タヌポンの利根ぽんぽ行 加納新田1

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加納新田


利根町の最東部、加納新田。
最東部と言ってもこの1では、
そのうちの立崎の信号から中坪の集会所までのポイントを紹介します。

新田というくらいですから田んぼが多いのですが、
ここへの入口は東西に走る県道、取手東線。
かなり頻繁なクルマの往来があります。

加納新田の奥に向かう道路の左手は惣新田の田になりますので、
加納「新田」そのものは道路の右側に立ち並ぶ民家の裏側(南)になります。

クルマの騒音もあってか垣根を高くした、立派なお屋敷のような家が並んでいます。

そんな民家の間にひっそりとまるで隠れているかのような鳥居も見つかりました。

タイトル画像は2画像のjavascript処理をしていますが、IE以外では固定1画像のみの表示となりますので、以下、2画像のミニ画像を再掲します。(クリック拡大できます)

加納新田水田 ほ場整備事業記念碑

利根町最東部マップ



加納新田と「ねねこ河童」

加納新田は寛文期(1661〜1672)に美濃国岐阜町出身の加納久右衛門によって開発されました。
現在もその子孫の一族の方が住んでおられます。
この加納家に「ねねこ河童」という珍しい女河童像が保存されているそうです。
彼女は関八州の河童の総元締として多くの河童たちの上に君臨していました。
利根川流域を転々と歩き回り、女だてらに暴れ者として悪名も高かったといいます。
それでも、何か悟るところがあって、ある日きっぱりと悪事から足を洗ったといいます。
(利根町史:日本の伝説3より)

(05/09/03追記)


見当たらない稲荷神社

立崎の信号から県道取手東線を東にしばらく行ったところ。
地図上では確かにこのあたりなのですがどうしても何も見当たりません。
加納新田上坪梶ケ山という地名で、加納新田を切り開いた加納久右衛門家の氏神だったと町史に記されているのですが・・・。
樹木が繁った塚のようなところがあやしいのですが、撤去したかどこかへ遷したのかも知れませんね。
樹木の間にはとても入れそうもありません。

見当たらない稲荷神社 見当たらない稲荷神社

利根東部農村集落センター

利根東部農村集落センター

上坪を過ぎて加納新田のバス停にくると右手が開けた場所に着きます。
ここにはわりと新しい集落センターが建っています。
その真向かいには(おそらく加納新田としての)集会所が建っているのですが
センターに比べるととても小さなものです。

2度目かの訪問時にこのセンターで自治会系統のお仕事をされているs氏にいろいろ加納新田の由緒などについて教えていただきました。
その節はありがとうございました。



ほ場整備事業記念碑

ほ場整備事業記念碑

センターの正面、広場の中央におおきな記念碑が建っています。
竹内藤男茨城県知事書の「美田豊穣」というタイトルで
この地域一帯の圃場(ほじょう)整備事情を記念したものです。
(クリックして碑文参照)



大師と石塔5基

大師

小さな集会所らしき建物の左には、大師堂と5基の石塔が並んでいます。

この大師にはあちこち調べてみましたが番号がついていません。
センターのs氏に聞いても分からないということでした。
番号のないものもほかにもいっぱいあります。
番号が本来つけられているのにたまたま札がついていない場合もあるかも知れません。(クリックすると大師の拡大画像))
正確なことは、いつか徳満寺のご住職に聞いてみないと分からないでしょう。


石塔5基

これらの石塔はいずれも風化で彫られている文字が読めません。

庚申塔というより仏教関連のものではないかと思います。



稲荷大神

集落センターから県道をさらに東へ。加納新田東のバス停を越え、次のバス停に着く直前のところ。
一瞬、見逃しそうな場所にそれがありました。真っ赤な鳥居でなければ気づかずに通り過ぎていたでしょう。

稲荷大神 稲荷大神

台輪鳥居

稲荷大神

これです。
稲荷大神(いなりおおかみ)。
大神は「たいしん」とは読まないようですね。
「いなりおおかみ」だとキツネと狼みたいだと
タヌポンは不謹慎なことを想像しました。

鳥居の全容を撮りたいのですが、
これがせいいっぱいなのです。
鳥居の真正面はわずか幅が1m強ほどしかありません。
反り増しが鋭角の明神鳥居系ですが、
台輪があるので台輪鳥居という種類のようです。
鳥居の見分け方参照)
朱塗り鉄製です。

注連縄がはられ奥に本殿が見えます。


稲荷大神

鳥居の全容をお見せするには、
こうして裏から撮影したものでないと・・・。

前が狭いのが分かりますよね。
右手が入口です。



本殿

本殿

これが、本殿。
稲荷神社の祭神は、倉稲魂命(宇迦之御魂神=うかのみたまのみこと)。
これについては惣新田の稲荷神社の項目で説明しましたのでご覧ください。

さて、ここでひとつタヌポンは?を感じました。
それは・・・。

左の写真をよく見てください。
本殿の扉が半開きになっています。
が、それ以上、開かないのです。
上部のヨコの桟が邪魔をしているのです。
これは本来、こうした造りのものなのでしょうか?
これでは中の掃除もできないじゃあないですか。
どうも腑に落ちません。


稲荷大神

中の祭神、石祠です。
「稲荷大神」と彫られています。

しかし、もう少しきちんと片付けられないものでしょうか。
それともほんとうに扉が開けられなくて
動かそうにもそうできないのでは?



神木?

本殿右隣にはこんな大樹が。ご神木かどうかは分かりませんが。

神木? 神木?

ミニ手水?

ミニ手水?

本殿の足元にこんなものを見つけました。

奉納 稲荷神社とあります。

よく見ると何かに似ていると思ったら手水の形。
片手を入れるだけで精一杯の大きさです。
手水ではないですよねえ。
では、何?

・・・・・・もしかしてキツネの・・・?



中坪集会所近辺

ここの集会所も大きくはありません。進行方向に向かって左にありますが、その手前に祠といくつかの石祠がまず目に入ってきました。

大師

この大師も番号が不明です。堂(クリック拡大できます)のなかは右の写真。上品なお顔の大師像です。

大師 大師

水神宮ほか石塔2基

水神宮

左は不明、右は地蔵でしょうか。

真ん中ははっきりと「水神宮」とあります。
(画像クリックすると水神宮のみ拡大)
背面には明治27年(1894)3月、細村藤八と彫られています。



石碑等3基


さて、集会所から道路を挟んだ真向かいに民家がありますが、その庭に3基並んで石碑等が建てられています。
(以下の画像をクリックすると拡大できますが、3基の比率は変化します)

石碑等3基

左から・・・
1基目は、道祖神のようです。
2基目は、護国教会大師結願記念碑。明和12年(1775)4月15日建立。
3基目は、加納新田備閘碑

備閘とは水門等治水対策のことを指すのでしょうか。

(05/08/29)(05/03/21・05/08/26撮影)