![]() 天神様といえば、梅。
![]() |
早尾天神社の正規の入口は鳥居の立っているところですが、
これは早尾のメイン通りではなくその東端を右折したすぐのところにあります。
鳥居

鳥居の額には早尾天神ではなく、天満宮とあります。ここはいつも午後は逆光で撮りにくいところです。
(画像クリックするとかなり下からのUP写真ですが文字が読めます)
右の写真は道路から4、5段の石段を登って鳥居をくぐってから入口を振り返って見た所です。

メインのバス通りからも入ろうとすれば入ることもできます。
左の写真の坂道を登れば境内中央への近道になります。
たいした坂ではありません。ラクラク登れます。
右奥に見えるのが拝殿。左の祠が境内社の大宮大明神。

鳥居から境内の中を見たところ。
青い建物が拝殿。その手前が手水。さらに手前が石碑。
いちばん手前に石燈。右には祠が見えます。
この天満宮がいつ創立されたのかは実は分かっていません。
応永年中(1394〜)別当西光院奉務す、
という記述が利根町史にありますがそれ以前ということでしょうか。
御神楽百人講記念碑

鳥居のすぐ右脇には大きな石碑が立っています。
しかし、これは道路側を向いているため
境内からは前のほうへ回りこんで石碑を見なければなりません。
ところが道路との境に柵があり、今度は柵と石碑との間が狭いため
真正面から撮影することができません。
御神楽百人講記念碑と書いてあるのをやっと確認しました。
常夜燈

これは御神燈。
町史には、松平上野介附人 鈴木専右衛門建立とあります。
各種の石塔・石碑など

右手のほうには御神木らしき大木を挟むように各種の石塔・地蔵などが並んでいます。
どちらが御神木?

石塔群の間の巨木のほかにもう1本、奥に背丈のある大きな木が立っています。
天神の御神木は梅の木と聞きましたが、これらは、では御神木ではないのでしょうか?
早尾天神祠碑

拝殿の手前、境内の中央に立っています。
早尾天神祠碑。
芭蕉の句碑があるというのですが
これを指しているのでしょうか。
「廿五(にじゅうご)日は天神の祭りかな」
と記されているというのですが、へんな句ですね。語呂が悪いし。
でもこれにより毎年1月25日(に近い日曜日)に早尾天神社では例大祭を行っているとのことです。
芭蕉の句碑は楳華碑(ばいかひ)と呼ばれていて、杉野東山書ということですが、さてどうなのでしょう。
ほかに句碑のようなものがどうも見当たらないのですけれど・・・。
05/04/09 「楳華碑」発見!
早尾天神祠碑は関係ありませんでした。
上の碑の写真のさらに2枚上の写真・・・石塔・石碑がいくつかと地蔵が写っている写真にご注目!
後列のいちばん左の石碑、これが芭蕉の句が記されているという「楳華碑」だったのです。
ちなみに「楳華碑」の「楳」の文字は「梅」と同じ意味で、つまり「梅華碑」「梅花碑」という意味になります。
タヌポンの好きな異色の漫画家で、「まことちゃん」などで有名な「楳図(うめず)かずお」氏の「楳」と言えばよく分かりますね。

石碑の台座の部分を洗ってみました。
すると文字がくっきりと現れてきました。
右から「楳華碑」と書かれています。
土で汚れていて見えなかったのです。
しかし、上の碑に彫られた文字はどうしてもよく読み取れません。
かすかに読める文字を拾っても、
これは「廿五(にじゅうご)日は天神の祭りかな」とはちがうようです。


向かって右サイドはまったく読めません。
ここでは紹介しません。
真後ろはどうかというと・・・。
左がそうですが・・・。
これもいろいろ書いてありますが、句のようではありません。
さて、残りは、向かって左側。
なんと・・・。
濡れタオルでよく表面を磨いてみると!!!・・・何かそれらしい文字が・・・。

●五日は
天神の
●●可那
●印のところがいまひとつ見えにくいのですが、これが明らかに例の句であることは確かなようです。
可那は変体かなで「かな」と呼びます。
しかし最初の文字が廿または二十のようにはタヌポンにはどうしても見えません。
もしこれがちがう文字だったとしたら毎年1月25日の祭りは意味を成さなくなります。
でも、エライ学者さんたちがちゃんと解読しているか、別の文献に書かれているのでしょうね。
さらに左のほうに何文字か書いてあるのも、さっぱり分かりません。
下のほうは辛うじて
菜日庵二世
東山 拝
と読めます。杉野東山書ということは確実のようです。
因みに、書家杉野東山は布川の俳人である杉野野叟の長子で、
野叟が菜日庵(さいじつあん)を号したことからその二世を名乗ったとあります(利根町史第6巻)。杉野東山については詳しくは応順寺の項目で。
しかし、これが果たして芭蕉の句なのかどうかははっきりとはしていないようです。(えっ、それなら意味がないのでは?)
(05/04/16追記)(05/04/09撮影)
なお、この句碑は、当初、鳥居付近にあったところを現在の場所に移したといいます。
そのときに碑の向きを間違えて置いてしまったため、句の彫られた面が正面に来ていないということでした。
(利根町歴史民俗資料館の方よりお聞きしました)
(05/05/01追記)
石祠一部説明
以下、楳華碑の隣に並んでいる石塔の拡大画像。
西国四番札所、千部経王塔とか敷石供養塔の文字が見えます。

タヌポンは知らなかったのですが、菅原道真公と25日という日付は実は縁が深かったのです。
それは・・・。
生まれた日も亡くなった日も25日だったからです。
生年は承和12年(845)の6月25日であり、
大宰府に流されて浄妙院で亡くなる薨年(こうねん)もなんと延喜3年(903)年の2月25日なのです。
しかし、しかし、です。そうだとしても、いやそうであるからこそ、
この媒華碑に記された芭蕉?の句頭を25日と決めてしまった、というようなことはないのでしょうか?
「●五日は」の●印の文字は実は正確に判別されたものではなく、
菅原道真の生死の日付から推測したものではないのか?という疑問がタヌポンに生まれてきました。
しかし可能性としては、これがもし判別されていない文字であったとしても、
やはり25日と推定するのが妥当ではありましょう。
でも、ぜんぜん別の言葉だとしたら・・・。
たとえばどんな文字が該当するのか分かりませんが、もしそうだとしたら
「●●可那」の●印の文字も、祭りではなく別の言葉になるのかも知れません。
こんなことを想像するのもなんとなく楽しいとタヌポンは思っています。
でも、全国の天満宮などでは毎月の25日を縁日としているところが多いようです。
給料日としているところも多いですから、菅原道真公もなんとなくいい日に縁のある人ではありますね。
(05/04/29追記)
手水舎と絵馬

手水舎(ちょうずや)と絵馬が拝殿前に向かい合って建てられています。
さてこの手水ですが画像クリックしてみてください。卍が彫られていますね。
これが神社とは異質な感じがしませんか?
ほかに判読できる文字を探してみますと・・・早尾村 西光寺 というのが見えます。
調べてみると徳満寺の末寺でいまは廃寺となっている西光院という寺の存在が分かりました。
この手水はその西光院に奉納されたものなのですね。もともと早尾天神社のものではないのです。
(05/09/18追記・05/09/17撮影)
絵馬には千羽鶴なども取り付けられていますね。入試はうまくいったのでしょうか?
タヌポンの奥さんも娘の高校入試のときにここでお願いしたんだとか。
お願いばかりするけどお礼はあまりしませんね。いまがチャンスです。
ん・・・やはり二拝二拍手一拝?
この手水舎のすぐ左隣りに利根七福神の福禄寿があります。
拝殿

さて、拝殿。
とくになんということなしですが・・・。
注連縄がないようですね。いいのかな?
(クリックすると鈴のUPになります)

拝殿中もとくに・・・千羽鶴が多いですね。右は拝殿上部の篆額。東京女子薬学校長岡田重信氏の書ということです。
本殿
さて、本殿です。朱色に青となかなか鮮やかです。道真公もご満足してますでしょうか。

ところで、早尾天神社の境内社ですが・・・。

これは、大宮大明神。
配祀としては大宮比売(おおみやひめのみこと)。昭和56年(1981)に遷宮。
これもなかなか立派です。
木鼻の獅子などにも色がついています。

もうひとつ、大宮大明神と先ほどの石塔群の間に祠があるのですが・・・
これが何なのか分かりません。
祠の中には3体の像が安置されています。
いちばん右のお坊さんはずいぶん小さいですね。この差は何なのでしょう?
初期の探索ではこれが何であるか分かりませんでした。四郡大師と知ったのは何ヵ月か後になります。
番号札がついているはずですが撮影時には注意していませんでした。
おそらく31番だと思います。(また後日、撮影してきます→05/09/17撮影=クリックして表示)

中の3体のお坊さんがそれぞれだれになるのかはいまだ不明です。少なくともひとりは大師(空海)なのでしょうが。
ここから先は分からないことばかりです。

本殿裏で見つけた妙なもの。
木の根元から3本の棒が扇を広げるような角度で広げて地面に刺さっています。
先には紙垂のようなものが巻きつけてあります。魔よけか何かのおまじないでしょうか。
この少し右手には草木に隠れて石祠がひっそりと立っていました。これも何か分かりません。
さらに・・・。
境内奥、というより隣りの敷地。早尾天神社からいったん外に(鳥居のところからではなく大宮大明神脇からバス通りに)出てすぐ左手に入ると・・・。
とてもきれいな梅の木が何本か立っているミニ梅園があるのですが・・・。


何か見えますね。白梅の木の下のほうに・・・。

うーーん。また石の祠ですね。
早尾天神社あるいは菅原道真公と何か縁があるのでしょうか?
石碑に刻まれているものが分からないので何ともいいようがありません。
(左の写真で石祠の前に見える白いものは大根のお供えです)
早尾天神にはもうひとつ奥の宮があるということですが、
「奥の宮」の文字が朱書きにされていることとかその設置場所が「早尾坊谷津上」というところ、
ということで上の石祠はどうもそれには該当しないようです。
「奥の宮」はいったいどこに?(奥の宮、発見!へ)
早尾天神社には宿題を多く残してしまいました。
(05/09/11追記)
(05/04/03)(撮影05/01/03・05/04/02)
例大祭に初めて訪れたのは2007年の1月でした。
1月25日が菅原道真の縁の日ですから、その前後の日曜日ということで検討をつけて訪ねてみたわけです。
2007年は1月25日は木曜日なので、まずその前の日曜日である21日に行ってみると翌週であることが分かり、2週続けて28日も行くことになりました。
でも、21日にもちょっとした行事があり思いがけないシーンを撮ることができました。
左は21日、右は例大祭の日。飾りつけがちがいますね。でも、ふだんは28日の飾りつけはおろか21日のように扉は開かれてさえいないのです。

左の21日の拝殿内では氏子の皆さんと神主さんで。右は例祭当日。お賽銭だけでお祓いしてくれるのかも?

お札を買わないとお祓いをしてくれないのかどうか聞き忘れました。
右の例祭当日の「古札納処」にふりがながふってあったので、初めてこれが「ふるふだおさめどころ」と読むことが分かりました。
別のお寺などにもこれが記されているところがあり、「こさつのうしょ」と読むのかな、なんて思っていました。


21日に訪れたとき、10数人ほどの壮年男性が焚き火をしたり、神主さんもいて祝詞をあげたりしているので、例大祭なのかなと思いましたが、案内で翌週ということを知りました。では、きょうはなに?
左は大宮大明神に参拝する神主さん。聞いてみると、「菅原道真公の天神社とは別なのですが境内社の大宮大明神もわけへだてなくお参りしているのです」とのこと。早尾天神社にはどうして大宮大明神があるのか、その特別な関係を聞きたかったのですが、タヌポンの疑問の趣旨はうまく伝わらなかったようです。
写真を撮ったりしていると、拝殿脇に置いてあった弓矢と的を取り、境内に的を設えようとしています。
「なんか流鏑馬(やぶさめ)でも始まるのかなあ」とタヌポンがつぶやいていると、
氏子の1人のかたが「ああ似ていますが、御歩射(おびしゃ)ですよ」。
「なるほど、御歩射でしたか!」
上曽根の稲荷大明神のコンテンツで前に紹介したことのある儀式でした。実際に見たのはこれが初めてです。
以下、御歩射の道具と境内に立てた的、実際の様子です。


一眼レフでバシャバシャ撮っているタヌポンをなにか報道関係の人間と思ったのか、氏子代表のような方から、「これから‘おうけわたし’の儀式をやるのでよかったら・・・」ということで、社務所にお邪魔して写真を撮らせてもらいました。
くわしくお尋ねする時間がなかったので、内容はさっぱりなのですが、何か神社関連の引継ぎの儀式のようで、毎年、神様の役割を氏子の人たちで持ち回りにするというそんな印象を受けました。
儀式のなかで、お酒を立て続けに何倍も飲まなければならない様子で、このハイペースは飲める人でも結構、つらそうです。
儀式のお供えには昔なら大きなフナを生簀に入れて飾ったりしたものだということです。
写真をお送りする予定なのでもしまたお話しできる機会があれば、この儀式のことなどもう少しくわしいことを聞いてみたいと思っています。以下の「御受渡」の文字も暫定です。

さて、28日に再度、訪れました。
昔は、日曜日ということにこだわらず、厳格に25日に決めていたようです。
また、それにもかかわらず、昔は、こうした出店も、境内を出て、鳥居の前の通りから坂の下までずらりと並び、たくさんの人が参詣したというのです。いまは出店もわずか3店。寂しい限りです。
昨年は少し寒くて1月中は梅は咲いていませんでしたが、一昨年は元旦から咲いていました。早尾天神社の紅梅はどの地区よりも少し開花が早いように思います。さすがは梅が神木の天神様ではあります。


タヌポンがとても興味を抱いたのは、この幟旗。
さて、何と書いてあるのでしょう?
いちばん上の3文字は菅公之ではないでしょうか。「菅公」すなわち菅原道真公の、ということですね。
その下がまた達筆で分からないのですが、梅とか桜とか松とか・・・。
要は菅原道真公の梅は松や桜よりも価値がある、なんていう趣旨なんではないでしょうか。
氏子の方のひとりに聞いてみましたがご存知ないようでした。
(クリックして拡大できます)

例大祭のときだけなのでしょうか。
手水の前が、榊の樹で飾られていました。
ふだんはなかったハズです。
これからもこのままになるのかしら。
後日、また訪れて、どうなっているか確かめてみることにしましょう。
→やっぱり「榊」は祭礼など特別な日だけの装飾のようです。070505撮影。
(07/05/19追記)(07/02/06追記)
(撮影07/05/05・07/01/21・07/01/28)