タヌポンの利根ぽんぽ行 鷲神社界隈

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鷲神社界隈 目次



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更新経過

2013年以降の各コンテンツ石造物データ構築の一環で、このコンテンツも再調査を。
しかし、内容が少ないにもかかわらず、当初、調べた以上の発見は、ほとんどなく、
サイズ計測とわずかな追記にとどまりました。(16/05/23)


大鷲神社(おわしじんじゃ)と称していましたが、
あるとき、この地区を管轄する蛟蝄神社の宮司さんから、
この神社の登記上の正式名が「鷲神社(わしじんじゃ)」と聞きました。
地元の方は「おわし様」と尊敬語で呼ぶということですが、
神のことを大神と読んだりするのと同様で、元は、「鷲」1文字が正しい名称とのこと。
ということで、タイトル名ほか修正しました。(12/04/27)


利根町押戸地区は、鎌倉街道 関連のポイントで
その多くを紹介しましたが、北部にもう1ヵ所、見所がありました。

それが鷲神社とその近辺にある石祠です。
地図等には大鷲神社と記されていて、
『利根町史』にはご丁寧にも「おおわし」ではなく「おわし」のフリガナが付いていました。

また、この神社前の道路を西に向かうと、交差点のコーナーに石祠とお堂が見えてきます。
最初は石祠、次の交差点ではお堂。
いずれも民家の一角、1.2m四方を削り取ったような敷地に建っていました。(06/06/12)


利根町北東部マップ

利根町北東部マップ

鷲神社

鳥居

鷲神社 鷲神社鳥居背面

大鷲ではなく鷲神社と判明したわけですが、他県には「おわし」や「おおわし」のほか「おおとり」と呼ぶ神社もあります。

また、お酉さんで有名な東京浅草の「おおとり神社」は利根町と同様、鷲神社と書きます。鷲一字でも「おおとり」なのですね。

これらは、鳥に関連する神を祭神としています。
利根町鷲神社は天日鷲命(あめのひわしのみこと)で、これがほぼ全国共通の祭神となっているようです。
また、白鳥伝説で有名な日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神としている大鳥神社もあります。

利根町の鷲神社は、江戸時代の創建と言われていますが、由緒等、詳しくは分かっていません。

鳥居はコンクリート製。典型的な明神鳥居です。左柱の裏に「昭和四十年十二月」。昭和40年(1965)12月の造立です。

神額が付いていないので、予備知識なしで初めて訪れる場合は、ここが鷲神社であることはこの時点ではまだ分かりません。

本体: 高276cm。

本殿

本殿

拝殿と本殿が一緒の木造建築物。
平成八年六月吉日竣工」とあり、
平成8年(1996)6月に
押戸の人たちによって
立て直されたようです。

鷲神社の祭礼は、
旧11月ということですが、
「酉」の日というのがおもしろいですね。

本殿内

本殿石祠

内部を見るためには閂棒を外さなければなりません。ちょっと気が引けるのですが、だれに許可をもらえば?ということで・・・。

本殿石祠 本殿石祠左側面

なかの本殿石祠をよく見ると、
表面内部に「大鷲神社」、
神額がなくともやはりここが
鷲神社であると納得できます。

左側面に「明治十八年十一月建之」、
台石には「氏子中」。
明治18年(1885)11月、氏子中による造立。

祭神は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)。
一説によると、造化三神の1柱
神産巣日神(かみむすびのかみ)の子である
少彦名神(すくなひこなのかみ)と同一神
あるいは同じ系統にある神と言われています。
→ 以下参照。創世の神々とその系譜

本体: 高68cm、幅54cm、厚53cm。
台石: 高17cm、幅47cm、厚45cm。

鰐口

旧鰐口

最初に訪れたときには鰐口紐が切れていましたが、
まもなく付け直されたようです。

神社ですからふつうは鰐口ではなく
鈴が妥当なような気がしますが・・・。

ちなみに鰐口とは本来は仏具です。
寺院にあるべきところ神社にもあるのは
神仏集合の名残りというところでしょうか。
明治の神仏分離で、神社の鰐口が廃止されましたが、
徹底されたのは、大きな神社だけのようです。

大師

大師堂 大師像

拝殿右隣に大師堂があります。
札所番号は付いていません。

堂宇内には大師像が1体。
台石に「十五夜講中」とあります。

本体: 高30cm、幅30cm、厚17cm。
台石: 高12cm、幅44cm、厚28cm。

神木

鷲神社に訪れてまず驚くのは、この神木である大公孫樹です。
利根タブノキ会調査によるデータでは、幹周が393cm。1本立ちの巨木としては利根町で14位。
公孫樹だけでは4位にランクされます。ちなみに1本立ち公孫樹の1位は来見寺のもので幹周は460cm。
株立ちのものを含めた総合1位は 蛟蝄神社門の宮の大公孫樹 で、なんと幹周は1185cm。

公孫樹 公孫樹 2011年黄葉

『利根町史』には、このほかに境内社で道祖神 元文5年(1740)ほか1基とありますが、さてどこにあるのでしょう?
どうも見つからないのですが、もしかして、次に紹介する2基の石祠がそれ?でも「境内」とはいえませんね。

街角のお堂

街角のお堂

鎌倉街道で紹介した押戸の 根本寺
その門から左手の方向に進み、鷲神社から西に向かう道路と
交差した西南の四つ角に、お堂が東向きに建っています。

最初、大師堂かと思いましたが、番号札はなく四郡大師の案内張り紙もありません。
また大師像も安置されていませんので大師堂ではないようです。

石祠が1基あるのですが、文字等はまったく判別できないので何か分かりません。
再調査でも、しっかり覗き込んで見ましたが、銘文はどこにも見つかりません。
唯一、この石祠の背後に古い小さな石祠が隠れているのを発見しました。
この旧石祠を調べるともしかすると何か分かるかも知れないのですが、
道端で、前の石祠を取り除き、背後の石祠を取り出して検分する・・・
というのは、ちょっと体力的にもいろいろ難儀なことなので断念しました。

道祖神や元文5年の文字が見つかると『利根町史』と符合するのですが・・・。

道祖神、というのが妥当なところでしょうが、あくまでも推測にすぎません。

本体: 高73cm、幅44cm、厚33cm。

街角の石祠

上記のお堂と鷲神社のちょうど中間地点。お堂と同様に、交差点の西南の門に見つけました。ただしこれは北向きです。
下は左から、石祠正面、右側面、左側面。正面はやはりなにも文字は彫られていないようです。
写真中央の石祠右側面には、暫定ですが「谷ア基右エ門」、でしょうか。施主もしくは願主?
左側面に「安政三辰年九月吉日」とあり、安政3年(1856)9月の造立だけは判明しました。
これも、道祖神ではないでしょうか。うーーん、困った。

街角の石祠 街角の石祠右側面 街角の石祠左側面

本体: 高47cm、幅43cm、厚23cm。


(16/05/23・12/04/27・11/03/01 追記更新) (06/06/12) (撮影 16/05/18・11/12/05・11/02/23・06/06/04・05/09/17・05/07/03)


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