けっこう大きいですね。
小さな石祠だけではないのに
どうして見つからなかったのでしょう?
実は、徳満寺境内からは
ここへは行けないのです。
天神宮の敷地自体は
徳満寺の所有地かも知れませんが・・。
徳満寺の正規の入口前の道路を
北にわずか20mほどいった先、
道路に面したところにあるのです。
その道路とは千葉龍ヶ崎線で
かなり車の交通量が多く、
どちらかというと徒歩では
通り過ぎる機会が少ない場所です。
確かに徳満寺のすぐ近くとはいえ
まったくの盲点でした。
位置関係は下の写真でお分かりになると思います。
徳満寺の入口が写真の左。右手の鳥居が天神宮です。
目と鼻の先です。
天神宮の真裏は、境内ではなく
徳満寺に隣接した保育園だったのです。
これでは境内の施設・史跡等々を
いくら探しても分からないですよね。
なぜ分かったか?
実は徳満寺のご住職(多分?)の方にお尋ねしたのです。
しかし、すんなりと答えていただいたわけではありません。
あっと・・・誤解のないように。ご住職にいじわるされたということではありません。
ご住職自身も最初、「えーと、どれだったかなあ」。
それはそうなんですね。徳満寺はお寺であり、天神社は神社管轄なんですよね。
たとえば「子育て地蔵」のことなど徳満寺のことをお尋ねしているわけではないので恐縮しました。
「昔は、うちの境内にあったようなんですが、ご存知のように明治の廃仏毀釈のせいで・・・」
なるほど。
それでも思い出していただいたようで・・・。
「たしか保育園の時計台の裏手に鳥居があったけどあれですかな」
これが、タヌポンが「徳満寺の天神宮」をやっと発見したいきさつです。
(しかしほんとうはそのあとすぐに見つかったわけではなく、最初、方向音痴のタヌポンは、すぐ左の鳥居に気が付かず、
道路を横切って向こう側の崖に見つけた小さな階段を登ったりするなど「別の探検」もしていたのです)
さて、天神宮ですが、
まあ菅原道真公が祭神であることは当然なのですが、
それ以外は、この「徳満寺の天神宮」の由緒沿革などは
何ひとつ分かっていません。
石祠と鉄製の鳥居がある、それだけです。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・!!!!
こんなとき、タヌポンはなぜか、
さらなる???を思い浮かべてしまうのです。
早尾天神社、押戸の天満宮そしてこの徳満寺の天神宮・・・。
どうして 天神社、天満宮、天神宮 と
呼び方がちがうのでしょう?
→ 上記の謎は、以下の「神社の呼び方」で解明します。
さらに先日、もうひとつ発見した
円明寺の天満宮の謎。
これらの回答探索はこれからです。
神社の呼び方には「○○神社」「○○神宮」「○○宮」「○○大社」「○○社」・・・といろいろあります。
これらはいったいどういう決まりでそう呼んでいるのでしょうか。
特例が実は多いのですが、一般的な法則としては次の点があげられます。
(以下は、明治神宮のWebsite より抜粋・引用しました)
ということですが、さて、上記の解釈で、菅原道真公の神社はというと・・・。
天満宮は、3に該当し、古来から伝統的に称されているということですね。
天神社は、5で、大きな神社から御祭神を勧請した神社ということですが、祭神はもちろん菅原道真公ですし、
この場合の大きな神社とはどの神社を指すのでしょうか。京都や九州にある北野天満宮のことでしょうか。
この辺りがいまひとつよく分からないし、では、天神宮は、ということになると、やはり不明です。
ここは、神社の呼び方の種類というより、菅原道真公の神社ということに限って、
「天満」と「天神」の言葉の意味から調べてみたほうがいいようです。
菅原道真公は、「学問の神様」とされ、入学祈願の対象とされています。
でもなぜ「天神様」と呼ばれるのかは、学問の神様というのと符合しませんね。
それは、道真公が、恐ろしい雷神としてのもうひとつの顔をもっているからです。
むしろ、天神様とまつられるそのきっかけは学問の神様としてではなく、
怨霊としての菅原道真公の怒りを鎮めるためのものでした。
その怒りの象徴が、道真公の死後に頻発した落雷だったわけです。
すなわち、天神には雷神の意味があり、道真公の死後、火雷天神と呼ばれ雷神信仰と結びついたのです。
ところが、実は、天神とは必ずしも雷神だけではありません。
天神は、もともとは天津神(あまつかみ)といい、天の神ですから、雷神のほかにもたくさんいるわけです。
たとえば、少彦名命(すくなひこなのみこと)は「天使大明神」と呼ばれ、天津神の1柱で、
これを祭神とする神社も「天神宮」「天神社」と呼んだりするのです。
つまり、「天神宮」「天神社」には、菅原道真公を祭神としない神社もある、ということです。
(例:御幸森天神宮、北白川天神宮、五条天神社など)
これは意外でしたね。さらにややこしくなってきましたが、さて、いっぽうの「天満」にはどういう意味があるのでしょうか?
天満とは天満(そらみつ)。道真の怨霊が雷神となり天に満ちた、という意味
表題のように、天神とちがい天満という言葉は、道真公だけに用いられる言葉です。
死後、天神のうちの1柱とされて「天満大自在天神」略して「天満天神」と呼ばれたというわけです。
ですから、菅原道真公を主として祀る神社は、正式にはすべて「天満天神宮」もしくは「天満天神社」となります。
「天満天神」の宮、「天満天神」の社(やしろ)というわけですね。
ちなみに逆の「天神天満宮」「天神天満社」などはありえない名前になります。
「天満天神宮」「天満天神社」の省略形が、天満宮、天神宮、天神社、さらに天満社も
タヌポンの見た「天満宮」「天神宮」「天神社」のすべてが、「天満天神宮」「天満天神社」に帰結するわけですね。
そして、注意することは、「天満宮」はすなわち菅原道真公ゆかりの神社であると言えますが、
天満のついていない「天神宮」「天神社」には、菅原道真公以外の神様を祭神としている場合もあるということ。
その場合の「天神宮」「天神社」は、「天満天神宮」「天満天神社」とは呼べない、ということも言えます。
あと、天満宮、天神宮、天神社があるなら、天満社もあるのでは、と思って調べてみると・・・ありますね。
天満神社というのもあります。でも、天満がついている限り道真公ゆかりの神社であることはまちがいありません。
やっと、懸案の疑問が氷解しましたが・・・・
それでは、さらに追求して、「天満天神宮」と「天満天神社」のちがいは?
・・・これは、どちらも同じ、大差がない、というしかありませんね。
それと、もうひとつ。
天神宮・天神社には、菅原道真公以外の神様を祭神としている場合もある、ということですから、
徳満寺の天神宮の祭神は、はたして菅原道真公でいいのでしょうか?
町史には、菅原道真公とあります。でも、その確かな根拠はどこにあるのでしょうか?
(11/01/18・10/12/12追記) (05/05/24) (撮影05/04/08)