたまはく、“汝等衆生、當に是の不可思議の功徳を稱讃したまふ一切諸佛に護念せらるる経を信ずべし”と。

現代語訳

舎利弗よ、また下方の世界にも、師子仏・名聞仏・名光仏・達摩仏・法幢仏・持法仏など、ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、まごころをこめて、“そなたたち世の人々よ、この阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくださる経を信じるがよい”と仰せになっている。


仏説阿彌陀経 正宗分 勧念仏往生 13.執持名号 上方(25行目後半〜27行目後半まで)

白文(句点文)

舎利弗、上方世界、有梵音佛・宿王佛・香上佛・香光佛・大焔肩佛・雑色寶花嚴身佛・娑羅樹王佛・寶華徳佛・見一切義佛・如須彌山佛、如是等恒河沙數諸佛、各於其圀、出廣長舌相、遍覆三千大千丗界、説誠實言。汝等衆生、當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念經。

読み下し文

舎利弗、上方の世界に、梵音佛・宿王佛・香上佛・香光佛・大焔肩佛・雑色寶花嚴身佛・娑羅樹王佛・寶華徳佛・見一切義佛・如須彌山佛、是くの如き等の恒河沙數の諸佛ましまして、各其圀に於いて、廣長の舌相を出し、遍く三千大千丗界に覆ひて、誠實の言を説きたまはく、“汝等衆生、當に是の不可思議の功徳を稱讃したまふ一切諸佛に護念せらるる經を信ずべし”と。

現代語訳

舎利弗よ、また上方の世界にも、梵音仏・宿王仏・香上仏・香光仏・大焔肩仏・雑色宝華厳身仏・娑羅樹王仏・宝華徳仏・見一切義仏・如須弥山仏など、ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、まごころをこめて、“そなたたち世の人々よ、この阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくださる経を信じるがよい”と仰せになっている。

仏説阿彌陀経 正宗分 14.示現当利益(27行目後半〜30行目前半まで)

白文(句点文)

舎利弗、於汝意云何。何故名爲一切諸佛所護念經。舎利弗、若有善男子・善女人、聞是諸佛所説名及経名者、是諸善男子・善女人、皆爲一切諸佛共所護念、皆得不退轉於阿耨多羅三藐三菩提。是故舎利弗、汝等皆當信受我語及諸佛所説。
舎利弗、若有人、已發願、今發願、当發願、欲生阿弥陀仏の国字圀者、是諸人等、皆得不退轉於阿耨多羅三藐三菩提、於彼國土、若已生、若今生、若當生。是故舎利弗、諸善男子・譱女人、若有信者、應當發願生彼國土。

読み下し文

舎利弗、汝が意に於いていかん。何故ぞ名づけて一切諸佛に護念せらるる經と爲すや。舎利弗、若し善男子・善女人有て、是の諸仏の所説の名及び経の名を聞かんもの、是の諸の善男子・善女人、皆一切諸仏の爲に共に護念せられて、皆阿耨多羅三藐三菩提※1を退転せざることを得ん。是故に舎利弗、汝等皆當に我が語及び諸佛の所説を信受すべし。
舎利弗、若し人有て、已に發願し、今發願し、当に發願して、阿弥陀※2圀に生ぜんと欲はんものは、是の諸の人等、皆阿耨多羅三藐三菩提を退転せざることを得て、彼の國土に於いて、若しは已に生れ、若しは今生れ、若しは當に生れん。是故に舎利弗、諸の善男子・譱※3女人、若し信有らん者は、當に發願して彼の國土に生るべし。

現代語訳

舎利弗よ、そなたはどう思うか。なぜこれを「すべての仏がたがお護りくださる経」と名づけるのだろうか。
舎利弗よ、もし善良なものたちが、このように仏がたがお説きになる阿弥陀仏の名とこの経の名を聞くなら、これらのものはみな、すべての仏がたに護られて、この上ないさとりに向かって退くことのない位に至ることができる。ゆえに舎利弗よ、そなたたちはみな、わたしの説くこの教えと、仏がたのお説きになることを深く信じて心にとどめるがよい。
舎利弗よ、もし人々が阿弥陀仏の国に生れたいとすでに願い、または今願い、あるいはこれから願うなら、みなこの上ないさとりに向かって退くことのない位に至り、その国にすでに生れているか、または今生れるか、あるいはこれから生れるのである。
だから舎利弗よ、仏の教えを信じる善良なものたちは、ぜひともその国に生れたいと願うべきである。

用語解説

仏の国字

※1 阿耨多羅三藐三菩提(あのく・たら・さんみゃくさんぼだい): 梵語アヌッタラ・サンヤク・サンボーディ(anuttara-samyak-saſbodhi)の音写。阿耨菩提(あのくぼだい)と音略され、無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)・無上正真道(むじょうしょうしんどう)・無上正遍知(むじょうしょうへんち)などと漢訳する。この上ない仏のさとり。(Wikipedia)
※2 : この字は、当石碑においては、右のような国字で彫られている。「西の國から来た人(にんべん)」で、仏の意味で示したと思われる。
※3 : 善の異体字。

仏説阿彌陀経 15.流通分(30行目後半〜32行目後半まで)

白文(句点文)

舎利弗、如我今者稱讃諸佛不可思議功徳、彼諸佛等亦、稱説我不可思議功徳、而作是言、釋迦牟尼佛、能爲甚難希有之事、能於娑婆國土五濁惡世、刼濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁中、得阿耨多羅三藐三菩提、爲諸衆生、説是一切世間難信之法。
舎利弗、當知我於五濁惡世、行此難事、得阿耨多羅三藐三菩提、爲一切世間、説此難信之法。是為甚難。

読み下し文

舎利弗、我今諸佛の不可思議の功徳を稱讃するが如く、彼の諸佛等も亦、我が不可思議の功徳を稱説して、是言を作す、“釋迦牟尼佛、能く甚難希有の事を爲して、能く娑婆國土の五濁※1惡世、刼濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁の中に於いて、阿耨多羅三藐三菩提を得て、諸の衆生の爲に、是の一切世間難信の法※2を説きたまふ”と。
舎利弗、當に知るべし、我五濁惡世に於いて此の難事を行じて、阿耨多羅三藐三菩提を得て、一切世間の爲に、此の難信の法を説く。是を甚難と為す」※3と。

現代語訳

舎利弗よ、わたしが今、仏がたの不可思議な功徳をほめたたえているように、その仏がたもまた、わたしの不可思議な功徳をほめたたえてこのように仰せになっている。
“釈迦牟尼仏は、とても難しく世にもまれな尊い行いを成しとげられた。娑婆世界はさまざまな濁りに満ちていて、汚れきった時代の中、思想は乱れ、煩悩は激しくさかんであり、人々は悪事を犯すばかりで、その寿命はしだいに短くなる。そのような中にありながら、この上ないさとりを開いて、人々のためにすべての世に超えすぐれた信じがたいほどの尊い教えをお説きになった”
舎利弗よ、よく知るがよい。わたしは濁りと悪に満ちた世界で難しい行を成しとげ、この上ないさとりを開いて仏となり、すべての世界のもののためにこの信じがたいほどの尊い教えを説いたのである。このことこそ、まことに難しいことなのである」

用語解説

※1 五濁(ごじょく): 末世(まつせ)においてあらわれる避けがたい五種の汚れのこと。
(1)劫濁(こうじょく)。時代の汚れ。飢饉や疫病、戦争などの社会悪が増大すること。
(2)見濁(けんじょく)。思想の乱れ。邪悪な思想、見解がはびこること。
(3)煩悩濁(ぼんのうじょく)。貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)等の煩悩が盛んになること。
(4)衆生濁(しゅじょうじょく)。衆生の資質が低下し、十悪をほしいままにすること。
(5)命濁(みょうじょく)。衆生の寿命が次第に短くなること。(Wikipedia)
※2 難信の法(なんしんのほう): 自力をもっては決して信ずることができない法門の意で、この経に説かれた念仏往生の教えを指す。この教えは、世間の道理を超越しているから、世間の常識や自力心では、はなはだ信じ難い法ということ。そのことはまたこの法の尊高をあらわしている。(Wikipedia)
※3 〜是を甚難と為」: この“」”までが、正宗分の冒頭 2.讃極楽依正 の“「”より始まる釈尊の言葉。


仏説阿彌陀経 16.流通分(結語)(32行目後半〜33行目まで)

白文(句点文)

佛、説此經已、舎利弗及諸比丘、一切丗間天・人・阿修羅等、聞佛所説、歡喜、信受、作禮而去。
仏説阿弥陀経

読み下し文

仏、此の經を説きたまふこと已りて、舎利弗及び諸の比丘、一切丗間の天・人・阿修羅等、佛の所説を聞きて、歡喜し、信受して、禮をなして去りにき。
仏説阿弥陀経

現代語訳

このように仰せになって、釈尊がこの教えを説きおわられると、舎利弗をはじめ、多くの修行僧たちも、すべての世界の天人や人々も、阿修羅などもみな、この尊い教えを承って喜びに満ちあふれ、深く信じて心にとどめ、うやうやしく礼拝して立ち去ったのである。
仏説阿弥陀経

17.無量壽佛説往生浄土咒(34行目〜35行目まで)

白文(句点文)

無量壽佛説往生浄土咒
南無阿弥多婆夜、哆他伽哆夜、哆地夜他、阿弥唎都娑毗、阿弥唎哆、悉耽婆毗、阿弥唎哆、毗迦蘭帝、阿弥唎哆、毗迦蘭哆、迦弥膩、伽伽那、枳多迦隷、娑婆訶

漢訳

仏説阿弥陀経にはないので鳩摩羅什の訳はありませんが、Wikipedia 中国版に漢訳が掲出されていました。以下。
南無阿弥多婆夜。哆他伽哆夜。→ 歸命無量光佛如來
哆地夜他。→ 即說咒曰
阿弥唎都婆毗。→ 甘露主
阿弥唎哆。悉耽婆毗。→ 甘露成就者
阿弥唎哆。毗迦蘭帝。→ 甘露灑播者
阿弥唎哆。毗迦蘭多。→ 甘露灑遍者
伽弥膩。伽伽那。→ 遍虛空宣揚者
枳多迦利。娑婆訶。→ 聲聞造作者成就圓滿

読み方

南無阿弥多婆夜(ナムオミトボヤ)哆他伽哆夜(トトギャトヤ)哆地夜他(トニヤト)阿弥唎都娑毗(オミリッポミ)阿弥唎哆(オミリト)悉耽婆毗(シタポミ)阿弥唎哆(オミリト)毗迦蘭帝(ピギャラチ)阿弥唎哆(オミリト)毗迦蘭哆(ピギャラト)迦弥膩(ギャミニ)伽伽那(ギャギャノ)枳哆迦隷(シトギャリ)娑婆訶(ソモコ)

無量壽佛説往生浄土咒の割り注「上聲」

解説

前述したように、「無量壽佛説往生浄土咒」は、往生咒(おうじょうしゅ)、往生浄土神咒ともいわれています。
推定ですが、仏説阿彌陀経(『小経』)に対する佛説無量壽経(『大経』)の一部なのではないかと思います。
神咒部分は本来90字ですが、このうち、「往生咒」に相当する15句59字が、実際に読誦されるべきもので、
残りの31字は、発音や句切りを指定する割り注 であるとされています。(臨済宗妙心寺派教学研究紀要より)
ところが、この碑文では60文字あり1文字多く彫られています。上記「」と記した文字ですが、
実際は「上聲」と2文字を横に並べた妙な文字になっています(右拓本参照 →)。
これは上記の発音の割り注ではないかと推定されます。声を上げる・・・ここから声高に唱える・・・とか?
仏説阿彌陀経を60字で彫ったので、律儀に文字数を合わせるためにこの文字を挿入したのでしょうか。
それとも、この 割り注 だけに何か特別な意味合いがあるのでしょうか。

18.(奥書)(36行目後半〜37行目まで)

文政十二年己丑十二月建乎下總州相馬郡瑞龍山来見禪寺 二十二世觀了代 江戸 南無佛庵主中村景蓮書并題額
窪世祥拝刻

解説

白文ではありますが、読み下し文を付けるほどのものではありません。ただ、2ヵ所ほど疑問点があります。
ひとつは、文政12年(1829)12月の建立時期。総州六阿弥陀詣納経所来見寺 でも説明しましたが、
建立前の文政11年(1828)にこの碑を紹介している和本「総州六阿弥陀詣西村屋与八版」が既に刊行されていることです。
この時差は、後述する碑陰の奥書でさらに拡大します。和本はやはり石碑建立途中・しかも初期での記事と思われます。

もうひとつの疑問点は、「二十二世觀了代」。
来見寺の住職の名前ですが、来見寺歴代住職 で紹介した古文書では、22世は末山和尚となっています。
しかし、天保5年(1834)に遷化した末山和尚が住職に就いたのは、わずか2年前の天保3年(1832)。
では、その前の21世承天和尚はというと、文政3年(1820)に遷化しており、この間12年ほど空白になっています。
つまり、この石碑造立時期(1829)の住職が不明です。「22世觀了」は正しく、末山和尚は23世の誤りかも知れません。

碑陰

碑の裏面は、表ほどの文字量ではありませんが、それでも縦41文字、22行で、約850文字彫られています。
写真を掲載したいところですが、碑裏には植え込みがあり、何度かチャレンジしようと思いましたが撮影はあきらめました。

内容に関しては、tanupon 所属会員の拓本・解読と『文化学芸碑』、赤松宗旦の『布川案内記草稿』を参考に紹介します。
碑文は、願主星野一楽の友人である荻埜長(楳塢野長)による撰文ですが、随所に闕字(けつじ)が見られます。
闕字とは、天皇や幕府・寺社に関する言葉の前で、敬意を払うため、1文字〜3文字分、空白をあけることですが、
ここでは、都合12ヵ所も闕字があります。すべて、徳川家康もしくは徳川幕府関連への敬意としてのものです。

また、碑表と同様、向かって左上に都合12文字の欠損部分(赤字)がありますが、『布川案内記草稿』で補完しました。
また、青字は、楳塢野長による、碑文内での星野一楽の発言の引用部分。内紫字は徳川家康の言。

碑陰の白文

聞造経憧願主一樂居士言曰下總州相馬郡布川村瑞龍山來見者村中古刹也寺乗以爲基於永禄三
年二月十一目本郡府河城主豊島頼継開創城主夙慕洞山門風聞下妻多寶院四世獨峯和尚在小田
原最乗日有降魔瑞而屈請和尚以爲開山第一座開堂日實有神龍澍雨之瑞故以爲山號取城主諱以
充寺號表轉輪不退徳三卋日山和尚者參州岡崎人既爲龍海院住侶也以是故盖與
□□□官有舊知
以慶長九年三月十五目賜寺領
御朱印某年御狩之日□□□輿輦臨本院賞寺庭松樹與寺外河
水廻流委蛇如敷白布曰府河布川頼継來見呼音相近今日來見白布廻流賞寺庭松樹矣寺稱來見府
河呼布川而可也
命同朋全阿彌傳□□□御旨於住持僧替庭松樹以御愛梅樹輦松樹移植之
□□□御本城今本院所尊崇御松替梅者即是也當時拜賜文衡山画幅及御饌點茶供具等寶
戴于本院
云居士語如是也居士俗稱星野甚兵衛號一樂為入孝友篤實夙欽司馬公家訓之語有積徳
于冥中意頗信真乗文政六年十月罹重痾醫藥不効喘々一息忽感念佛屏藥癡臥誦佛號一倶胝徧遂
得宿疾頓消心力倍舊次村中失火延及居士家為募結社持號故不在家風急火熾不可嚮邇而復乏救
火備屋後庫藏依然得特全矣盖大聖加持之其一也七年二月從母孺人禮東都六阿彌陀信念益萌配
本邑徳満寺等十一院擬都下六聖以便緇素巡禮居士復書寫佛名二千有餘日矣或修融通三昧而課
遠近見聞緇素男女同共誦念阿彌陀佛名己満足億百萬遍焉所謂本州相馬印旛二郡布川村等六十
八村等幹事者廿二名是其一結衆也願成業卒之後竊志欲為擬報答四恩昇脱結衆存亡同益廣被沙
界皆成佛種造立阿彌陀經石憧於御松替梅樹前矣於是属東都聞人佛庵老宿謄寫尊経令工世祥
鐫字居士自製俳諧以立句碑于墳院徳満寺其句義與彼蓮華勝會自相合亦奇中奇盖大聖加持之其
二也是此一句永與石經期榮於三會龍華施及利樂于無窮者是大聖加持之其三也鳴呼三者盛矣美
哉佛庵名景蓮字蓮世爲參州以來御家人今経即據襄陽経本宗像之古碑而書之即比考通本則増
二十一字者是也經以佛庵雄名傳無彊碑以居士篤信堅於金石此言不肯質諸六方恒沙大僊咦
文政十三年三月三日浄業社末荻埜長謹撰於楳塢精舎賜號南無佛庵中村入道景蓮書時年八十

碑陰の読み下し文

聞くならく。造経憧※1の願主、一樂居士言って曰く。下総の州相馬郡布川村瑞龍山來見は、村中の古刹也。寺乗以て永禄三年二月十一日を基(もとい)と爲す。本郡府河の城主豊島頼継、開創す。城主夙に洞山・門風を慕い、下妻多寶院四世独峯和尚が小田原最乗に在るの日、降魔の瑞有るを聞て、て和尚を屈請※2し、以て開山第一座と爲す。開堂の日、實に神龍澍雨の瑞有り。故に以て山號と爲し、城主の諱を取て、以て寺号に充(あ)つ。転輪不退の徳を表す。三卋日山和尚は參州岡崎の人なり。既に龍海院の住侶爲る也。是の故を以て盖(けだ)し 官※3と舊知あり。慶長九年三月十五日を以て寺領 御朱印を賜う。某年 御狩の日 輿輦※4本院に臨む。寺庭の松樹と寺外の河水を賞し、廻流委蛇※5として白布を敷くが如し。曰く府河は布川、頼継は來見と呼び、音相(あい)近し。今日来りて白布の廻流するを見て、寺庭の松樹を賞す。寺は來見と稱し、府河は布川と呼て可なりと。乃ち、同朋全阿彌に命じて、 御旨を住持の僧に傳え、庭の松樹を替るに、 御愛の梅樹を以てす。松樹を輦(ひ)きて、これを 御本城に移植す。今本院に尊崇する所の御 松替の梅 は即ち是なり。當時拜賜の文衡山※6の画幅及び 御饌點茶(てんちゃ)の供具等を本院に寶戴すと云う。居士の語是の如きなり。
居士俗稱を星野甚兵衛、一樂と號す。人となり孝友篤実、夙に司馬公の家訓※7の語を欽(うやま)い、積徳は冥中に有り、意頗る真実。文政六年十月に乗じ、重痾に罹り、醫藥効あらず、喘々一息して、忽ち念佛を感じて、藥を屏(しりぞ)け癡臥(ちが)し、佛號を誦す。一倶胝※8遍遂に宿疾頓(とみ)に消え、心力舊に倍す。次に村中の失火延びて、居士が家に及ぶ。結社持號を募るため、故に家に在らず。風急にして火熾(さか)んに嚮(むか)うべからず。邇(ちかづ)きて復火より救うに乏し。屋後に庫蔵を備う。然るに依り特(ひと)り全きを得たり。盖し大聖の加持の其の一つ也。
七年二月母と孺人※9を從え、東都六阿彌陀※10を禮し、信念益(いよいよ)萌(もえ)ゆ。本邑徳満寺等十一院※11を配して、都下の六聖に擬(なぞら)う。以て緇素※12巡禮居士に便(べん)す。復佛名を書寫すること二千有餘日なり。或いは融通三昧を修して遠近見聞を課して、緇素の男女同じく共に阿彌陀仏名を誦念す。已に億百万遍を満足す。所謂本州相馬印旛二郡布川村等六十八村等の幹事は廿二名なり。是其の一結衆也。成業を願い之を卒えて後、竊(ひそ)かに志は四恩※13に報答し、結衆を昇脱し、同益を存亡し沙界※14を廣被し、佛種を皆成するに擬するを為さんと欲し、阿彌陀經石憧を 御松替の梅樹の前に造立す。是に於いて、東都の聞人※15佛庵老宿に属して、尊経を謄寫し、工、世祥に字を鐫令む。居士自ら俳諧を製(つく)り、以て句碑を墳院徳満寺に立つ。其句義と彼蓮華勝會と自ら相合うも亦奇中の奇なり。盖し大聖加持の其の二也。
是この一句を永く石経と与に榮を三會龍華※16施に期し、利樂を無窮に及ぶは是大聖加持の其の三也。嗚呼三者盛なり。美なる哉。
佛庵名は景蓮、字は蓮世、參州以来の 御家人、今、経は即ち襄陽経本宗像の古碑※17に據(よ)り之を書せり。即ち通本に比考すれば、二十一字を増すは是なり。經は仏庵の雄名を以て無疆(むきょう)に伝う。碑は居士の篤信を以て金石よりも堅し。此言、諸六方恒沙大遷に質すを肯(がえ)んぜず咦。  文政十三年三月三日 浄業社末、荻埜長楳塢精舎に於いて謹撰す。   賜号南無佛庵中村入道景蓮書。時に年八十なり。

用語解説

※1 経憧(きょうしょう): 写経を埋めたところに建てる石柱。(ここでは総州六阿弥陀詣番所の石柱を指すものと思われる)
※2 屈請(くっしょう):(法会などのために)僧を招くこと。(Kotobank)
※3 : 3文字あけて、貴人を指している。ここでは徳川家康公。
※4 輿輦(よれん): 一般には輦輿(れんよ)。轅(ながえ)を肩に当てて移動する輿(こし)。
※5 委蛇(いい): 曲がりくねって長々と続くさま。いだ。(goo 辞書)
※6 文衡山(ぶんこうざん): 文衡山=文徴明(ぶんちょうめい)。成化6年(1470)−嘉靖38年(1559)。中国明代中期に活躍した文人。詩書画に巧みで三絶と称され、画は、沈周・唐寅・仇英とともに明代四大家に加えられた。赤松宗旦草稿ではこの部分が欠落している。書写し忘れか。(Wikipedia)
※7 司馬公の家訓(しばこうのかくん): 司馬公=司馬温公。天禧3年(1019)−元祐元年(1086)。中国北宋の政治家・学者。家訓に「金や書物を子孫に残すよりも、人目につかないところで善行を続けることが子孫繁栄の方法である」。
※8 倶胝(くてい): 仏語。数の単位で、10の7乗。1000万。億とする説もある。(Kotobank)
※9 孺人(じじん): 中国語で大夫の官位にある人の妻。ここでは、一楽の妻を指す。
※10 東都六阿彌陀(とうとろくあみだ): 武州六阿弥陀詣 のことか。
※11 本邑徳満寺等十一院総州六阿弥陀詣 に当てた11寺。6ヵ所ではなく11ヵ所 参照。
※12 緇素(しそ): 「緇」は黒、「素」は白の意。僧と俗人。僧俗。(goo 辞書)
※13 四恩(しおん): 仏語。中国宋の道誠の『釈氏要覧』では、父母の恩、師長の恩、国王の恩、施主の恩。ほかに、父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三宝の恩などの説もある。(Kotobank)
※14 沙界(しゃかい): 仏語。ガンジス川の砂の数のように無量無数にある世界。(goo 辞書)
※15 聞人(ぶんじん): 名のきこえた人。有名な人。(Kotobank)
※16 三會龍華(さんえりゅうげ): りゅうげさんえ(竜華三会)と同。釈迦入滅後五十六億七千万年の後、弥勒菩薩がこの世界に現れ、竜華樹の下で悟りを開き、衆生のために三度法会を開いて、釈迦の教化にもれたものを救うこと。弥勒三会。慈尊三会。竜華会(りゅうげえ)。竜華。(三省堂大辞林)
※17 襄陽経本宗像の古碑: 碑表で前述した 21文字多い仏説阿彌陀経 参照。
※18 荻埜長: 楳塢は号。星野一楽の友人。琴平神社の入口石段途中の 五大明王の石碑 も彼の撰文による。

石碑の完成日は?

碑陰は、阿弥陀経の内容より、願主星野一楽の総州六阿弥陀詣の石碑建立の経緯を中心に記されています。
唯一仏説阿弥陀経に関連があるとしたら、21文字追加に関して仏庵が襄陽経本宗像の古碑を書写したというくだりです。
前半は、一楽のことではなく、徳川家康との関連で来見寺がこの碑を立てるにふさわしい名刹であることを示しています。

さて、碑表の揮毫の日付は、文政12年(1829)12月ですが、碑陰はそれよりさらに3ヵ月遅れた翌年3月。
裏表で3000字もの大量の文字を鐫るのは並大抵のことではないことでしょう。名石匠窪世祥ならではの仕事です。
日付が撰文した日とすれば、実際に石碑が完成したのは、もっと後だったのではないでしょうか。とすれば・・・。
この碑の完成の暁を見ずして、総州六阿弥陀詣の案内和本が早くから刊行されたのではないかという思いを強くしました。

台石

さて、『利根町の文化学芸碑』第2集では、石碑の台石に記された世話人の名を一部、調べていますので紹介します。
当所では、菜日庵(杉野)東山・五水庵(古田)月船の名前が見られます。東山は、仏庵の揮毫をどう見ていたのでしょうか。

[台石右側面]

相馬郡(村名省略)

[台石裏面]

印旛郡(村名省略)

[台石左側面]世話人

当村:新井治右工門・渡辺□□□□・中野徳右工門・高津半四郎・岸本兵左工門・渡辺新助
布佐:寺田平太
亀成:荒井伊右工門
発作:腰川山三郎・腰川五平治
竹袋:山崎半右工門
福木:片岡金蔵
当所:□沢伊八・□居清六・□井半四郎・□巻弥右工門・□村清右工門・香取新兵エ・岡田勘兵工・菜日庵東山・五水庵月船・酒屋□□


(13/09/18) (撮影 12/05/18・05/05/19)