利根町の鎌倉街道 目次
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このページはおそらくは昔、鎌倉街道であっただろうというルートを紹介します。
(鎌倉街道地図上では、ルート1とルート2に該当)
現在はもえぎ野台という住宅地になっています。
この宅地開発の前はきっとそれらしい名残りがあったと思われますが、
現在、その痕跡を残すのは少し街道から外れた泉光寺のたたずまいと
そこへ導く坂下にある庚申塔くらいでしょうか。
写真は、その坂下の交差点にある泉光寺への道しるべ、
そしてそこから西へとさらに下っていく街道跡を振り返ったシーン。
その2つを組み合わせました。(これらは2004〜2005年の写真です)
→ 泉光寺への道しるべ、さらにもえぎ野台の街並みはここ数年で変化してしまいました。
道しるべの看板は消失し、泉光寺の霊園の POP 看板に。
もえぎ野台は泉光寺への参道坂道脇にも新築の家屋が建ちました。(10/12/20追記)
鎌倉街道はこれをまっすぐ進み、500mほど行くと、
南北に走った千葉竜ケ崎線にぶつかりますが、
それを突っ切って大平地区を抜けて布川方面へと続いていたということです。
このルートはすでに宅地開発された舗装道路で、おそらく以前は街道であったであろう道を紹介します。
とくに見所はありません。もえぎ野台から鎌倉街道へ初めて行かれる方のためにビジュアルで道順を紹介しました。
途中、泉光寺から鎌倉街道入口までは約250mくらいでしょうか。
→ この YuTbe の写真は2005年撮影で、現在、様子が変化しています。
泉光寺の道標は撤去され、墓苑広告看板に変わりました。また、鎌倉街道入口脇には民家が新たに建っています。
大きな道しるべの看板の裏に2つの石塔が向かい合わせで立っています。
つつじの木に埋もれているので看板に気をとられていると見逃しそうになります。ご注意。
向かって左(写真左)が庚申塔と読めるのですが、右の石塔は何なのか分かりません。
→ 2012年7月現在、上記の文字塔の庚申塔は不明ですが、もう1基の石塔が見つかり、やはり庚申塔と判明しました。
左は2005年。右は2010年。ちがいは一目瞭然です。
まず、参道に向かって左に家が建ちました。右のほうには、「泉光寺墓苑」の看板が新しく立てられました。そして・・・
ツツジの木が以前より
増えたような感じなのですが、
庚申塔やもうひとつの石塔が
見つかりません。
どこに消えたのでしょう?
ツツジの中に埋もれていないかと
見てみましたがどうも分かりません。
ひらめきました!もしかすると、
墓苑のなかに移転されたとか?
いつか、確かめてみます。
上記の存在不明の石塔が1基だけ、潅木の中に見つかりました。以下のリンク、泉光寺コンテンツで紹介しています。
→ 泉光寺「消えた庚申塔」
→ しかし、2015年春の再調査で、見つかったハズの1基も見失ってしまいました。もちろん、もう1基も。
昨冬はいろいろあったりして確認を忘れていましたが、今冬、樹木が枯れる頃にもういちど探してみます。(また忘れるかも)
→ 2016年5月、ついに2基の庚申塔を発見!「泉光寺」庚申塔ついに発見! 参照
鎌倉街道地図 上ののリンクボタンの位置辺りから左折して北に向かう道があります。この先に奥山集会所があります。
この道は、鎌倉街道からは逸れるのですが、集会所にはよく石仏などが集められることがあるので訪ねてみました。
しばらく北上して突き当たったT字路を右折したすぐのところ、右手に集会所を発見しました。
建物の周囲をひととおり見てみましたが何もありません。収穫は、建物の左のびわの木。でも、実はちょっと小ぶりです。
昔はよく食べましたがいまは高価。種が大きいので果肉は少ないです。最近の子供たちは食べないだろうなあ。
収穫はナシかあ、と帰ろうとして振り返って、道路の向こう側の崖を見ると・・・!!!
やあ、これは単なる墓碑ではないですね。
遠目からでも石仏と分かります。
来てみるものですねえ。新発見です。
いやあ、でも、またしても、
雑草の中を踏み込んで行くことに。
ちょっと勾配もあるし、なかなか
ラクはさせてくれませんね。
ヘビなどいないかと・・・怖がりでしてね。
左は、一見して分かる青面金剛の刻像塔。
足下に邪鬼を踏み、三猿も彫られている典型的な庚申塔です。
しかも上部には、庚申塔には比較的珍しく造立年も。
中央に、「元文五庚申」、
左右に、「十月」と「吉日」。
すなわち元文5年(1740)10月の造立です。
元文5年は、60年に1度の庚申の年。
青面金剛は、6臂で、宝剣と宝珠、弓と矢、そして中央で合掌、
頭部には、蛇が彫られているようです。
塔の上部には「日月雲」。さらに、邪鬼の左右上には、「二鶏」の浮彫も見えます。
中央右には「押戸」の文字も見えます。
ここは奥山村ではなかったのでしょうか。それとも、
押戸の講中がここ奥山村に造立した、ということ?
本体: 高93cm、幅36cm、厚22cm。
庚申塔の右には、これも典型的な如意輪観音、半跏思惟像の刻像塔。
典型的としましたが、しかし、次に記すように十六夜塔ですので、
本来の主尊は、阿弥陀如来か大日如来もしくは聖観音です。
利根町独特の「なんでも如意輪観音を刻像する」傾向がここにも表れています。
右には、「奉供養十六夜講」(講は左のような異体字使用)、
左に、「宝暦六子年十一月吉日 同行七人」。
これは、宝暦6年(1756)11月の造立。
同行7人とありますが、残念なのは、
「奥山村」といった地名が記されていないことです。
しかし、現在でもこの辺りの夜はおそらく真っ暗と思われるのに、
18世紀中ごろの十六夜講や庚申講の催しは、
漆黒の闇に包まれた中でのささやかな灯のようなものだったでしょう。
本体: 高66cm、幅30cm、厚22cm。
(15/06/10・13/06/26 追記・15/05/31・13/06/25 撮影)
(18/01/04・16/05/14・15/06/10・13/06/26・12/07/26・11/01/26・10/12/20・05/04/13 追記) (05/04/05) (撮影 15/05/31・13/06/25・10/12/17・05/04/08・05/02/27・05/02/26・04/08/12)
本コンテンツの石造物データ → 鎌倉街道4石造物一覧.xlxs (11KB)