境内には拝殿、本殿のほかにたくさんの石塔などがありますので、
ここでは調べて分かったところから順次追加していくことにします。
以下、境内ポイント図です。
全19基の石塔群
入口@から入ってくると6基、鳥居を過ぎて奥にはズラリ11基、盛り上がった坂の中腹に1基、
それと神木である公孫樹脇の1基を加えて都合19基、ずいぶんありますね。
各石塔の位置と大きさのバランス等は境内図と下のパノラマ写真を参考にしてください。

下記の画像はすべてクリックして拡大できます。
| NO | 写真 | 名称・解読文字 | 補足 | 建立時期 | 最大幅×高さ(cm) |
|---|---|---|---|---|---|
| @ | ![]() |
(不明の石祠) | 小さな石祠ですが、他の祠とは離れて拝殿の近く、神木の前に設置されています。 注連縄や紙垂も付けられていますので大平神社に縁の深い神様を祀ったものではないでしょうか。 |
(不明) | 31×65 |
| A | ![]() |
念仏供養塔 | 祠の内部をのぞくと(写真右下)2段重ねのような丸い石が見えました。 その背後の壁面をよく見ると、 「寛永十五年」「念佛之」「九月十九日」という文字が断片的に見えます。 ほかに寛永十五年というのが見つからないのと、これもほかの石碑とは別個の特別な位置に置かれ注連縄も張られていることから町史にある「念仏供養塔」もしくはその代表格のものであると推定しました。 また、この扉の左の部分が壊れて下の土に破片が落ちていました。ジグゾーパズルのように合わせてみるとピタリ!(写真左下) |
寛永15年 (1638) 9月19日 |
78×123 |
![]() |
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| B | ![]() |
宝篋印塔 (ほうきょういんとう) |
大平神社で説明しました「段々になった笠と、その下に4方に飛び出た隅飾りと呼ばれる突起物がある」という独特の形から宝篋印塔であることは確実です。寛永4年とはどこにも記されていないようですが、利根町史に載っているということは何か文献や記録があるのでしょうね。 塔の中央より少し上の円筒形の面に写真のような梵語(サンスクリット語)の文字が彫られていました。 これは阿弥陀三尊(上部中心は阿弥陀如来、左下は勢至菩薩、右下は観世音菩薩、梵語の読み方は順にキリーク、サク、サです)を現しているものと思われます。 |
寛永4年 (1627) |
56×215 |
![]() |
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| C | ![]() |
天滿宮 | ここにも天満宮がありました。 上部に亀裂が入っています。 右の側面に「文化五戌辰三月吉日」と彫られています。 台座には「講中」。 |
文化5年 (1822) 3月 |
38×68 |
| D | ![]() |
若木大権現 | これは疱瘡社というものでしようか。 左側面には「領主 角右ヱ門 六兵ヱ」。 右側面には「天保五午年二月吉日」とあります。 |
天保5年 (1834) 2月 |
42×70 |
| E | ![]() |
(地蔵) | スマートなお地蔵様です。 背面に「智光童女」「幻夢童女」と彫られています。 幼い女の子を亡くしたのでしょうか。 |
(不明) | 23×80 |
![]() |
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| F | ![]() |
奉待 子安観世音 |
台座のすぐ上に「當村 女人 講中 十一人」とあります。子供の健やかな成長はいつの世も母親の願いですね。 表面上部の左には文政九戌三月吉日」とあります。 |
文政9年 (1826) 3月 |
29×83 |
| G | ![]() |
奉供養十七夜講 (十七夜講供養塔) |
十七夜の供養塔ですね。 表面左に「宝暦八」とありその直後に「焔天」と読めるのですが・・・。十一月十七日と続いているので、秋の暑い日だったのかなあと勝手読みです。 台座には「大平邑 同行・・・」とあります。 |
宝暦8年 (1758) 11月17日 |
27×77 |
| H | ![]() |
道祖神 | 見にくいのですがなかに道祖神と記されています。 左側面には「講中十五人」、 右側面には「明和五午十月吉日」とあります。 |
明和5年 (1768) 10月 |
25×65 |
| I | ![]() |
(不明の石祠) | これは風化が激しくてほとんど分かりません。 辛うじて左側面に「施主 松やす?」と読めますが、右側面も「・・・・月吉日」だけです。 |
(不明) | 30×59 |
| J | ![]() |
奉供養十九夜念佛 (十九夜念佛供養塔) |
左の文字のすぐ下に「二世安楽道・・」と続くのですが、下へいくほど判読不能になります。 表面左には 「・・・月 大平村 同行十八人」とありますが肝心の月日が読めません。 |
(不明) | 31×81 |
| K | ![]() |
奉供養十六夜念仏爲霊安楽也 (十六夜念仏供養塔) |
表面いちばん右に「宝永五子年大平」、 左方には「供養寒念佛現當二世祈所辺」「十一月吉祥日」と読みましたが、赤字はあまり自信がありません。 |
宝永5年 (1708) 11月 |
40×67 |
| L | ![]() |
道祖神 | これはいちばん分かりやすい石祠でした。 左側面には「女講中十一人」、右側面には「天保二卯十一月吉日」とくっきりと彫られています。 Pの青面金剛王も読みやすかったのですが、いずれも天保年間の建立でまだ200年も経っていないからでしょう。 |
天保2年 (1831) 11月 |
35×64 |
| 以下、鳥居の右側の石碑 | |||||
| M | ![]() |
奉納 西国秩父坂東供養塔 |
供養塔のひとつですが、この碑の左タイトル文字の真上にもBの宝篋印塔にあった梵語が彫られています。 阿弥陀三尊です。 タイトル右に「文化四卯」、左には「九月吉日」。 |
文化4年 (1807) 9月 |
36×57 |
| N | ![]() |
奉納 西國秩父坂東供養塔 |
これも上記Mと同様、阿弥陀三尊梵語マークがついています。 左側面には、 「文政九戌 十一月吉日 五十嵐治郎右ヱ門 同・・・・」とあります。 五十嵐さんのご先祖様でしょうね。(以下の改築記念碑の項目参照) |
文政9年 (1826) 11月 |
46×78 |
| O | ![]() |
奉供養十九夜講 (十九夜講供養塔) |
仏像の彫物の下に左記タイトル、右には「文化十一歳」、「左には「戌二月日」とあります。 | 文化11年 (1814) 2月 |
43×90 |
| P | ![]() |
青面金剛王 (庚申塔) |
タイトル右に「萬延二辛酉年」、左には「三月吉日」。 左の側面には「当村中」その下に横書きで「丗八人」、その下に縦書きで、「治郎右ヱ門・長左ヱ門・弥治右ヱ門・六兵ヱ」の4名が列記されています。 青面金剛(しょうめんこんごう)と言えば、庚申塔ですね。 |
万延2年 (1861) 3月 |
43×86 |
| Q | ![]() |
青面金剛王 (庚申塔) |
青面金剛王の文字右に「寛政十二申年」、左に「十月吉日」。 右側面ですが、最初の1行目は1文字目の「天」以外よく分かりません。 次の行は「武運長久家内安全」「施主 源蔵」とあります。 |
寛政12年 (1800) 10月 |
49×102 |
| R | ![]() |
庚申塔 | 最後は、おそらく庚申塔でしょう。 かなり凝った装飾彫り(見ざる、言わざる、聞かざる、の図など)の下に「大平村講中「享保十六亥10月吉日」の文字が読めます。 |
享保16年 (1731) 10月 |
50×112 |
神木・燈篭など
その他、境内図の上部、北側のポイントを紹介します。
神木
公孫樹ですね。
直径を計ってみると約70cmでした。
葉が少し出てきました(5月上旬)。
手水舎
奉納、とだけ。
上面縦28×横62cm、高さ27cm。
それほど古いものには見えませんが・・・。
公孫樹の樹のすぐ脇にあります。
写真の神木の左手に見える石祠(境内図では@)は先に紹介しました。

平成5年(1990)4月、改築です。
裏面には五十嵐姓の方がたがズラリ列記されています。
利根町史にいろいろなお話を提供されていたのも五十嵐さんでしたね。
(大平神社 お大平様伝説 参照)
鳥居と神額、灯籠

改築同時期にコンクリート製の鳥居が新築されたようです。同年発行の町史には木造と記されていますが、町の調査は改築直前だったのでしょうね。
また左の灯籠も新しいです。当然、左右2基あります。
高さは210cm程度。
ほかに狛犬などはありません。
改築関連は拝殿などもそうなのでしょうか。
あと、敷地もコンクリートに一部なっていて、拝殿右横には駐車スペースがあるのですが、どうやってクルマを入れるのでしょうか?
入口@のほうからは軽自動車がやっと入れるかというところ。
何か催しをするところなのかも知れません。
本殿の真裏には伐採した枯れ木が山と詰まれています。
改築当時に伐ったものだとすると、その前は、とてもすごい雰囲気だったのでしょうね。タヌポンはその時の様子をぜひ見たかったです。
美しくなるのもいいのですけどね。
ただ境内の旧ナイルスとは逆の柵の外は、ゴミ捨て場になっていてひどいものです。壊れたストーブや電気製品、だいたいが粗大ゴミですね。
心無い人が捨てにくるのでしょうが、せっかくの静かな空間がこんな風になってしまうのは困ったものです。
宮司さんも呆れていることでしょう。
(05/05/05) (撮影: 05/03/12・05/03/13・05/05/02・05/05/03)
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