消えた沼、現れた観音様

20数年前、利根町に引越してきた当初、ヘラブナ釣りをよくしました。
そのとき、ある釣り雑誌に紹介されていた地元の釣り場が「無量寺の沼」。
当時の地図では、それはどうも「セイコーロッド試釣池」と記されているところが該当するようでした。
セイコーとは釣具メーカーだったと思います。
さっそく行って見ると、野外の釣堀みたいなところでけっこう釣り人でにぎわっていました。
無量寺というお寺の建物等がどこにあるのかなどとはそのとき気にもしませんでした。
沼の中央を横切って桟橋が架かっていて、桟橋の端には垂木が設えてあり竿受金具などが設置できとても釣り易く、また、管理されている釣り場なのに野外の雰囲気が楽しめるのですっかり気に入りました。
さほど美しくはなくとも簡易トイレなどもそばにあり女性も釣りが楽しめるのです。(釣り人に女性が少ないのはトイレの関係がかなりの比重を占めているとタヌポンは思います)
ヘラブナの形は20センチ前後とあまり大きくはないのですがそこそこ枚数があがり、日曜などは朝から夕方までのんびりと過ごすことができました。
ちなみにヘラブナはその名の通りヘラ・・・平たい魚のせいか釣果は1枚、2枚と数えます。
また、ヘラブナ釣りコンテストでは枚数ではなくトータルの重さ、kgで判断します。
その釣り場には、いちど夕方、タヌポンの奥さんと娘が見物がてらクルマで迎えにきてくれたこともあります。

ところが何年か経って気に入りのカーボンロッドの竿の穂先を壊して以来、釣りから少し遠ざかってしまいました。
同時に、ちょうどその頃、ドラクエ2が発売された頃で、タヌポンは初めてRPGゲームを知り、すっかりはまってしまったのです。
もっぱら休日がゲーム三昧となって、釣りはそれ以来、いまも再開されていません。
そうこうしている間に、どうも無量寺の沼がなくなっていることに、人から聞いたのか何かの機会に知らされました。
なぜ?いい釣り場だったのに。
セイコー社の経費が削減されて維持管理できなくなったのでしょうか。
無量寺だから無料というわけでもなかったのでしょうが多少なら料金は払ってもいいなどとも考えていました。
でも、もともとこの釣具のセイコー社が本当になにかこの沼に関連しているのか、だれが管理者なのかもよく分かりません。
ちょうどその頃、無量寺沼の近くに浄水センターがあり、そこが設備を整備したらしいとか別の公園ができているから(沼がなくなった)とか曖昧な話を聞きましたが、
いい竿を買って釣り再開というほどまでの意欲はでてこないので、沼がなくなったという噂の真偽も確かめもせず、そのまま、またしばらくほうっておいていました。
最近、ゲームに少し飽きがきて、久し振りに釣りを再開してみようかと思い、
昨年(2004)夏、このサイト開設時にバイクに乗って近くを探索しながら沼を探してみましたがやはり見つかりません。
どこだったか記憶が不確かなのですが、どうもほんとうに沼がなくなっているようです。
もう無量寺沼での釣りはできない、ということなのでしょうか。
一度しか行っていないタヌポンの奥さんもよく分からないと言っています。
そこで、よく行く「ますだや」というそばやさんの若主人に聞いてみると・・・。
(※この店のラーメンは昔風中華そばでたいへんおいしいです。そば、うどんも単品で頼むととてもおいしいごはんが付いてきてオトクです)
数年前にあの沼から「観音様」が出てきて、それで、池を埋めて観音様を祀ったそうですよ。
(彼は沼とも池とも言いました)
ヘェーーー?観音様?
で、それではということで道を聞いたりして再度、訪ねてみました。
そしてようやく見つけました。
すっかり変わっていました。あの沼はもう跡形もありません。
そのかわり無量寺というきれいな石碑が建っています。そして、大きな観音様が・・・。
敷地に・・・境界標がうってあるのは墓地の販売をしているのでしょう。売約済みと書いてある立札もあります。



タヌポンはじぶんの墓にはなんのこだわりもないのですが
沼がまだそばにあったならこんなのんびりした墓地ならいいな、
などと一瞬思いました。
さて、分からないことばかりです。
(05/03/13加筆)(05/03/09)(撮影05/02/13)
3月に上記のコンテンツを作って半年ほど経ちました。
分からないことは依然として多いのですが、無量寺の寺がそもそもどうしてないのかとか住職はどうなのかということは、無量寺に関連する町史の記述で分かりました。
また、ガランとして何もなさそうな墓地ですが、1.2か所、紹介できるポイントも見つけました。
沼の埋め立てに関するいきさつは相変わらず分からないのですが・・・。
建立と焼失
無量寺は利根町の中谷というところにあります。
これは江戸時代に円明寺のある立木の人たちが切り開いた土地だと言われています。
ということで、中谷の住民はほとんどが円明寺の檀家の人たちでした。
そんななかで、寛文3年(1663)に新利根川が掘り割られました。
中谷の人は大きな川をひとつ越えなければ円明寺に行くことができなくなりました。
当時の新利根川がどの程度の川幅があったのか分かりませんが、
橋を架けることはたいへんなことだったのだと思います。
(余談ですが、もう何年もひどい渋滞が続いている利根町布川と我孫子市布佐を結ぶ栄橋に関して、近隣の第2栄橋の建設をだれしもが願っているのですが一向に架橋の話に進んでいません→ 06/04/18 いつのまにか第2栄橋こと若草大橋が開通していました)
そこで、寛文6年(1666)に円明寺内の無量院を中谷に移して建ててお寺としました。
それが無量寺なのです。(ああ、やっとひとつ氷解)
分寺しましたが、葬式などはあくまでも本寺の円明寺で執り行うということが決まっていたそうです。
このとき無量寺を開基したのは良真了伝和尚といいます。
ところが、これが、戦後、昭和52年(1977)に出火し全焼してしまいました。
そしてついに廃寺となってしまったのです。当然、住職は現在おられないわけです。
以上のことが利根町史に記されています。
では、沼は?
これも町史に中谷の飯塚一郎さん、同民子さんの次のような面白い話が掲載されています。
水の中に赤い鳥居が見える?無量寺沼
無量寺のそばに無量寺沼があります。切れ所沼ですがいつできたかははっきりしません。
沼の真ん中まで泳いでいって水にもぐると赤い鳥居が見えるそうです。
なお、沼の北側にある数軒の家をキレドの家と呼んでいます。またこのあたり近辺の地名は、利根町中谷切戸と呼ばれています。
タヌポンが釣っていたあの沼のなかに赤い鳥居が見える?
うわーーーっ、なんか恐い感じですね。
ちなみに「切れ所沼」とは川の堤防等が洪水で決壊し、水が窪地を作りたまってできた沼をいいます。
無量寺沼は新利根川の切れ所沼なのでしょうか、それとも利根川本流のそれなのか。
あるいは、昔、この地を流れていたという鬼怒川が決壊してできた沼なのでしょうか。

現在の「沼」が消失した無量寺の敷地は鉄柵で囲まれていますが、その柵に沿ってガマのような水草が群生しているのを見つけました。
もう沼がないのに枯れないで残っているのでしょうか。
↓
失礼いたしました。
ガマではなくアヤメでした。
(どうも、植物は勉強・精進が足りませんね・・・06/05/05撮影・追記)


ここにも四郡大師の堂が建っていました。
でも番号札は付いていません。
(クリックすると、またしても3体のお坊さんの像が・・・)

いつか特集としてまとめるつもりですが、なんとこの無量寺に六阿弥陀詣での石塔が建てられていました。
南無阿弥陀仏の六文字にちなんで、阿弥陀如来を安置する六か寺を巡拝しようとするのが「六阿弥陀詣」です。
無量寺のそれは、後から作られた柵のすぐ内側で外に向かって建っています。
これではそばの樹木などの陰でよく見えません。
敷地の境界のこともあるのでしょうが、柵づくりももう少し配慮があってもいいのではないかというのが実感です。
史跡を残すのであればきちんと見えるようにしてもらいたいものです。
草木をいったん掻き分けようやく写真に撮りましたが、石塔の下部の文字がどうしても読めません。
町史と照らし合わせると・・・。
六阿弥陀木餘如来
と書かれているようです。(画像クリックすると木余の部分がUPになります)
「木余(きあまり)」とは、仏像を彫った木の残りの先端部分をいいます。
→ 「総州六阿弥陀詣」をUPしました(05/11/05)。
(05/09/11追記)(06/09/02・05/09/10撮影)

ちょうど1年前(2006年7月)このご近所に住んでおられるハンドルネーム「琉」さんというかたよりぽんぽこBBSにコメントをいただき、集会所の存在や無量寺のいきさつなど、いろいろ教えていただきました。
新しい事実もわかって早く掲載したいと思い、その後、再訪問して、集会所などもいったん撮ったりしたのですが、少し調べ物をしてからと思っていたことやちょうど、カメラの買い替えなどで掲載がのびのびとなってしまいました。
今回、天気もよく、以前の無量寺の様子とはちがった雰囲気に撮れましたので、たいへん遅くなりましたが集会所など掲載することにしました。
「琉」さん、その節はありがとうございました。また掲載が遅くなり申し訳ありませんでした。この場を借りましてお礼とお詫びを申し上げます。
集会所

「琉」さんのお話しでは、この写真右手に写っている集会所の建物あたりが無量寺沼があった場所で、現在の墓地は「篠竹とか色々茂っている藪」だったかも知れないそうです。
また、このあたりから桟橋(ヘラブナ釣りをするための足場になります)が伸びていたらしいとも言われています。
集会所の敷地では、何かほかに石塔などはないかと見渡しましたが、新しく造成されたものらしく、ブランコほか遊戯施設しか見つかりませんでした。
「琉」さんのお話しの要旨。
(補足:「琉」さん自身は他県出身で、無量寺の情報源はご主人とそのお母様のようです)
ということで、いろいろなことがわかりました。「琉」さん、ありがとうございました。
・・・なんと以下の「三峯神社の寄贈が記された額は、曽祖父ちゃんが書きました」ということです。驚きましたね。

「琉」さんは、紫陽花と芙蓉がとてもきれいとおっしゃられていましたが、そのとおりで、敷地の右側に白い紫陽花を発見しました。(クリックすると花の拡大)
観音像も再撮しよう思ったのですが、ちょうど像の前あたりが2基ほど新しいお墓の造成工事中でした。
(07/06/17追記)(撮影07/06/16)

利根町中谷切戸にある三峯神社は由緒は不詳となっています。
祭礼は9月19日ということですが、現在は行われていないようです。
鳥居が木造と町史(第5巻)にありますが、鉄製のようです。最近、建てられたのでしょう。いちばん上の笠木が反ってなく真っ直ぐ(反り増しがない)で、
神額は付いていませんが額束があり、さらに笠木は島木と呼ばれるもので2重になっていませんので、神明鳥居系の「宗忠鳥居」ということが分かります。(狸の巻物・神社境内の設備・鳥居の見分け方参照)
ただし、神社の種類と鳥居のそれとはまったく関係がなく、ひとつの神社境内に何種類もの鳥居がある場合もありますのでご注意ください。三峯神社=宗忠鳥居ではありません。
本殿と祭神



本殿は木造、瓦葺です。平成15年(2003)5月寄贈が記された額(右下写真)があるのでその頃、補修されたのでしょうか。
中の石祠には、三峯山と彫られています。三峯神社の祭神は、創世神の2柱である伊邪那岐命(伊弉諾命=いざなぎのみこと)、伊邪那美命(伊弉冉命=いざなみのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)。
これは埼玉県秩父にある三峯神社の社伝によると、第12代景行天皇の御代、日本武尊の東征のときに創世2神の神徳による東国平定を祈念して秩父に設営されたことに始まるということです。
その後、景行天皇が上総国巡幸に際し、神社を囲む白岩(しらいわ)、妙法(みょうほう)、雲採(くもとり)の三山を賞して三峯の称号を贈ったと伝えられています。
本殿の写真(右上)をクリックすると下方に鈴が見えます。右下は寄贈の額。本殿内に「御眷属守護」と記されたお札があり脇にキツネのミニチュアが飾られています。
稲荷神社の象徴のキツネですが、ほかの神社でも眷属になるのですね。三峯神社は典型的な山岳登拝型の神社なのですが、ここ利根町は平地、
どちらかというと稲作など豊作祈願ということでキツネを眷属としたのかも知れません。
手水と道祖神


本殿に向って左に道祖神、右に手水があります。訪問撮影は、夏でしたがもうすぐ日没時。急ぎ足だったので、これらはよく調べていません。道祖神の写真はピンボケですしね。
(06/05/01三峯神社等追記・再構成)(05/08/13撮影)