タヌポンの利根ぽんぽ行 羽根野地区

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目  次


更新経過

2013年より石造物データをページ末に掲載するため
各コンテンツを順次見直ししていくことにしました。
ここ羽根野地区も再訪問したのですが、夕方で時間もなく、石仏サイズを測る程度。
地中に埋もれた石仏もそのままで、成果はほとんどなく・・・。(15/04/14)


あれから、約7年。羽根野地区全体でのメイン施設と言えば「諏訪神社」で、
これは別の単独のコンテンツを作成し、順次更新を重ねて、
現在、かなりボリュームのある内容になりましたが、
本コンテンツは、内容が希薄なまま、更新していませんでした。

今回、目次改訂に当たって、若干、肉付けし、タイトルも羽根野地区と変更。
ただ、まだボリューム感はないので、将来的には、
石仏の種類等の解説などを加えようかと企図しています。(12/05/07)


2004年に本サイト(タヌポンの利根ぽんぽ行)を開設したのですが、
それ以前から、羽根野地区は利根川・小貝川遊歩道の次に向かうタヌポンの散歩道でした。
その途中にある集会所に、奇妙な祠があり、当初はそれが何なのか分からないまま、
それでもお正月のときなどはお賽銭をわずかですが置いていたりもしていたのです。

これが四郡大師であることは、サイトを開設後になってなんとなく分かったこと。
それからしばらくして、2005年夏に諏訪神社との間にもうひとつ、
何年間も気がつかずにいた民家の大師様も、まったく偶然に発見。
それを機に、本コンテンツを作成しました。(05/08/25)


利根町北西部マップ

利根町北西部マップ

のどかな散歩道

利根川遊歩道を北に向かい、小貝川との合流地点からさらに北へ。
小貝川架かる戸田井橋まで行かずに右にそれ、諏訪神社方面に向かう小路。
この小路は、タヌポンのお気に入りの散歩道です。なんてったって、クルマの往来がないですからね。

諏訪神社方面に向かう小路 諏訪神社方面に向かう小路
諏訪神社方面に向かう小路

幅2mほどの道をゆっくりと東へ。
ときどきネコがあくびをしながら
長閑に横切っていきます。

その向こうの小さな交差点の隅に
なにか祠のようなものが見えてきます。

これが、四郡大師の祠。
背後に、羽根野集会所の建物があります。

四郡大師と羽根野集会所

大師83番

大師堂

四郡大師の83番札所ですと、
いまでこそ明言できますが、
サイト開設当初はこれが何か
皆目分かりませんでした。
四郡大師とは?/→ 四郡大師とは

札所番号は下左写真で。
祠の中をよくみれば、
「南無大師遍照金剛」である、
空海の像が安置されています。

最近になっていろいろなことが
少しずつ分かってきましたが、
不明なことはまだまだあります。

右脇の改築記念碑にしても、
改築されたのは集会所なのか、
大師堂なのか。それとも両方なのか。
いまだに分かっていません。

大師堂83番札 大師像

大師像本体: 高32cm、幅31cm、厚15cm。

さて、祠の下のほうを見ると、何か四角い石のようなものがありますね。なんでしょう?

札所塔

四国霊場の石塔

四国88ヵ所巡りにあやかった四郡大師ですから、
こうした本家本元の四国の霊場に関する石塔類が、
大師堂のそばに建てられていることがよくあります。

地中に少し埋まっていますが、表面「四國靈場
下の左右側面に刻まれた文字等から推測すると・・・。

右側面は「□政二卯三月吉日」。
「□」の文字部分が半分欠損していますが、
下に「卯」の文字が見えますので文政年間と推定できます。
従って造立は、文政2年(1819)3月。

左側面は、「讃州」(さんしゅう)とありますが
これは、現在の香川県(一部島等を除く)を指します。

四国霊場の石塔右側面 四国霊場の石塔左側面

香川県の霊場だけを訪問したというよりは、83番札所のことを示しているものと思われます。
すなわち、四国八十八ヵ所霊場の83番札所は、まさしく下記の香川県のお寺。

神毫山 大宝院 一宮寺 (しんごうざん だいほういん いちのみやじ)
所在地は、香川県高松市一宮町607

ちなみに御詠歌は、讃岐一 宮の御前に 仰ぎ来て 神の心を 誰かしら言ふ

さて、この石柱は、実際に四国の霊場を訪問した記念のものか。
それとも、この羽根野大師堂の建立記念のものなのか・・・。

四郡大師200ヵ所開設し終えたのが1818年で、文政2年はその翌年ということから考えると、
この石塔は、やはり、羽根野大師堂建立記念のものではないかと推測しますが、真相は・・・。

石塔本体: 高40cm(地上分のみ)、幅23cm、厚16cm。

集会所改築記念碑

大師堂のすぐ前に建っている記念碑。「改築記念碑」と記されているので、最初大師堂の改築と思ってしまいました。
でも、よく見ると、その文字のすぐ左に小さく、「注ェ野集会所」とあります。
「なんだ、大師堂自体の改築記念碑ではないのかあ」と思いましたが・・・。

本体: 高97cm、幅46cm、厚9cm。

集会所改築記念碑 集会所改築記念碑背面

碑の裏を見ると、「昭和四十五年一月三日竣工」とあり、昭和45年(1970)の建立が分かりますが、
集会所建物の様子と大師堂自体の見た目からは、大師堂を含めた改築なのかどうか判断できません。
羽根野集会所と銘記されている以上、集会所だけの改築記念碑と素直にみればいいのでしょうが、
その場合、碑の建っている位置がヘンだなあ、と思うわけです。
これでは、いかにも大師堂が改築されたかのようなイメージがあります。
ですから、タヌポンは集会所と大師堂の両方の可能性もあるのかなと。
でも、その場合は、「大師堂改築記念碑」というタイトルになるのでしょうね。

それとも、実は、これは「大師堂改築記念碑」であり、「羽根野集会所」は、いわばその建立管轄団体という意味?
この地域のだれかに聞けば、すぐ解答が分かるようなことを、こうして推理したりするのが好きなタヌポンです(笑)。

余談ですが、この石碑の石の材質は、なんか文字が読みにくいですねえ。裏面などいまはほとんど読めませんよ。
文字に白く色を付けるとかそういう方法はないのかなあと、よく知らないくせに勝手なことを言いましてすいません。

↓朝日のあたる時間に撮ると、意外に文字が読みやすくなりました。

集会所改築記念碑背面

一金壱百拾万円也
   醵出者芳名
  元注ェ野信用組合員
伊丹安之助の後継者 平野   房吉  同 高野 利吉 同
細田善太郎   〃 海老原 新太郎  〃 諸岡  保
細田 元次   〃 平野   榮作  〃 鈴木 豊吉
高野松太郎   〃 久保田 大之助  〃 海老原喜助
中村 直藏   〃 平野   兼吉  〃 中村 茂吉
細田 かつ   〃 鈴木  平兵衛  〃 組合員外
細田 萬吉   〃 久保田市右ヱ門  〃棟梁酒巻常松
伊丹  彦   〃 海老原  國松  〃 建設委員
大塚 ゆわ   〃 伊丹   伊八  〃 諸岡  保
吉田 久一   〃 中村  清次郎  〃 高野健太郎
平野新之助   〃 蜂谷  平次郎  〃 細田 覚一
高島 廣吉   〃 渡邉市郎左ヱ門  〃 平野  f
 昭和四十五年一月三日竣工

羽根野集会所

羽根野集会所

改築記念碑に記された昭和45年から
現在すでに40年以上も経過してますが、
意外と集会所はきれいに見えます。
小規模の修繕等は行われているのかも知れません。
この写真自体、大震災後の撮影ですし・・・。

でも、羽根野地区も少子化のせいか、
ここで遊んでいる子供たちなど
いままでいちども見かけたことはありませんね。

大師堂脇の石塔類

石祠などが無造作にならぶ

大師堂および改築記念碑の背後には
いくつかの石塔などが無造作に置かれています。
中には、永年放置のためか、地中に石塔の下部が
埋め込まれてしまっているのもあります。

他の地区でもそうですが、宅地開発などで、
置き場所を失った石仏等が、
当該地区の集会所に集められるようです。
乱雑な置かれ方と思いますが、きれいに設置するには、
それなりに経費も人力もかかりますので、
簡単にはいかないようですね。
また、2011年の大地震以降は、倒れやすいものは、
しばらくは倒壊したままにしている神社等もあるようです。

2015年春の再訪問時、過去に不明だった石塔が1.2基判別できるようになりましたが、相変わらず乱雑なまま。
しっかり調べるには、地中に埋め込まれた石仏を掘り起こさないとムリなようですが、少し動かすと破損しそうな塩梅でした。

墓塔

墓塔

上部に「阿弥陀如来」を示す梵字の種子(しゅじ)があり、
中央に、「良數是善法子」の文字。
仏弟子の名前で、墓塔でしょうか。

寛政10年(1798)5月12日の造立。
寛政十戊午天」と彫られていますが、
干支の「戊午」で寛政10年が確定します。
また、「天」は、「年」の異字で、他にも、
「李」「稔」「歳」「載」「祀」「暦」なども同様です。
異体字もしくは異字、そして梵字など、
義務教育だけでは理解しがたい読み方で当惑しますね。

本体: 高85cm、幅34cm、厚21cm。

地蔵菩薩塔1

地蔵菩薩塔

錫杖(しゃくじょう)を持っていること。
そして頭部に宝冠等を被ってなく坊主頭であること。
このことから、地蔵菩薩ではないかと推定されます。

右に、「文政」という文字だけ読めます。
ちなみに文政年間は、1818〜1829年。

本体: 高40cm(地上分のみ)、幅32cm、厚15cm。

読誦塔

読誦塔

上部に聖観音の種子サが見えます。
その下は、「奉讀誦」(以下土中)。

普門品か何かは不明ですが、
お経を1万巻とか読み上げたときの記念の塔のようです。

その他、「寛政と「十月」の文字。
ちなみに寛政年間は、1789〜1800年。

本体: 高30cm(地上分のみ)、幅27cm、厚19cm。

十九夜塔

十九夜塔

奉待十九夜」と明白に読めます。
また、右手を頬に当てて「思惟相」を示しているのは、
「如意輪観音」とみていいようです。

十九夜の「月待ち」信仰の多くは、
如意輪観音を本尊として、彫られています。
利根町では、十五夜や十六夜などにも
如意輪観音が刻像されることが多いという特殊性があります。

光背の左には「安永二癸巳十一月吉日」。
安永2年(1773)11月の造立です。

本体: 高54cm、幅25cm、厚17cm。

地蔵菩薩塔2

地蔵菩薩塔2

もう1基、十九夜塔の右にあるのを忘れていました。
しかし、これも下部が半分欠損しています。
光背型ですが、光背部分の文字等、あったとしても一切読めません。

ほとんど 地蔵菩薩塔1 と状態も同じ。
錫杖を持っていることから地蔵菩薩塔というしかありません。

本体: 高27cm(地上分のみ)、幅24cm、厚12cm。

民家特製の大師

羽根野集会所から諏訪神社正門鳥居の間にある民家所有の大師堂です。
しかし、当初この散歩道を発見して以来、幾度となくこの前を通りかかったというのに、
タヌポンはまったく気が付きませんでした。民家の垣根の一部を改造して建てたものだからでしょうか。
気付いたのは・・・そうですね。数10回の訪問、いや4.5年、あるいはそれ以上経っていたかも知れません。

民家特製の大師

番号札は探しても見当たりませんでした。

そんなに古いものにも見えないし、
かといってつい最近建てられたとも見えません。

20mほど先で立ち話をしている2人の婦人が、
ときどきタヌポンのほうをちらっと見ています。

これは尋ねてみるのが礼儀というものでしょう。
最近、空き巣も利根町には多いようですし、
身の潔白もしておかねばなりません。

大師像

聞いてみると、なんとこの大師様は、
婦人のうちのひとりの家の持ち物というのです。
彼女の祖父(か曽祖父)が昔、四国88ヵ所を
巡った記念として建てたもので、
もう3代も続けて守っているのだそうです。

その方は少々お歳を召されていて、
また訛りも少々強いものですから、
何度か聞き返さなければなりませんでした。
でも、そんなタヌポンを見かねて、
もうひとりの方が通訳をしてくださいました。感謝です。

祠の中を覗くと・・・左の写真。


(15/04/15・15/04/14・12/05/07 追記再構成) (05/08/25) (撮影 15/04/15・15/03/30・12/05/05・08/08/06・07/05/05・05/08/27・05/08/26・05/08/20・05/08/06・05/04/03)


本コンテンツの石造物データ → 羽根野地区石造物一覧.xlxs(12KB)