
諏訪神社1で紹介した裏門鳥居脇の由緒看板のさらにその左に、大樹を見つけました。
何という名の木か分かりませんがとても立派な幹です。
神社と関係があるのか、お隣の民家の所有なのかも不明です。
(05/08/07)
→スダジイということが判明しました。(05/11/03利根町産業文化祭にて)
(05/11/03追記)
樹高13.0m、幹周8m26cm。地上1mで大きく3分岐しています。

境内中央、拝殿脇には大きな樹がわびしげに立っています。これが神木なのでしょうか?何の樹なのか分かりません。(→後で判明!)
夏の木陰を楽しむ人たちもいないのでしょうか、大樹の裏側にも壊れたベンチが(右)・・・。
散歩のときなんかこのベンチでひと休みできるといいのに。奥には鳥居が見えます。
4本立てのシロヤマザクラ

町史によれば諏訪神社の神木は桜と記されています。
境内にある上の写真の樹木が神木であろうと想定されるのですが、今年(2005)4月に訪問したときには、ソメイヨシノで代表されるような花弁の開花の様子は見られませんでした。
しかし、この樹をよく見ると(写真クリックして拡大して見てください)何か小さな花弁が付いているのが見えます。
これはもしかすると日立中央研究所で見た10月桜または御衣黄桜などと同様の珍しい種類の桜の一種なのではないか?
そう考えましたが、追跡調査もその後していないので依然として真相は不明です。
(05/05/24追記)
→シロヤマザクラということが判明しました。(05/11/03利根町産業文化祭にて)
ほぼ想像していたことが当たりました。
ちなみに、昔は桜といえば山桜がほとんどで、ソメイソシノに代表される、現在のような大きな花弁のものはなかったと言います。
ソメイヨシノも吉野(奈良県)産ではなく東京が原産とか。
このシロヤマザクラはソメイヨシノより半月ほど遅れて4月中旬頃に開花するということですが、この写真はソメイヨシノが満開の同時期、4月9日のものです。ちょっと早かったのでしょうか。(05/11/03追記)
このシロヤマザクラの巨木は4本立て。樹高21.0m、幹周6m60cm、樹齢推定約400年ということです。

裏口から入り最後の階段の手前(境内より10段下)にも巨木があります。
これもスダジイであることが分かりました。
幹周11m40cm、6本に枝分かれしています。
※巨木のデータは利根タブノキ会「利根町の巨木とタブノキ」によります。
巨木3

鳥居脇にもけっこう大きな樹が立っています。
これもスダジイでしょうか?

諏訪神社1で触れました「左手のほうを見てみる余裕があれば、そこに何かを発見すること」。
それをここで紹介しましょう。
これはほんとうに何回もここを訪れていたのに気が付かなかったのです。
初めて訪ねたときからもしかして10回目以上になるかも知れません。
この左の写真のところからふとなにげなく左を見たのです。
どうしてもここでは、先の鳥居に進みたくなってしまうのですね。
それが盲点でした。

すこし登り坂のようになっていて、その先に
2つの祠が並んでいるのが見えます。
最初に来たとき、祠の前には通せんぼをするように樹が倒れていましたが、この写真は再撮影したもので、下に落ちていますね。
奥深いことには、この写真のすぐ右手にも
石碑が建っていたのです。
祠を調べて戻る時にふと見つけました。
ぼんやりしているとこれも見逃したかも知れません。これは次に紹介します。

2つの祠はまったく同じつくりですね。祠に向かって右には四郡大師の貼紙が貼ってあります。これがあるから四郡大師であることが分かるというわけです(クリック拡大)。
番号札はいずれにもついていません。
中はいずれも大師様でしょう。顔かたちなど少々ちがいますが。

成田山不動明王

これが先ほど話した見逃しそうな石碑です。
成田山不動明王と書かれています。
大師は弘法大師、不動明王はサンスクリット語では「アチャラナータ」といい、シヴァ神の異名ですが、どちらも仏教系。
もともと同じ諏訪神社の境内にあったのが廃仏毀釈で外に出されてしまったのでしょうか?


鳥居をくぐって少し行った左手には小さな朱色の祠や3、4m四方の小スペースを囲むように石祠・石塔類が、右手には7つのそれぞれ形のちがう石像や石塔が1列に並んでいます。
利根町史には、十六夜供養塔 延宝5年(1677)ほか16基と記されていますが、まだ数を数えていません。以下、取り急ぎ撮ったものを掲載しますが、これらについてはまた後日、もう少し詳しく調べてご紹介する予定です。(↓以下追記しました06/08/06)
裏門から入って左手(西)のほうから順に紹介します。
十五夜供養塔

「奉待 十五夜 講中31人」と記されています。
裏門入口、参道を挟んで新利根川大堤修補碑と向かい合わせに建っています。
寛政12年(1800)正月の建立。台座上に「羽根野村」とあります。
三峯山の石祠2基

十五夜供養塔の背後にある三峯山の石祠2基。左の石祠は読みにくいのですがこれも三峯山と記されているようです。三峯神社については無量寺と三峯神社(三峯神社の本殿と祭神の項目)を参照してください。
三峯神社は三峯山というように山岳信仰のせいか塚の上など少し高いところに祀られる傾向があるようです。ここでも2.3段ですが、石段を設けているのはそのせいでしょうか。

三峯山の石祠の右にあるのが稲荷神社祠。中にはミニ鳥居やキツネなどが雑然と置かれています。
稲荷神社と記された札がありますので稲荷神社であることはまちがいないでしょう。
新利根川大堤修補碑の移転とからんでここに移されたものでしょうか。

稲荷神社祠の斜め前にある大日神。
大日神を「おほひるのかみ」と呼べば、天照大神(あまてらすおおみかみ)の別名となるわけですが、果たしてそれでいいのでしょうか。

大日神の右隣には1辺が3.4mくらいの4角形のコーナーがありその3辺に石祠類が並んでいます。
これらはもともとそれぞれの建立時からこの順序で並んでいたとは思えません。羽根野地区一帯にあったものを宅地開発かなにかで諏訪神社にまとめたときにこのように並べてみたのではないでしょうか。両側の筆頭にはそれらしく狛犬がありますが、これも後で配置するときにそこに置いたという感じです。諏訪神社に所属していたものなのでしょうか。
左から順に以下、見てみましょう。右端は鳥居です。
[スクエア左辺]
石塔と狛犬(左)

この石塔はとくに意味がないような・・・。不明です。
狛犬は愛嬌のある顔をしています。その隣りに石が2つほどありますがこれもとくに何かの形を成してはいません。
不明の石塔と三十三社御神

左の石塔は文化12年(1815)11月吉日と奉納 月山・湯殿山・羽黒山の文字が見えます。これは出羽三山のことで、伊勢・熊野と並ぶ三大霊場のひとつ。古くから人びとの信仰の対象となっています。そうした関連の石塔でしょう。その右にみえるのは上部が欠落しているようです。文化12年は「十」の下の文字が不鮮明なのでもしかすると12年以外の10年代のどれかかも知れません。ほかに西国・坂東という文字も幽かに見えます。
右の写真は三十三社御神と記されています。この三十三社というのもよく分かりません。
[スクエア上辺]
座王社・金毘羅社の石祠と眺望の歌碑

上辺左から2基の紹介。
いちばん左の石塔の座王とは蔵王のことでしょうか。中央にはカマを持った人物が描かれています。ちょっと不気味です。
その右は、眺望と題した七言律詩の漢詩が彫られています。
羽邛山上発雲根
文巻刀寧併亦蚕
何持富峯波岳大
瞭然廻取在乾坤
と書いてあるようなのですが、よく分かりません。
文巻とは小貝川、刀寧とはおそらく利根川のことだと思います。なんとなくどこかの山からの雄大な眺めを表しているものなのだと思います。
不明石碑と富士浅間大神

左は篆書体で書かれた石碑。普寛師というのだけ木曽御岳山の開祖、普寛上人を指しているのではないかと想像しましたが、ほかは解読できません。教養のなさのためです。
右の石塔は、富士浅間大神。これは来見寺のコンテンツ浅間神社でどうぞ。
清瀧大神

前に惣新田で同じものを初めて見かけました。これで2基目です。
[スクエア右辺]
墓碑と日本廻國供養塔

左は、東京永久町の女性2名を記した墓碑のようです。浅草永久町という地名がありますがそれを指すのでしょうか。
右は大乗妙典の日本廻國供養塔。天下泰平 日月晴明と記されています。
平安時代頃より法華経66部を写経し、その1部づつを日本の66カ所の神社に収めながら減罪を願う諸国巡業が行われました。とくに江戸時代には盛んになりましたが、諏訪神社も納経所だったのでしょうか。嘉永5年(1852)3月29日の建立。
水神宮と狛犬(右)

諏訪神社にも水神宮の石祠がありました。寛政元年(1789)正月再建(クリック拡大)とあります。
右は狛犬。
ここまでで、西側の石祠・石塔のすべてを紹介しました。次は裏門から右手(東)を紹介します。
新利根川大堤修補碑と不明の石祠

裏門を入ってすぐ右手に立っている新利根川大堤修補碑。これについては諏訪神社1をご覧ください。
碑の背後に1基、石祠があるのですが、これは風化で文字等由緒がまったく判明しません。

道祖神とその手水

不明の石祠とその前方にある樹木の間に、道祖神とそれに付随した小さな手水が並んで立っています。
手水には安永4年(1775)8月の建立とあります。
庚申塔7基と十六夜供養塔

道祖神脇の樹木の背後には諏訪神社のなかでいちばん古いものと思われる十六夜供養塔があり、そこから7基の庚申塔群が並んで建てられています。
十六夜供養塔

延宝5年(1677)12月建立。これが代表で利根町史に紹介されていますので、なかでいちばん古いものではないかと想像します。諏訪神社はこれよりもさらに古い沿革をもっているのではないかと想定されています。
庚申塔7基


庚申塔7基。
いちばん左から庚申塔。次は庚申供養塔で、元文5年(1740)10月建立。
中央3基は、左から天明3年(1783)建立。次は不明。青面金剛王の石塔は、寛政12年(1790)11月の建立。
最後の2基ではいちばん右は寛政元年(1789)4月建立。
手水舎と記念碑

境内中央にある手水舎。明治33年(1900)正月15日に奉納されたもの。
右にある石碑は手水関連のものかと思いましたがどうもちがうようです。
石造りの坂やコンクリートの参道が奉納されたときの記念碑のようで昭和33年(1958)建立。
以上で石祠などの施設紹介を終わります。これより少し奥に拝殿・本殿があります。


諏訪公園としての名残は幽かに。でも苔むしたシーソーなどこの有様では、そうとう前から子供たちはここでは遊んでない?
奥にはすべり台やブランコもありましたがそれも同じような状態です。
すぐ近くに団地があるのに小さな子供たちはもういないということなのでしょうか?

よく見ると、拝殿隣り神木の前に街路灯(水銀灯?)が立っているんですね。
夜来たことは、もちろんありませんが、防犯用?それとも祭礼日のためのもの?
いずれにせよこの灯り1本だけでは、とても夜は怖くて訪れる気にはなりませんね。
(06/08/06・06/07/08追記)(06/07/07追記・再構成)(追記05/08/07・05/05/24)(04/12/05)
(撮影06/08/06・06/07/29・06/07/07・05/08/06・05/04/08・05/01/03・04/12/05)