タヌポンの利根ぽんぽ行 中谷集会所近辺

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南野原集会所の稲荷大明神


コンテンツにまだUPしていなくても利根町のめぼしいポイントはほぼ訪れていたつもりでした。
中谷地区のそれをまとめようとしてふと思ったことは、「集会所」はないのかしら?
そこで調べてみると、なんとちょっとした盲点のような箇所に集会所とほかにも稲荷神社があるらしいことが分かりました。
しかも、それは探索後半で見つけた無量寺東隣の三峯神社からさらにもう少し東に行ったところにあるようです。(下記利根町中南部マップ参照)
南野原集会所と呼ばれているようですが、どうもここは見落としていましたね。
ところが、さらにもうひとつ、北のほうに上中谷集会所というのもあることに気づきました。
集会所といっても建物だけで特に神社や史跡などない場合もありますが、果たしてどうなのでしょう。さっそく訪ねてみることにしました(06/05/05探訪)。すでに撮影済みの未掲載コンテンツがまだいくつかあるというのに・・・。

タイトル画像は2画像のjavascript処理をしていますが、IE以外では固定1画像のみの表示となりますので、以下、2画像のミニ画像を再掲します。(クリック拡大できます)

南野原の稲荷大明神 上中谷集会所の

利根町中南部地区マップ

リンクしないアイコンはコンテンツがまだできていません。ここは探索がいちばん遅くなった地区で、コンテンツができていないところが・・・ほとんどです。



南野原集会所と稲荷大明神

稲荷大明神

稲荷神社鳥居とポール

三峯神社前の路から行ったのですが、細かい脇道がいろいろあり、結構、迷いました。利根川土手のほうから訪ねると意外と早く分かるかも知れません。そう言えば、一度、この前の通りに土手沿いの道から迷いこんだ記憶があります。そのときはかなり日没近い時間だったと思いますが、さっとバイクで前を通りかかっても気がつきませんでした。振り返ってよくみないと分かりませんね。

というわけで、やっと見つけたのですが、少し奥まったところに赤い鳥居を発見!
これは、だれしも見上げますね。幟旗を立てるポールがすっくと上空に伸びています。
鳥居は鉄製朱塗りの神明系宗忠鳥居です。奥に本殿が見えますが、それまでが短いながらも参道ということになりましょうか。


なお稲荷神社本殿脇には南野原集会所の建物、その裏手にブランコなどがある小さなスペースがあります。
詳細地図上では「南野原集会所」となっていますが、利根町史では「中谷沖坪集会所」となっています。この辺りの地名が中谷沖坪というのでしょうね。

集会所建物集会所裏施設


稲荷大明神と金毘羅大権現を合祀した本殿

本殿

左が本殿ですが、ここの特徴は2つの祭神を合祀した造りになっていることです。
下の拡大画像でお分かりのように、向かって左に金毘羅大権現、右に稲荷大明神を祀っています。
この合祀本殿が造られたのが改築記念碑(後述参照)にあるように昭和19年(1944)年ということですが、それ以前は果たしてこの同じ地所に両方の神社があったのかどうか。どちらが先か後か、由緒沿革は不明ということです。流れ造りです。

祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と大物主命(おおものぬしのみこと)。
どちらがどちらの祭神であるかは明白です。すなわち、倉稲魂命(宇迦之御魂神)は稲荷大明神、大物主命は金毘羅大権現です。これは全国共通なのですね。大物主命は大国主命(おおくにぬしのみこと)の和魂※と言われています。


※和魂とは?
神の御魂(みたま)には「荒魂」(あらみたま)と「和魂」(にぎみたま)と言う2つの働きがあると言います。 荒魂は荒ぶる魂で、天変地異・戦争などを引き起こす魂であるのに対し、和魂とは平和で穏やかな魂。和魂にはさらに収穫をもたらす「幸魂」(さきみたま)と不思議な奇跡をもたらす「奇魂」(くしみたま)と言う2種類があります。


左は金毘羅大権現、右は稲荷大明神

金毘羅大権現 稲荷大明神

左、ちょっと読みにくいですが金毘羅大権現と記されています。右は乱雑になっていますが、ミニチュアのキツネが飾ってあります。


キツネの額と鈴

kitsunegaku.jpg

タヌポンが気に入ったのはこのキツネの彫刻。外からは見えませんが中の上部に掛けられていました。
本殿そのものより価値があるのでは・・・などと。

あと、手に取れるところに鈴があるのもなんかいいですね。
鈴

本殿装飾


朱塗りの本殿に紺の帯、そして金の装飾。獅子の木鼻なども意外と豪華です。

木鼻 本殿サイド

改築記念碑

改築記念碑

「稲荷大明神 金毘羅大権現 改築記念碑」と記されています。
碑の裏には、昭和19年(1944)年2月建立と。

四国第6番と水神宮

四国第6番 水神宮

入口の鳥居すぐ脇にあるのが四国第6番の石塔。阿波国安楽寺写しとあり、大正3年(1915)11月に建てられたようです。
その左、神木?の欅の大木の根元には水神宮の石祠があります。


石祠群

石祠群
石祠群

上の画像は入口の鳥居から入って左手に並んでいるもの。ポール立てのようなものを除いても6基はあります。
左の画像は同右手に後ろ向きに並んでいるもの(前から撮影)。これも6基はあります。
利根町史には、道祖神 宝暦9年(1759)ほか8基、とありますが、またしても数が合いません。

大師

大師 大師像

ここにも大師がありました。番号札はついていません。
でも、面白いと思ったのは堂の中に安置されている大師像。3体あるようなのですが、右の2体は向き合っています。鏡ではないですよね?
これは初めてですね。何か意味があるのでしょうか?(クリック拡大できます)


鳥居再び

鳥居の外は利根川へ

さて、南野原集会所、稲荷大明神を後にし、もうひとつの上中谷集会所に向かいます。

入口を振り返ると、鳥居の中、水田の向こうに利根川の土手が明るく、小さく見えました。


上中谷集会所と道祖神

上中谷集会所

集会所? 灌漑施設

上中谷集会所を見つけるのも少し手間取りました。
最初、取手東線の中谷の信号から右折南下し南野原集会所方面に向かったのですが、途中、上中谷集会所が左手の方向に当たるので簡単に行けるようなら先にと思って見ていました。
大体の見当をつけた方向を見ると、それらしき建物が見つかったのですが、そこへ通じる左折の道路は左上の写真。なんと田んぼの真ん中です。これはちがうなあと思いましたが、後で確かめるとやはりちがっていました。灌漑施設の何かのようでした(右上写真)。

ではどこなんだろう?
また信号の箇所に戻っていろいろ見てみましたが、結局、信号からほんのわずか東に行ったところに右折道路を見つけました。
30m先も進めば行止りになるような通りでしたが、突き当たり左にそれらしき建物があります。
行ってみると、やはりそこが上中谷集会所でした。左下画像クリックすると庇に隠れている看板が見えます。
この段階では、まだ何もない建物だけの集会所かなという感が強かったのですが・・・。
集会所の前を奥に進んで行くと・・・何かが見えてきました。

あれは、大師の祠です!(右下画像)
ああ、寄ってみてよかった、と思いました。
そして、そこからさらに左斜め前方、畑の向こうに、さきほど集会所とまちがえた灌漑施設の白い建物が見えました。こういう位置関係だったのですね。(右下画像はクリック拡大できます)

上中谷集会所 大師発見!

そして、たどり着いたのが以下の空間。

上中谷集会所

大師

大師 大師像

いちばん初めにあるのが、大師の祠。
こちらの大師も南野原集会所と同様に番号が不明ですが、中の大師像にまたしても興味深い点を発見。
右の像の顔というか頭部はどうなっているのでしょうか?服装も左とちがいますね。大師のお供というより民衆を表現しているのでしょうか。


庚申塔祠

庚申塔祠 庚申塔祠内部

新しく造られた少し大きめの祠が大師堂の隣に並んでいました。
中を見ると庚申塔がぐるりと円弧を描くように並んでいましたが、中心の祭壇には何か見慣れない石祠が置かれています。
石祠に書かれた文字を読みたいのですがどうも読めません。


勢至菩薩か観世音菩薩

阿弥陀三尊勢至菩薩?

いったいこれは何でしょう?(クリックして拡大できます)
どうしても知りたいのですが、いつもだれもいないのですね。
いままで利根町のこうした史跡や神社、集会所を訪ねているのですが、何かイベントがある場合以外は、タヌポンはほぼ99%、人に会ったことがありません。土日・祭日がほとんどとは言え、とくに集会所関連ではいままで一人も出会いませんでした。これも不思議と言えば不思議です。
こんなときいつもタヌポンは、「人に聞かず自分で調べなさい」という天啓があるように思うのです。


梵語・阿弥陀三尊

→ 後日、このサイトを見ていたら閃きました。
これは、大平神社2横須賀地区の大乗妙典の供養塔でも紹介した阿弥陀三尊を示す梵語の文字のようです。
下のふたつのうちのひとつ。どちらかというと左の勢至菩薩を表しているのではないでしょうか?
ちなみに右下は観世音菩薩。このふたつのどちらかであることはほぼまちがいないでしょう。(06/07/14追記)



道祖神と青面金剛王の鳥居

道祖神と青面金剛王の鳥居

鳥居の奥に見える2基の石祠は、左が青面金剛王、右が道祖神です。共用の鳥居になっていますが、青面金剛王は庚申塔でどちらかというと鳥居のないものが一般ですから、この鳥居は道祖神のためのものに近いようです。
道祖神の祭神は、久那戸神(くなどのかみ)。

簡易的な神明系の鉄製の鳥居ですが建てられたのは比較的新しいようです。1992年撮影の町史の写真では鳥居が写っていません。
庚申塔の祠が造られたときに同時に建てられたのかなと思いましたが、祠はもっと新しくつい最近のもののように思います。
もし同時だとするとこの鳥居と祠の位置関係はあまりよくない気がします。鳥居が邪魔になって祠が正面から撮影できませんしね。


さて、南野原と上中谷の2か所の集会所関連コンテンツは以上ですが、中谷地区ではほかにもいくつかポイントを見つけました。
以下は、2集会所へ訪問する前に調べていたスポットです。


民家入口にある石祠と大師

民家入口から見える大師など

ここは、取手東線に北に並行して中谷地区を走る道路の途中です。ちょうど歴史民俗資料館のある交差点から北に上って交差した地点を過ぎた辺り。
写真の砂利道は、ちょっと広いけど、恐らく行止りではないでしょうか。右に路は続いていかないのでは?
そうすると、ここは民家の敷地ということになります。
どうしましょう。手前の庚申塔などはともかく奥の大師まで足を運んで写真を撮ったりするのはまずいのではないでしょうか?
大師堂に見えるのも民家独自の氏神という場合もありますし・・・。

でも、行っちゃいました。見通しのよいところでしたから、何か質問されたら当然答えますし・・・。
すると・・・大師は25番の札がついています。民家の中にも番号つきの大師があるのでしょうか。
それともこれは公道?



石祠3基プラス1

庚申塔など 草に埋もれていた石

3基のうち右は地蔵、左はよく見かける庚申塔。真ん中は何でしょうか。
でも3基と思っていたら庚申塔の隣に何かあります。草を掻き分けてみると・・・。右の写真ですが、タダの石でしょうか?


大師25番

25番大師 大師下の石祠

これが25番の札がついた大師堂。クリックして番号を確かめてください。右手に見えるのはポストですよねえ。表に面した公道ということなんでしょうか?
大師堂の下には奇妙な石祠があります。詳しく見るのが何か憚れるので撮影して早々に退散しました。

木造の道祖神

木造の道祖神

この手作り感。いびつなバランス。木造の親しみやすさがたまらないですね。
25番大師のある民家前の路を東に少し行くと、立崎地区との境界になります。その手前右に道祖神の鳥居が見つかります。
道祖神の祭神は久那戸神(くなどのかみ)。
下の本殿石祠には、天明5年(1785)に造られたことが記されています。
中谷村下宿女講中による建立ということです。

道祖神祭神

このすぐ近くにもうひとつ道祖神の鳥居を発見しましたが、それは立崎地区に入るのでその項目で紹介します。


(06/05/06)(撮影05/08/14・06/05/05)