タヌポンの利根ぽんぽ行 利根七福神

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七福神

七福神は、不思議なことにインドと中国と日本の神様がセットになっています。クリスマスとお正月が大好きなタヌポンの棲む国らしいですね。

大黒天、弁財天、毘沙門天の三神はインド、布袋尊、福禄寿、寿老人の三仙は中国、日本の神は恵比寿天だけです。

大黒天とは、一見、いなばの白うさぎで有名な「大黒様」である大国主神(おおくにぬしのみこと)と思われ、これはインドではなく日本のまちがいだと思いませんか?

でも実は、七福神の大黒天は元は仏教の大黒天(摩訶迦羅)を指していて大国主神とはちがうのだそうです。

そうなのですが、現在では融合しているところもあるようです。ちょっと間違いやすいですね。

かわりにといってはなんですが、日本の神、恵比寿天がこの大国主神の子供で、正式には事代主神(ことしろぬしのかみ)というのだそうです。

さて、写真は円明寺の布袋尊(陰に弁財天)を代表に取り上げましたが、以下、ご利益別に七福神を見てみてください。

まずは七福神の発祥について・・・。

布袋尊 弁財天

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元祖七福神 発祥は江戸末期、文化・文政のころ・・・かと思いきや

利根町に限らず全国にある七福神。そもそもの元祖はどこなのか?
これについてわが町の利根町史第5巻に記されていました。
これはいいっ、と以下、紹介しようとしたのですが・・・。

隅田川七福神

庶民文化が深く社会に根をおろした江戸末期。
当時、江戸で風流人と呼ばれた文人墨客が向島百花園主の佐原鞠塢(さわらきくう)のもとに集まりました。
メンバーは、亀田鵬斎(かめだほうさい)、大窪詩仏(おおくぼしぶつ)、酒井抱一(さかいほういつ)、大田南畝(おおたなんば)たち。
鞠塢愛蔵の福禄寿の胸像を中心に四方山話。
そのなかで、正月のイベントとして、隅田川沿いに七福神をそろえてみてはどうかということになりました。
まず、多聞寺の毘沙門天長命寺の弁財天弘福寺の布施和尚三囲(みめぐり)寺稲荷の恵比寿および大黒天
とあげていきましたが、寿老人が見つかりません。
思案の末、白い鬚の老体の姿なら白鬚(しらひげ)神社が妥当と機知を働かせて七福神を決め、
ゆかりの寺社からその御分身を受けて宝船に乗せたということです。
これがいまから約180年前の文化・文政のころのことで、現在の隅田川七福神めぐりと呼ばれるものです。

※参考→ 東京、隅田川七福神めぐり

谷中七福神

さて、向島百花園が佐原鞠塢によって開園されたのが文化元年(1804)といわれています。
したがって上記の「事件」はそれ以降のお話となります。
しかし、それより約90年ほど前、享保年間(1720年頃)にすでに七福神めぐりがあったらしいのです。
それが「谷中七福神」です。

谷中七福神は、江戸最古の七福神といわれているようですが、それがすなわち日本最古ということでしょうか?
また、ほかの七福神には神社もコースに含まれていますが、谷中七福神の場合は寺院だけというのが特徴です。

寛永寺
(不忍池弁天堂)
護国院 天王寺 長安寺 修性院 青雲寺 東覚寺
弁才天 大黒天 毘沙門天 寿老人 布袋 恵比須 福禄寿

※参考→ 「谷中七福神めぐり」

しかし、ここで新たな疑問が・・・。

(05/03/20・05/03/22・06/01/03・10/01/19追記)

利根七福神とご利益

選んだご利益(ごりやく)の文字にマウスをあてると該当する神様の写真と解説が現れます。
そのままクリックするとその神様が設置された利根町の寺もしくは神社のコンテンツにリンクします。
それぞれの場所は「タヌポンの利根ぽんぽ行」の利根町マップで動くタヌポンをご覧ください。

徳満寺 来見寺 布川神社 早尾天神社 応順寺 円明寺 蛟もう神社
毘沙門天 弁才天 恵比須 福禄寿 寿老人 布袋 大黒天

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(05/09/11再構成)
(05/02/16) (撮影04/11/13〜05/02/13)