大きいですね。3mくらいありそうですね。よく見ると大小2振りあります(大太刀は3m、小太刀は2m)。
頭に竜をあしらっていますから2頭と言うほうがぴったりです。
昭和25年(1950)、徳満寺の屋根替えの際、屋根裏に納めてあったものを取り出して世話人により復活しました。
これをかついで徳満寺門前の町を練り歩き、悪疫退散を願う伝統行事が太刀祭です。
木製とはいうものの結構、重そうですね。聞いてみると500kgはあるかなあと参加された方が言っていました。
右は太刀堂。普段はここに収められています。
さて、太刀祭の由来ですが・・・
いまから170年ほど前、天保年間(1830〜1843)のころ
「九」という名の寺男がいました。
博打が好きな遊び人でしたがあるとき賭場でけんかして
簀巻きにされ利根川に流されてしまいます。
これにすっかりこりた九は
出家してお坊さん(俊成房)になりました。その後、町にひどい疫病が流行するときがありました。
俊成房は、大きな松の木を切り倒して3間ほどの大太刀を作り、
それを担いで町を廻りました。
その効があって疫病はすっかりなりをひそめてしまったのです。これ以来、町の人も加わって疫病退散を願って町を一巡するようになりました。
この後、太刀祭は、五穀豊穣を願っても行われるようになり、
水の神といわれる竜を藁でつくり太刀の先にあしらうようになりました。
太刀は疫病を断ち切るというような意味が込められていたのでしょうね。
町の人に聞くと一時、祭は途絶えていて10年ほど前に復活したとか・・・。
太刀の先は竜。赤い目玉は・・・なんとゴルフボールのようです。牙も赤い舌もありよくできています。
11時に徳満寺境内出発で、夕方16:30にまたこちらに戻ってくるというスケジュールです。
出発前の準備、太鼓を載せる山車も用意されています。
ほら貝がちゃんと鳴るかどうか。これって難しいのでしょうね。
緑色の衣装の人は金槌を持つ担当の人。提灯を持って先導する人の次に続くのだそうです。
もともとは、みな白装束で黄色の鉢巻、たすき掛けという装いだったようです。
背中の印は徳満寺の紋ですね。
まず、徳満寺のご住職がご挨拶、注意事項などをお知らせします。そして、太刀に向かってお経を。
さあ、いよいよ出発。掛け声とともに太刀を持ち上げます。そして山門から石段を降りていきます。
少なくとも10人はいないときついでしょうね。年輩の方も頑張っています。
おや、お祭り大好きの女性も。頼もしいですね。こうして太刀は町を練り歩いていきます・・・。
(05/07/03) (撮影05/07/03)