タヌポンの利根ぽんぽ行 浅間神社

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浅間神社 目次



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更新経過

2013年より石造物データをページ末に掲載するため
各コンテンツを順次見直ししていくことにしました。
浅間神社では、祭神の石祠についての法量測定と銘文の再読み込み、
さらに拝殿内外の庚申塔・石仏についての再調査を行ないました。

このコンテンツ作成中にある方よりコンタクトがあり、
鎌倉街道内で探していた浅間神社の情報をいただきました。
近日中に調査する予定です。
(15/05/25)


利根町には、「山岳信仰」の象徴のような神社、つまり三峰神社が、
石祠だけのものも含めれば10社も見つかっています。(目的別索引 神社編「三峰神社」 参照)
でも、同様な性格をもった浅間神社は、ここで紹介するものと、
諏訪神社の石塔 富士浅間大神 と早尾天神社の 富士浅間大菩薩 しかありません。

三峰神社より浅間神社のほうが、祭神が木之花開耶姫という美女神なので、
tanupon には魅力的に思われるのですが・・・。

さて、この浅間神社コンテンツは、当初「来見寺」のページに付属させていました。
なぜなら、ここには来見寺境内からでしか到達できないからです。

でも、「来見寺」のコンテンツボリュームが増えてきましたので、分離させることにしました。
(13/10/24)


布川地区マップ

浅間神社は地図の中央、所在地としては布川台地区ですが、訪れるには来見寺内の石段上からしかたどり着けません。

布川地区マップ

浅間神社

神社への行き方

浅間神社

利根町の布川台という地域に浅間神社(せんげんじんじゃ)
という名の神社があるということで、一帯を調べてみると、
その神社に行くには布川台地区からはたどり着けない、
という奇妙な事実に遭遇しました。

その理由は・・・来見寺の石段上の道了堂および浅間神社
を含む敷地が柵に囲まれてしまっているからでした。

「以前は、入れたんだけどね」
とは布川台で道を聞いた方からの話。

所在地が布川台なのに、下の来見寺の境内からしか
そこにはたどり着けないということなのです。

それでは、先に 道了堂 を発見したときにどうして
この浅間神社を見落としてしまったのか。その理由は、
道了堂 で説明しましたが、右のFlashでどうぞ。

浅間神社

質素な拝殿と、その右手に鳥居そして小高い塚が見えます。

塚の手前には大樹があります。ご神木でしょうか。

拝殿前や鳥居の横辺りにいくつかの石塔類が見えますが、
まずは、拝殿の右にある鳥居から、
石段を上り本殿の石祠を見てみましょう。

境内設備と祭神

鳥居

鳥居

鳥居はねずみ色で鉄製のようです。
明神鳥居系が多く見かけるのですが、
これは神明鳥居系の宗忠鳥居。
狸の巻物 鳥居について 参照)。

神額

神額

この神額の文字はあまり達筆には見えないのですが、
杉野東山のことを思うと、そんな風に見えるのかも。
でも、よく見ると、まあこんなものなのかなと。

本殿と祭神

浅間大神本殿

浅間神社の本殿は、石段を登った上の石祠です(左写真)。
ふつうは拝殿の後ろに付属するように建てられているのですが、
後述のここの拝殿にはそれがありません。
富士山信仰から、本殿は塚の上に祀ろうということでしょう。

さて、浅間神社の祭神は、木之花開耶姫(このはなさくやひめ)。
配祀(相殿神)は、瓊々杵之尊(ににぎのみこと)と
大山祇命(おおやまつみのみこと)。
tanupon が興味があったのは、祭神のほう。
利根町の浅間神社を探してみようと思ったのもこの理由からです。

浅間神社は富士山をご神体とし、その象徴の浅間大神が
木之花開耶姫(このはなさくやひめ)なのです。

左の写真の本殿石祠の中心にも「浅間大神」と記されています。

浅間大神本殿

ところで・・・浅間大神ってどう読むのでしょう?せんげんたいしん?せんげんおおみかみ?それとも、あさまたいしん?
「せんげん」と「あさま」に関しては、実は神社名ではどちらも存在していることが分かりました。
ただし「せんげん」のほうが多いようです。また高い山を一様にあさまやまと呼称していたようで、
あさまやまの中でも一番高いのが富士山、ということらしいです。
いっぽう、大神については、この「大」や天照大御神の「大」「御」も、すべて「神」の尊敬語であることから、
音読みの「たいしん」ではなく、「おおみかみ」もしくは「おおかみ」と読むのが妥当のようです。
したがって、この利根町の浅間大神は、「せんげんおおみかみ」と読むことにします。

浅間大神本殿石祠裏面

これは、本殿石祠の裏面。
明治十七秊正月建之 と彫られています。
すなわち、明治17年(1887)正月の建立。(秊は年の異体字)

これは、当初のものではなく再建された石祠でしょう。
というのは、後述する杉野東山が
文政2年(1819)年8月に開山しているからです。

石祠台石の周囲には、建立者の講元をはじめ、
世話人等、多くの名前が彫られています。

本体: 高83cm、幅58cm、厚58cm。
台石: 高22cm、幅54cm、厚54cm。

以下、左が石祠直下の台石表面、右がその裏面の写真。表には「先達 山口七造」と「講元 伊藤孫三郎」。
裏面は、前半は「平」等断片的にしか文字が判別できませんが後半は「布佐 石工 堀田大吉」。
「吉」の字が下の台石と接合して見えませんが、この名前はほかにも登場するのでまず間違いないでしょう。

浅間大神本殿石祠台石表面 浅間大神本殿石祠台石裏面
浅間大神本殿石祠台石左側面

左は、台石の左側面。世話人7名の名前が記されています。

香取五平
□谷□五郎
永田□十郎
石坂嘉吉
永井與平次
下山長九郎
河村□吉

浅間大神本殿石祠台石右側面

右側面。「講社中」と題して約13名の名が刻まれています。
中央の5名ほどは風化等でほとんど判読できません。

深山粂吉
諸越彌平
花島久四郎
野田□□郎

(約5名不明)
白戸□□
寺田平藏
新井藤平
野田はる

富士山形の庇

富士形の庇

静岡県富士宮市にある浅間大社は、
全国1,000ヵ所以上もある浅間神社の総本家といわれ、
富士山をご神体としています。
利根町の浅間神社も当然、そのひとつですが、
なにか富士山のシンボルが・・・。

ありました。
← 「富士の形をした屋根の庇」。
本殿石祠の上部が富士山の形になっています。

富士山と木之花開耶姫

さて、tanupon が興味をもった祭神の木之花開耶姫ですが、富士山や浅間神社とどのように結びつくのでしょうか。

その由緒をたどると・・・第7代孝霊天皇のころ、富士山が噴火しそれ以降、国が荒廃してしまいました。
そこで、たまりかねた11代垂仁天皇が木之花開耶姫を富士山の麓に祀るとやっと富士山の霊が鎮まったということです。
それ以来、木之花開耶姫が浅間大神となったわけです。

この姫は瓊々杵之尊(ににぎのみこと)の妻であり、大山祇命(おおやまつみのみこと)の娘。
この2神が、浅間神社の配祀(相殿神)となっているのは、こういう意味なのですね。
婚姻に関していろいろな伝説があります。ここでは伝説は割愛しますが、その名が表すようにたいそう美人のお姫様で、
「さくら」の木の名前の語源にもなったという説もあるようです。

手水

手水舎

鳥居の右にある手水。
中央に蓮の花が浮彫りになっています。
表面の左右両端にには「貞享三年」と「五月吉日」。
貞享3年(1686)5月の造立銘と思われます。
しかし手水によくある「奉納」「奉献」等のタイトルが見えません。

蓮華といい、建立年代から見ても、この手水は、
浅間神社に付属したものではないように思われます。
かといって来見寺関連のものであるという根拠もありません。

ほかに細かく人名のような文字が彫られていますが、
これらは以下の手水左右の側面にも数多く見られます。

左は左側面、右は右側面。くずし字が多用され、なんとも判別できません。人名とは思うのですが、世話人等の銘もなく・・・。

手水左側面 手水右側面

本体: 高43cm、幅71cm、厚52cm。

浅間神社と杉野東山

開山は杉野東山

なお、この浅間神社を開山したのは書家の杉野東山で、本殿右の小さな石祠に記されています。当初の本殿石祠でしょう。
下左写真が正面でここにはなにも記されていませんが、石祠の右側面(中央写真)と裏面(右写真)で知ることができます。
なお、杉野東山は明和6年(1769)布川生まれの書家で、応順寺のコンテンツ で紹介しています。

本体: 高62cm、幅37cm、厚41cm。

旧本殿石祠 旧本殿石祠右側面 旧本殿石祠裏面

右側面は、「杉野東山 敬開山」。裏面は「文政二年卯八月 四十四世 法運代

文政2年(1819)年8月の開山で、44世法運の代ということですが、開山時期はともかくひとつ疑問があります。
この44世法運という人物は、来見寺の住職なのでしょうか。そうだとすると、ちょっと矛盾が生じます。
なぜなら、来見寺の 無縁塔 の「無縁塔建立記」の石碑には前住職北見正夫氏が第30世と記されているからです。
44が24の間違いだとしたら年代的には符合しますが・・・。44世が正しいとしたら、法運はどこの寺の住職でしょうか?
文政2年においてすでに44世もの代を輩出しているお寺というと、かなり有名な由緒あるところに思えます。
曹洞宗大本山総持寺や永平寺の歴代住職も調べましたがちがいますし、とても気になりますが、なんとも不明です。

44世云々はともかく、文政2年(1819)年8月杉野東山の開山は間違いないことでしょう。
この意味で言えば、前述した鳥居脇の 手水 は、それ以前の貞享3年(1686)5月造立なので
浅間神社とはまったく関係のない由緒のものといえるでしょう。

さて、杉野東山という文人の開山というのがいまひとつ不思議な気がしましたが、ここは、布川台というくらいの高台。
昔ならとても見晴らしのいいところだったのではないでしょうか。おそらくここから富士山も見られたのでは・・・。
富士を見ながら美人を愛でる・・・。
木之花開耶姫(このはなさくやひめ)という「美姫」を祀る浅間神社を「風流心」から造ってみたかったのではないでしょうか?

その証拠といっていいか分かりませんが、もう1基、東山関連の句碑が鳥居の背後に建てられています。以下。

杉野東山句碑

杉野東山句碑

梅に□□
くらしけり
富士之山 東山

□□が難読で読めません。最初が「日」かな?。
ただこの2文字もしくは3文字で4音ないと破調になるので、
あてずっぽうで、「梅に日々是くらしけり富士之山」あたりではないかと、
またしても勝って読みです。まず不正解、という自信があります(笑)。

それはともかく、当時は、きっとここから東山は
富士山を眺めていたにちがいないと思います。方向的にも合うし・・・。

文字は、側面・背面いずれもほかには見当たりません。
したがって、造立年も不明ですが、
前記石祠の文政2年(1819)とほぼ同時期と推定されます。

余談ですが、東山の風流心にはナンですが、
8月の開山では、式典ではさぞかし蚊に悩まされていたことだろうか、と(笑)。

本体: 高63cm、幅28cm、厚13cm。

拝殿と庚申塔

拝殿

これは果たして浅間神社の拝殿と呼べるのでしょうか。賽銭箱も鈴もありません。ただ扉上に多少飾り彫りが見えます。

拝殿 拝殿中
拝殿中

拝殿の扉を開けてみると(施錠されていません)、
左手に、昭和56年6月28日付で寄贈された椅子が見えます。
その下には、布川浅間神社講中と記されています。
このことで、やはりここが浅間神社の拝殿なのか、
と暫定ながら思いました。
暫定というのは、浅間神社の祭神関連のものは
なにも見つからないからです。

祭礼として、旧6月1日初山参りが行われる、
ということなので、講中は現在でも存在しているようです。

拝殿内の庚申塔

拝殿内の庚申塔

これが、拝殿内の唯一の石塔。真正面奥に建っている、
というか無造作に置かれています。
近くに寄って建立日等確かめてみたいのですが、
室内はとても靴を脱いで上がれる状態ではありません。
手入れや掃除もまったくされていない様子ですし、
床板も、腐食していると身重の tanupon では壊してしまう恐れもありそうです。

ただ、この塔は、遠目からみても、庚申塔であることは間違いないと思います。
中央は青面金剛で、右手にショケラを持ち、邪鬼を踏みつけ、
さらに下には三猿が描かれている、典型的な庚申塔です。

なぜこれを、浅間神社としての拝殿内中央に鎮座させるのか、
理解に苦しむところですが、山岳信仰としての祭神石祠を外の塚に設置したために、
拝殿そのものの機能が後退したということかも知れません。
また、拝殿というより単に社務所のような機能のものかも。

▲ 左写真撮影から4年後の2015年、再撮しようと訪問すると、
拝殿はさらに廃屋化して、中は真っ暗。でも、なんとか工夫して以下に。

庚申塔1

上記の庚申塔を2015年再調査しました。拝殿内は採光がほとんどなく、1度目は失敗。小さなライト持参で再度挑戦。
1度目では見えなかった造立年等も判明したほか、塔下部の鶏の線画も二羽描かれていることなども分かりました。
塔の左側面に「奉造立庚申供養」、右側面「享保五天庚子十月廿七日」で、享保5年(1720)10月27日の造立。

本体: 高119cm、幅52cm、厚28cm。

庚申塔1 庚申塔1右側面 庚申塔1左側面
庚申塔1下部拡大

下部には、「布川中町」「同行十人」とあります。

この塔はいろんな要素がオンパレードで見ごたえがあります。
青面金剛」6臂は、三又の戟、弓矢に加えて、
いわゆる「ショケラ」の髪を持ってぶら下げていますが、
ショケラは通常の裸像ではなく着物着用で合掌しています。

また斧や棍棒を持つ鬼神(夜叉)2体が踏みつけているのは、
青面金剛と同様に邪鬼でしょうか。
上部には、日月のレリーフ、そして二鶏、三猿とそろっています。

近くに寄ってみると塔の高さも1メートルは超え、なかなかの大きさ。
浅間神社講中の人たちがこれを主尊とするのは納得がいきます。

聞くところによれば、富士山が世の中に姿を現したのが庚申の年だった という言伝えがあるそうです。
つまり、富士信仰に庚申塔は欠かせないもののようで、このことから、富士講は庚申待を修行の一部としたといいます。
杉野東山が開山して造立した神道系石祠よりも、それ以前の享保年間から存在していたこの庚申塔を、
浅間神社として重要視した、というのはこのような背景があったからなのでしょう。不可解な点がひとつ氷解した気がします。

庚申塔2

拝殿前に建っている庚申塔です。『利根町史』には、万延元年建立の庚申塔とありますが、その庚申塔はこれではなく、
次の項目で紹介する庚申塔3で、本殿石段脇の大樹根元に食い込むように設置されています。
これは「皇紀二千六百年記念」として、裏面には「昭和十五年十一月建之」、昭和15年(1940)11月造立のものでした。

庚申塔2 庚申塔2裏面

本体: 高93cm、幅41cm、厚7cm。

同年同月の11月10日、宮城前広場において
内閣主催の「紀元二千六百年式典」が
盛大に開催されています。
皇紀とは、神武天皇即位紀元のことで、
皇紀元年は西暦紀元前660年にあたります。

裏面には以下11名が列記。
鈴木竹次郎
森杉藤太郎
香取得太郎
豊嶋淺吉
木村隆之助
香取竹次郎
渡辺專藏
香取重吉
白井榮一
海老原亀吉
香取平七

庚申塔3

手水の背後、神木らしき大樹の根元には文字塔の庚申塔があります。下左写真は正面で、台石には「講中」とあります。
中央写真は、右側面で「馬場上組」。来見寺近辺は、旧名馬場地区と呼ばれています。
最後は左側面で「万延元庚申年十二月」。万延元年(1860)12月の造立で、60年に1度の庚申の年です。

庚申塔3 庚申塔3右側面 庚申塔3左側面

本体: 高64cm、幅26cm、厚18cm。台石: 高22cm、幅39cm、厚19cm。

刻経塔

刻経塔 刻経塔裏面

鳥居の背後左には、「普門品塔」。
普門品は、「ふもんぼん」と呼びます。
観世音菩薩普門品という法華経のお経で、
その名を刻んだ刻経塔の一種です。
裏面に「安政五午年五月吉日」、
安政5年(1858)5月の造立銘。

でも、浅間神社は神社なのになぜ仏教が?
これも神仏習合の名残でしょうか。
本来は来見寺の敷地に置くものでしょうが、
場所がなかったのか、あるいは
禅宗と法華経との相性のせいなのか。

梵字 刻経塔台石

この塔の上部には梵字の種子(キリーク)が彫られています。
これは、如意輪観音を示すものでしょうか、
それとも阿弥陀如来でしょうか?

また台石には、以下10数名の名前が刻まれています。
右上が欠損しているため文字が一部不明です。

□□□□エ
白井□□門
新井吉□
星野甚兵エ
星野長兵エ
岡野政七
岩淵半助
玉邨市兵エ
久保田四良兵エ
市沢吉兵エ
渡辺源七
□□和吉
外五人

本体: 高126cm、幅47cm、厚10cm。
台石: 高19cm、幅48cm、厚36cm。

例大祭

初山参り(例大祭)

サイト開設9年目(2013年)にして、やっと参加してみました。しかし、猛暑の梅雨明け早々、前夜、半徹夜の絶不調の日。
初山参りは、「浅間さま」と呼ばれ、旧暦6月1日を守って開催されています。2013年は平日の7月8日(月)でした。
この日は、布川台側の柵が一部開くという噂も聞いていたのですが、時間もなかったので正攻法で来見寺境内石段から・・・。
日蔭がまだしも救ってくれましたが、身重が応える tanupon はもうへとへと。1時過ぎの暑い暑い時間でした。

初山参り(例大祭)

講中(?)の皆さんに聞くと、少子化というものの、
午前中にして昨年と同様17名の子供たちがお参りしたとか。
利根町の児童のすべてかも、とは悲しい冗談ですが、
思ったより盛況なのですね。

1歳、3歳、5歳、7歳の子供たちで、
1歳が「はつせんげん」、7歳で「やまじまい」。
平日の場合もあるので、数え7歳の未就学児童でしょうか。

例大祭用の幟も2旒、立てられています。

梵字

例の拝殿もしくは社務所らしき場所に祭壇が設えられています。

なにか掛け軸のようなものがありますが、聞き忘れました。
「この後ろに・・・像が安置されている」と聞きました。
例の庚申塔にまちがいないと思いますが、
以前から講中の方はそれをお守りされているので、
浅間神社としての本殿は実は石段の上だとしても、
それはそれで大した問題ではなく、要は気持ちですね。
それに、石造物としての完成度では庚申塔のほうが数段上です。

祭礼時の手水

この日は、手水鉢の上部にすっぽり被さる
金属製の盥が用意されていました。
なるほど。こういうやり方もできるのですね。
初めて見ました。これなら清潔な水が使えます。

でも、神道の神社例大祭に、道教発祥の庚申塔を祀り、
仏式の手水鉢で清めるという、なんとも不思議な習合の世界です。


あーーー、今夏はなんという蒸し暑さだ!
家の2階の仕事部屋はクーラーがまるで効かない!
とりあえず、こんなところで、サウナ部屋から退散。
(15/05/25・13/07/09 追記・13/07/08 撮影)


(15/05/25 追記) (13/10/24 来見寺より分離再構成) (13/07/09 追記・13/04/19 再構成) (05/05/29) (撮影 15/05/22・15/05/15・13/07/08・13/04/16・12/11/14・11/01/05・05/09/17・05/05/29・05/05/28・05/04/17)


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