タヌポンの利根ぽんぽ行 応順寺

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応順寺


利根町羽中(はなか)1411番地にある応順寺。
羽立山(うりゅうざん)と号し、初代教慶院釈清信により、
天正16年(1588)に開基された浄土真宗のお寺です。

八重咲きの名木「八ッ房の梅」があるなどとても美しいお寺。

小林一茶と親交のあった古田月船(げっせん)や
布川の書家杉野東山などの文化人の記念碑・墓などがあります。

タイトル画像は2画像のjavascript処理をしていますが、IE以外では固定1画像のみの表示となりますので、以下、2画像のミニ画像を再掲します。(クリック拡大できます)

無量寺観音像 三峯神社

利根町中南部地区マップ

リンクしないアイコンはコンテンツがまだできていません。ここは探索がいちばん遅くなった地区で、コンテンツができていないところがほとんどです。その中でも、この応順寺は比較的早い時期に作成しました。
マップの右端に立木新田の水神宮がありますが、これは利根町最東部もしくは少し北の立木地区に入れたほうが妥当という感もします。便宜上、中南部としていますが、その東の惣新田探索時に訪れてすでにコンテンツを作成しています。



羽立山応順寺、浄土真宗の美しいお寺

応順寺 門 親鸞聖人の碑

浄土真宗ですから門を入った左手のすぐ裏に親鸞聖人の碑が建っています。
昭和48年(1973)に造られた生誕800年、立教開宗750年を記念したものです。

参道

この門の前方には参道が続いています。左の写真からまっすぐ奥に進むと寺があります。
右はその参道入口の位置から後を振り返ったところ。一面がたんぼです。

寺への参道
参道入口の背景


境内

門を入って正面が本堂。右手には利根七福神の不老長寿の神様、寿老人が建てられています。

本堂と右に七福神
本堂

羽立山の篆額

左は、本堂の篆額。
門に書いてある「羽立山応順寺」を読めばこれが「羽立山(右から)」と書かれていることぐらいすぐ分かりそうなものなのに、タヌポンは最初、山の字を「坐」なのかなと思い、また「立羽」を「翊」なのかなあと勝手に推測し「翊坐」っどんな意味?と頭をひねっていました。

この篆額の文字も、布川の書家杉野東山が天保10年6月17日付で記したもののようです。
杉野東山をその門弟たちが祀ったという「筆子塚」があると利根町史に書いてあったのですが、どこなのかよく分らないので思い切って寺の方(ご住職かも?)に聞いてみました。
そのときに、篆額の文字の読み方も教えてもらいました。

寿老人の後方には鐘楼があります。その反対側、門から入って左手には石材で設えた縁台があります。
ミニ石庭でとても座るにはもったいない感じです。(まだ少々寒い時期で冷たそうだったからも少しあります)

鐘楼
石の縁台


八ッ房の梅はどれ?


ところで、応順寺を訪れたのが2月から3月で梅を見るには絶好の時期だったのですが、八重咲きの名木「八ッ房の梅」があるとは後で知ったこと。以下、とても美しい梅の写真を撮ってきましたがこの中のどれなのでしょうか?これも宿題ですね。

梅
梅

梅
梅



紅葉

4月に再度、訪れたときこんなモミジも見つけました。常時、紅葉している種類?


いちょうは大きくて立派ですけど4月はまだ葉っぱが出てきませんね。
応順寺だけでなくみんなそうですね。

いちょう


利根町の文化人2人の墓碑

古田月船

古田月船の句碑

門を入って右手の奥へ回り込むようにして進むと、塀を背にして古田月船(ふるたげっせん)の墓碑が2つ立っています。

月船は布川の問屋の隠居ではないか、と柳田國男が推測しています。それが事実かどうかは分かっていないようです。
とにかく小林一茶と親しく、江戸にも名を知られた風流人だったようです。

右側にある墓碑の向かって左の側面(左写真参照)には、


「花守が余所(よそ)の花見る月夜かな」


の句が刻まれています。五水庵と名乗っています。


古田月船の墓

天保8年(1837)正月2日、81歳でこの世を去りました。
子がいなかったのかいまは無縁仏となっています。
辞世の句は、

「花の春八十一年のめし(飯)としる(汁)」



杉野東山


本堂前から左手の方向に進んで突き当たると、少し塚のように高くなったところに杉野東山の碑が立っています。
讃岐の人、河田興がその碑文を撰し、「門人相謀りて金を醵し、石を立て以って不朽を図り文を余に請う」とあります。
これは、いわゆる筆子塔(塚)といわれています。右の写真の碑の台座には門人弟(もんにんてい)と記されています。
注)「醵し」とは難しい言葉ですが、醵す・・・「きょす」と読みお金を集めることを意味します。

杉野東山 門人弟
杉野東山 門人弟


亀跌(きふ)墓

碑の隣には杉野家の墓があるのですが右側の台座はとても珍しい亀の形をしています。これは亀跌(亀石)墓と呼ばれるものです。
しかし、これを見ていると何かちょっとした違和感を感じませんか?
「これが、亀?」
そうです。体はともかく顔というか頭というかどうもちがうような・・・。
それは「耳」があるからです。
神社には狛犬やキツネなどさまざまな動物が神の使いとして飾られています。
この神の使いを「眷属(けんぞく)」と呼んでいるのですが、そのなかには亀も含まれていて、そういう場合の亀にはなぜか「耳」がついているというのです。
応順寺は神社ではなくお寺なのですが、この亀もそうした眷属の一種なのでしょう。
(05/04/26再追記)(05/04/23追記・撮影)



杉野東山は、明和6年(1769)布川に生まれました。東山は号で諱(いみな、つまり本来の名前のことです)は利恭、生業は搾油でした。当時、菜種油を絞るのがとても繁盛していたようです。碑には、性格が正直で飾り気がなく見栄を張らず、また人を笑わすのも得意だったというようなことが書かれています。最初は趣味として習字をとくに好んだといいます。
50歳になってから家業を子息につがせ、もっぱら書道三昧の生活に入りましたが、達筆の名声はたちまち上がって子弟は800人余りにも達したといいます。


杉野嵩雲の絵馬


ところで、東山の弟に「嵩雲(すううん)」という画家がいて、布川の琴平神社にその絵馬が奉納されています。

絵馬 水難救助図
搾油図


左が杉野嵩雲が描いた「水難救助図」の絵馬。琴平神がおぼれている子供を救う様子が描かれています。嘉永4年(1851)琴平神社に奉納されたものです。
右は同じ琴平神社に奉納されている「搾油図」の絵馬。当時の搾油作業が生き生きと描かれています。
しかし、この「搾油図」が杉野嵩雲作とは「利根町の絵馬展」のパンフレット(利根町教育委員会編集発行=05/02月開催時配布)には明記されていません。でも実家が搾油業であるなら彼の絵である可能性は高いのではないでしょうか。
どちらの絵馬も利根町の文化財に指定されています。


寺宝御絵伝と阿弥陀如来立像

応順寺には、寺宝として宗祖親鸞聖人の行跡・一生を描いた「御絵伝」がありますが、11月初旬に開催される報恩講で一般公開されるということです。
あと阿弥陀如来立像も安置されているということですが、どうしたら見られるかは不明です。

(05/04/23追記・撮影)
(05/04/19)(撮影05/02/13・05/03/19・05/04/16・05/04/23)