タヌポンの利根ぽんぽ行 布川神社臨時大祭2

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目  次


ここでは 初日の布川神社臨時大祭 に続いて2日目の見所の概略を順に紹介しましょう。

2日目は、時代物の和服で山車の巡回を各地区に使者が知らせる「大廻り」の儀式。
そして盛大な夜の 山車の競演

ちなみに最終3日目は、再度の 等の儀式、神輿の渡御
さらに夜、大団円の再度の 山車の競演、熱狂的な 花火 潜り、
そして、厳かに布川神社 神輿納め の儀式で締めくくります。


2日目、昼大廻り、夜山車競演

2005年の大当番は内宿区

御仮殿(おかりや)と神輿

前夜、初日に、内宿の集会所
「御仮殿(おかりや)」に
左図のように神輿は納められました。
(画像クリックすると中央が拡大)

神輿の前には、
同様に運ばれた「矛」と「榊」、
そして神輿の両脇に
「獅子頭」が置かれています。
布川神社の提灯も見えますね。

2日目の朝9:30から、
この御仮殿にて、初日と同様の
参拝、修祓、玉串奉奠などの
儀式が執り行われましたが、
ここではその模様は割愛します。

陸橋下の広場に設置されたオブジェ

内宿が2005年の「大当番」であることは、
集会所からすぐ近くの陸橋下の広場に設置された
オブジェの裏にも明記されています。
(前面からの画像は前に紹介)
なお当番は内宿と宮本で交互に担当するとのこと(注参照)。

これは最終日に布川神社に奉納する注連縄を飾ったものです
大祭の正式名称である「布川神社臨時大祭」も記されていますね。

→ 後日談ですが・・・
聞くところによれば、本来はやはり「臨時」のつかない
「布川神社大祭」が毎年、開催されていたようです。

ところが神輿の担ぎ手が少なくなったり、またかなりの経済的負担があるため
一度、少し期間を開けて開催することを地区で決めたそうです。
それがたまたま3年後ということだったので、当初「臨時」という名が付けられたということですが、
それ以降、3年に1度が「恒例」となっても「臨時」の名が残ってしまったというのだそうです。(05/08/12追記)

注)当番ですが、従来までが内宿と宮本で交互に、ということでしたが、今後は6地区順に当番が変わっていくとのことです。
次回2008年は宮本(宮若)地区が大当番。最近、ご厚誼いただいた方の地区なので、次回もリキ入れて取材いたします。
なお、そのご夫婦は美男美女。奥様も神輿を担いでおられた由。ぜひ撮りたかったですね、残念。

そして、かねがね???と思っていたのですが、「宮本」とはどの地区を指すのか、ということです。
利根町史をみても「宮本」という町・村とか地名は見つからないし・・・。ところが・・・。

宮=布川神社であり、本とはそのお膝元(本)であること。

なるほど宮本とは、古くからある神社前の地区である馬場などを含めた一帯が、次元を超えて、
布川神社(=宮)の元(=本)にある地域、ということになり、
旧地名とは別に「宮」の「元」という意味で呼ばれているらしいのです。。
これはまさに、本家本元、主催者、なのですね。これでようやく分かりました。失礼いたしました。(05/08/21追記)

大廻り

大廻り出発

ちょうど3時に利根町商工会館前から
「大廻り」の一行が出発したのですが、
2.3分前にスタートしたようですね。

「大廻り」とは・・・
昔ながらの和服の正装で当該地区に
山車がこれから廻っていくことを
お知らせするための儀式・・・
ということです。
まあ、分かりきったことなのですが、
それが儀式というものでしょう。

出遅れたタヌポンが駆けつけたときは
出発直後、撮れたのは後姿だけ。

まだ3時になったばかりなので
なにかほかに式典があるのかと思って
立ち尽くしていたのですが、一行は
どんどん先に進んでいくばかり(笑)。

商工会館前にいた人に聞くと、もう「大廻り」は出発してここではなにも催しはないとのこと。

せっかくご近所の家のご兄弟が「使者」となって先陣をきるということで写真を撮ろうとしていたのに残念です。

でも、内宿に戻って待機していれば一周して戻ってくるはず。少し近辺をふらふらしながら待って見ることにしました。
その間、6地区の山車がそれぞれあちらこちらを巡回しているのを見かけました。

山車は綱を引っ張って動かすのですね。2つの道から鉢合わせになることもあります。(右)

山車を引っ張る 山車を引っ張る遠景

乗って踊ったりお囃子を奏でたりする人もたいへんですね。

陸橋の下で 山車

もうかれこれ1時間以上経ちましたか、やっと「大廻り」一行が戻ってきました。

「大廻り」の一行 「大廻り」の一行

明治か大正時代に戻ったような感じがしますね。この出で立ちだと青年も立派な大人に見えます。

「大廻り」の一行 「大廻り」の一行

山車(屋台)の競演

山車(だし)と屋台

三省堂「大辞林 第二版」によれば山車とは・・・神社の祭礼のときに引く、種々の飾り物をつけた屋台。
その中心の鉾(ほこ)の先につけた編み残しの竹を垂らした籠(かご)を「出し」といったのが名の由来。
大阪を中心とした関西では、「壇尻(だんじり)」「山(やま)」などとも。山車というのはどうも当て字のようですね。

この山車が最初に出現したのは室町時代の京都の祇園祭りからといわれていますが、その後江戸時代に全国にひろまり
山笠(やまかさ)、曳物(ひきもの)など地域によって種々の名前や形のものが現れるようになりました。

一般に、家の形をしているのを屋台、矛や薙刀などを飾ったものを山鉾と言っているようですが、
壮麗な何トンもの大型のものを「鉾」、台上の趣向で特徴を出す1トン程度の小型を「山」というふうに分類しているようです。

ちなみに利根町の山車は「屋台」ということになります。
「屋台」というと、どうもおでんやラーメン屋さんの屋台を思い浮かべますが、神事のこちらのほうが元祖ということですか。

さて、初日、布川神社の石段下の広場で神輿のもみ合いを受けた6町区6基の屋台、その夜の華麗な競演をご覧ください。
場所は常陽銀行利根支店の駐車場で19:00から開催されました。

内宿(内若)

内宿(内若)の山車 内宿(内若)の山車

宮本(若宮)

宮本(若宮)の山車 宮本(若宮)の山車

上柳(上若)

上柳(上若)の山車 上柳(上若)の山車

下柳(やなぎ)

下柳(やなぎ)の山車 下柳(やなぎ)の山車

中宿(なか)

中宿(なか)の山車 中宿(なか)の山車

浜宿(はま)

浜宿(はま)の山車 浜宿(はま)の山車

中宿は本来は東京から人間国宝の名人の出演を予定していたそうですが、急な都合でそのご子息が代理でこられたとか。
煙を出したり、最後には風船を飛ばしたりとなかなか多彩な演出を見せてくれました。
また、浜宿は、屋台の周囲に提灯がなく少し寂しい感じがしましたが、どうしてどうして、はしごなどを用いた派手な舞い。
観客も盛んな拍手を送っていました。

花火

花火

そうこうするうちに屋台の若衆が
何か棒に付いた縄梯子のようなものを取り出してきました。

すると周りの観客がそれから一定の距離を置くように
さっと下がります。
よく分からないタヌポンは「危ないですよ、下がって」
なんて注意されます。

「何ですか?」と聞くと
「花火です」

なるほど。

しかし、こんな質問をするのはよそもののタヌポンぐらいですね。

周囲の若者は、何か興奮して飛び上がったり、奇声をあげたりしています。その理由はすぐに分かりました。
(でも、こんなこと、いまはほかでもみんなやっていることなんですか?)

御輿渡御1鳥居から出た後

うわーっ、いまの花火って
こんなことやってるんですか。

知りませんでした。

いやー、タヌポンがもう少し若ければ、あの火の粉の飛び散る中を・・・
うーん、どうかな、臆病だからなあ。

お土産もあります

花火が一段落してもう終わりかな?と思っていると、屋台に向かってみんなが盛んに手を上げて何か叫んでいます。
なんかお菓子を投げているんですね。うわーーーっ、どうしよう、うまく取れるかなあ。

山車の上から 山車の上から
お菓子

すごいねえ、おばさん。ひとりでそんなに!

タヌポンなんか下に落ちたの1コだけですよ。

あれっタヌポンの奥さん、2つも?いつのまに?
みんなしっかりしてるなあ。

お菓子は何だって?
えーーと、どらえもんのチョコバーみたいだなあ。

こうして熱狂的な夜は更けていくのでした。

花火の夜 花火の夜

布川神社臨時大祭3日目に続く)


(12/06/22 目次改訂) (05/08/03) (撮影05/07/30・05/07/31)