琴平(こんぴら)神社の奉納相撲大会が毎年、9月10日前後の日曜・祭日に開催されます。 2005年も秋分の日の23日(金)に開催されました。
台風が接近しているということで、 雨天だと25日に延期とはいうもののその日も影響がありそうな気配。 でもなんとか曇り空ながら決行、途中から青空も・・・。
昔ほど相撲人気はありませんので、どれだけ子供たちが集まるのかと思いましたが、 意外にもかなりの参加者。 とくに就学未満の子供たちの可愛い姿に集まった父兄、関係者の皆さんも 笑顔がほころぶ楽しいひとときになりました。
名称 | 金刀比羅神社奉納相撲大会 |
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日時 | 2005年9月23日(金・祝)10:00(9:30集合)〜 雨天の場合は25日に延期。実施の場合、開催当7時に花火で周知 |
場所 | 金刀比羅(琴平)神社下土俵(役場非舗装駐車場) |
参加対象 | 幼年〜小学6年生までの男女 |
注意 | 参加者全員に保険を掛けます。受付時に住所・氏名・年齢を申し出ること |
主催者代表 | 布川地区氏子総代・布川地区区長・金刀比羅神社奉納相撲保存会会長 |
神社の名前は琴平神社なのですが、相撲は金刀比羅相撲と称すと町史にあります。 金刀比羅相撲、金毘羅角力、琴平角力などいろいろな字で組み合わせて書かれます。 いったいどれが正しいのか、元祖はどれなのでしょうね。 でも、やはり「ことひら」ではなく、いずれも「こんぴらずもう」と呼ぶようです。
琴平神社の祭礼の日に行われるのですが、祭礼の日とは、ひとつは旧正月。 昭和60年(1985)より新2月10日に改まりました。 もうひとつの祭礼・例大祭が9月10日なのですが、この日が本来の金刀比羅相撲の日なのです。
寛政7年(1795)に香取源右衛門という人によって始められました。 江戸から本職の関取を招いての大会、当初3ヵ年は木戸銭なしで興業され、 布川の地で本場の相撲が見られるとあってそれはたいそうの賑わいであったということです。(香取家文書による)
当時からも子供の相撲もあったようなのですが、現在は完全に少年相撲のみとなり、 その関係からか9月10日前後の日曜・祭日に開催されています。
表題の句は、小林一茶がこの金比羅角力について吟じたもの。当時のその人気のほどが伝わってきますね。 琴平神社境内にこの句碑が建っています。(参照)
開催3日前の9月19日にすでに土俵の周りに旗などが立てられ準備がされていました。
旗の向こうは利根川、左へ行くと琴平神社、右に利根町役場。急造の開催案内版も立っていました。
一茶と金毘羅角力についてもう少し。
享和3年(1803)8月7日、一茶は布川の地を訪れました。
9日と10日に奉納角力があり一茶は10日にそれを見物。
けふきりの 入日さしたる 勝角力
正面は 親の顔なり まけ角力
この訪問は初開催(寛政7年=1795)後8年目で、表題の句で分かるように
このときにはすでに本職の相撲から子供などの素人相撲に変化していたものと思われます。
昭和63年(1988)に建てられた琴平神社にある一茶の句碑は、
一茶自筆の句帖「七番日記」の文化14年(1817)8月に記されています。
さらに文政6年(1823)8月には、姉妹句ともいうべき以下の角力見物の句を吟じて「文政句帖」に書き留めています
見ずしらず 角力にさへも ひいき哉
宮角力 蛙も木から 声上げる
松の木に 蛙も見るや 宮角力
秋風や 角力の果の 道心坊
道心坊とは乞食坊主のことで、自分を見立てたものといいます。
一茶がこの句を詠んだのは実は信濃にいたときで、故郷柏原に近い長沼(現、長野市内)の門人宅を訪問中のこと。
金毘羅角力興業の日付に当たって、遠く布川に思いをはせたものと思われます。
9時40分現在。フレッシュタウン方面から会場へ。もう集まっていますね。
まわしをつけてもらっている子。ズボンの上からというのもひとつの知恵なんでしょうね。
お腹と背中の番号は学年。0は未就学児。
角力を奉納とは妙な気がしますが、まあ、寄付金も募るわけです。
あれっ?みんなどこへ?・・・・琴平神社へお祓いに行くのですね。すぐそばです。石段がありますけど。
家族もいっしょに。写真撮らなければなりませんものね。幼児もいるし・・・。
いつもは見当たらない神社の神額が飾られています。
「金毘羅大権現」とありますが、子供たちは・・・まあ無関心です。
何が始まるのだろう?おや女の子もいますね。
左は拝殿の中。さて宮司さんが来て、お祓いです。布川神社臨時大祭のとき(3日目)の宮司さんかな?
玉串奉奠や二拝二拍手一拝もみんなで。右の写真の中央は本日の相撲の行司をしていただく方です。
さて、神事は済みました。土俵へ向かいます。土俵にちょうど着くころが開始時刻の10時となるわけです。
あらあら、みんな右にある一茶の句碑とか知らないのでしょうね。(写真左の背景にあるのが句碑)
右の写真の建物は社務所。宴会の用意がされていました。午後は関係者の酒宴となるのでしょう。
まずは関係者、世話人の間でお清めのお神酒を。そして、注連縄等を移動させます。
さあ、始まり、始まり。
まずはゼッケンナンバー0番、未就学児同士の取組から。見合って、見合って・・・。
はっけよい、のこった〜。
ガンバレ!
ちゃんと、お礼もいたします。
がんばる子。負けてママに泣きつく子。それをカメラで撮るパパ。いろいろ。
おっと、女の子。
ウーーーム。強いです。割り切りがいい。戦う顔になっています。
そう言えば、泣いている子は男の子ばかり。女の子は泣きません。これが、現代の真実。
幼児A: なんか恐いよう、やだなあエーーン!
幼児B: ???わたしはだれ?ここはどこ?なにするの?
で、この勝負は、まあ引き分けですかな。
早くこないかな、わたしの番・・・・・・。そして・・・簡単に勝って、へへへ。賞品を手に。
ときどき土俵の手入れ。
この後、塩?石灰かな?白い粉を撒きます。
長期戦。水入りか?
きみたちは強いぞ!
背後は役場(左)。背後は利根川(右)。
ヤだったら、ヤだったら、ヤなんだよう!
女の子同士、一歩も譲らず長期戦。引き分けです。強いです。
強豪同士。
全般にどの取組も、まわしを取る、という戦略がまったく見られませんでした。
ほとんど上半身だけのつっぱりというか押し合いが多かったですね。
(05/09/23) (撮影05/09/23)