天照大神宮

鳥居柱の裏側には平成3年(1991)11月建立が記されています。約15年ほど経過しているのですが、黄色に見える鳥居は実はもともと朱色だったのではないかと思います。コンクリート造り。(クリックで神額のアップ)
黄色というのもなんとなく鮮やかでいいと思ったのですが・・・。実際に黄色に初めから塗られた鳥居は全国にはあるのでしょうか?
タヌポンはいろいろ分からないことを探すのが得意です。
下は、道路を挟んで右手の風景。豊田堰が見えます。

まず、冒頭からの疑問を含めてここを見て回って思った疑問点を先に以下、列記します。
いずれにせよ、ここは龍ヶ崎市管轄になるので龍ヶ崎の文献を調べてみないと分からないのです。まだ図書館に行ってないのですね。いろいろ調べて分かったことから追記していきます。

これも不思議と言えば不思議なのです。
二十三夜月讀ではなく、二十三夜月待なら分かるのです。それなら仏教系です。
ところが月讀尊とは三貴神である天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読神(つくよみのかみ)、素盞鳴尊(すさのおのみこと)のうちの1神であるわけです(狸の巻物「神代の物語2. 禊祓」参照)。これは神道系です。夜に月はツキモノということで神仏習合がもっとも成立しやすい例なのでしょうか。
嘉永2年(1849)10月の建立。

鳥居をくぐると参道が少し続いています。
ここを訪れたのが7月3日。さて、どうしますか?先に進みますか?
えっ?何を言ってるのかって?
この雑草の繁茂状態と季節を考えてみてください。
そうです、蚊です。
すごいですよ。
実は一旦、出直してきたのです。虫除けスプレーなどを用意して。
でも、スプレーできない顔を目がけて蚊の大群が押し寄せてきます。ホントです。
Tシャツの上からも平気で刺します。全身にスプレーを掛けなければなりません。
かゆくて掻きたいのを我慢してぶれないようにカメラを構えます。
でも、シャッターを押す瞬間にこらえきれず動いてしまって、せっかくの努力が水の泡ということがいままで多々ありました。
こんども何枚かはそうなるのでしょうね。
でも、行きます。だめなら、冬があるさ。

左は供養塔という感じ。石が3つ重なっているのは・・・何でしょうね。右は、二十三夜の供養塔です。

手水の背後に石塔がいくつか。いちばん左は西国秩父坂東供養塔、安政3年(1856)と記されています(右)。

左は十九夜念仏供養塔。右は奉納された大乗妙典の供養塔。
以上、参道の途中にあるのはすべて仏教系です。手水は神道でもありますが・・・。
天照大神宮の境内なら神道系の境内社としての石祠がもっとあってもいいと思うのですが・・・。

参道の突き当たりに少し斜めに2つの社殿が並んで建っているのが見えてきました。
以下に左右並んでいる通りに写真を掲載します。いずれもクリックして拡大できます。
右にある本殿には「天照大神宮」の神額が掲げられています。
鈴もあることから、こちらは本殿というより拝殿なのでしょうか。
左のほうは朱色の鳥居が建っています。これが果たして「天照大神宮」の本殿なのか、まったく別の境内社なのかは分かりません。
ちなみに天照大神宮というからには、少なくとも右の社殿の祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)と思いますが、ほかに祀っている神々が何かは分かりません。天照大神だけしかないかも知れませんが・・・。


本日訪れて神額が見えたので「正一位羽黒稲荷大明神」ということが分かりました(クリックすると神額のアップ)。
以前はこれを見落としていたのかと思ったのですが、上の写真と見比べてみると、前ははやり額が掲げられてはいなかったように思います。鈴が提げられている位置も少しちがいますよね。
羽黒とは地名ですね。ですが、ここは龍ヶ崎市豊田町で羽黒町はすぐ隣り。豊田町というのは羽黒町より後につけられた地名なのでしょうか。
本殿内はよく見えないのですがめぼしいものはないようです。(06/07/29追記・撮影)
塀も何か意味が?

この長い塀も単に幟の支柱を収納しておくためだけのものなのでしょうか?
鳥居脇にも

鳥居の脇にもいくつか見つかりました。
いちばん奥には初めて神道系の石祠らしきものも見えます。近寄って見てみたいところですが・・・。
しかし、もう限界です。
かゆくてたまりません。まぶたもやられました。
だれかいれば、
かゆーーい!
と、絶叫したいところです。
以下の写真はただ見てください。闇雲に撮ったもので、このあとすぐに退散しました。解説不能です。

由緒沿革、いくつかの疑問・・・すべては宿題ですね。

県道の天照大神宮のある付近から少し西北西斜めに入った小路の先に豊田集会所があり、その敷地の一角に大師堂が建っていました。
これが利根町徳満寺関連の四郡大師であることは、右上写真にある大師堂右横に貼られている共通案内貼紙で分かるのです。
残念ながら番号札はついていません。また、ほかには石祠等は見つかりませんでした。(左写真はクリック拡大できます)

堂の中には1体の大師像。右は豊田集会所。豊田町根柄と呼ぶのですね。
(06/07/29追記)(06/07/27)(撮影06/07/29・05/09/17・05/07/03)