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この鳥居の手前は利根川沿いの道路です。
その道を西から訪ねたのではなく、左に見える細道の先から辿ってやってきました。その先とは、加納新田の瑞雲寺霊園や茅沼、安兵衛沼のあるところです。
このコーナーを見つけたときは、ようやく利根町のだいたいの主なポイントを制覇したかなという実感がしました。
祭神は、水波能女命(みずはめのめのみこと)はほかの地域の水神宮と当然、共通ですね。
由緒は不詳ですが、昭和58年(1983)に改築されているようです。
本殿は木造・瓦葺、鳥居は・・・反り増しがありますので明神鳥居系ですが、貫が柱までですから「中山鳥居」という種類(狸の巻物・鳥居の見分け方参照)のようです。御影石製です。
(画像クリックすると神額のUPになります)
ここにも四郡大師が祀られています。(46番確認は画像をクリック)
いつも思うことですが、堂のなかに2体以上の像が安置されている場合、それぞれ何か意味があるのでしょうか。
空海大師とそのお供のお坊さんなのか、いずれも大師を表現しているのか。
これらは徳満寺のご住職にいつかお尋ねしてみたいところです。

拝殿と本殿
以下のように拝殿と本殿が一緒になったお堂があります。
扉は施錠されていないので開いてみました。すると神棚が2つ。
右のは、どうも稲荷神社のように見えますがどうなのでしょうか。
(下のはいずれもクリックして、左は中央の神棚、右は稲荷?の拡大画像になります)

東奥山新田の水神宮には、「神像」が祀られていると町史にありましたが、この神棚の中にあるとは思えませんね。
どこか別のところに大切に保管されているのだと思います。
手水と鈴
鈴はちょっとピンがあまかったので、今度訪問したときに再撮です。手水は古いもののようです。

大日如来の石碑

入口、鳥居の向かって右側、道路脇に「大日如来」の石碑が建っています。
碑には、「光明真言百萬」「念佛百萬」と記され、文化8年(1811)4月10日建立ということが分かりました。
ここで少しうんちく。
大日如来とは、宇宙の根源とさ れている仏で、悟りの境地に達し真の仏となった者のことを言います。これに対し、観音菩薩や地蔵菩薩などは如来になる前段階の修行者という意味になるようです。
(ああ、仏教も奥が深くてとても狸の巻物で説明しきれないだろうなあ・・・と何も手をつけてないうちに愚痴を)
稲相月参講 三十年記念碑

水神宮の本殿前に2基の石碑が並んでいますが、あまりよく分かりません。
右のはまったく???ですが、左のは「稲相月参講 三十年記念碑」と記されています。
稲相月参講も???ですが、30年記念も何のことやら???
月参講は、東京浅草にお茶湯月参講(おちゃとうげつさんこう)という講があるようですが、タヌポンの想像では、稲相月参講とは、稲の収穫に関連して縁日等の催しを行う講という意味では・・・と思います。
さて、利根町史には、石塔として、二十三夜塔 文政7年(1824)ほか2基、と記されていますが、先ほどの大日如来の石碑とあわせて数は合いますが、どうも二十三夜塔とはどれなのか不明で、やはり???となってしまいます。
さて、まだ日は高いので、東奥山新田のさらにその東、河内町のほうをちょっと覗いてみましょう。
利根川沿いの道を少しだけ行ってみるだけです。

50ccの原付バイクでそうですね、ものの何十秒も走らないところに、「あれれっ木陰に何かあるぞ」。
いやあ、これは驚きました。
注意して見ていかないと見逃してしまいますね。
それにしても・・・また薮蚊が多そうなところ。防虫スプレーをかけてから・・・。
立派な明神鳥居
表からは樹木に隠れてよく見えませんが裏からみると意外としっかりした造りの鳥居です。
奥に見える本殿上部の紺色が不気味に鮮やかです。

本殿


何神社なのでしょうか。
本殿内の眷属像をみるとキツネのようですから稲荷神社でしょうか。
しかし、これもどことなく不気味さを感じますね。
手水

いつか河内町の本も調べなくてはなりませんね。
さて、もう少し・・・・・ととととと、ほんとにもう少し、わずか数秒で、またしてもポイント発見!

左に河内町教育委員会が設置した立札があります。これを読むといろいろなことが分かります。(画像クリックすると読めます)
まず、この地が、河内町の生板鍋子新田藤蔵河岸(まないた・なべこしんでん・とうぞう・がし)という地名であることが分かります。
藤蔵が「ふじくら」ではなく「とうぞう」と読むことも意外でしたが、タヌポンが知らなかったのは「生板」です。
「なまいた」ではなく「まないた」なんですね。
これは「だらしない」が元々は「しだらない」だった、また、あたらしい(新しい)が本来は「あらたしい」であったというように長い間に逆転してしまった言葉なのでしょうか。ちなみに「新しい」は現在でも副詞は「あたらに」とは言わずに「あらたに」と言いますがそれが昔の名残なのですね。
そして、河岸。
ここは明治29年(1897)の常磐線の開通以前は江戸時代の高瀬舟、そして蒸気船の往来の要衝地であったわけです。
常夜燈はその船の往来のためのもの。金毘羅大権現は航海安全の神様なのですね。燈籠の竿の部分に象頭山(ぞうずさん)という文字が彫られています。こんぴらふねふねの歌で有名な四国金毘羅宮の山ですね。

さて、金毘羅常夜燈からさらに東に少し行って左折してしばらく行くと、藤蔵集会所があります。
ここで、なんと四郡大師を見つけました。

これは残念ながら番号は不明でした。
大師脇の石塔など
大師の隣に2基、手前に縦に5基、仏教関連と庚申塔などが建っています。
手前は4基しかにいように見えますが、樹木の陰に1基、庚申塔があります。


藤蔵集会所から北に上ると見晴らしの良い交差点に出ますが、そのコーナーに比較的新しい道祖神が祀られています。
平成12年(2000)11月吉日で、「藤蔵集落大師様世話人一同」の名で再建記念碑も建てられています。
以上、東奥山新田のさらに東、河内町生板鍋子新田藤蔵地域のポイントを少しだけ紹介しました。
(05/09/03)(05/08/21・05/08/26撮影)