タヌポンの利根ぽんぽ行 上柳宿・下柳宿地区

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柳宿


最初にクエスチョンです。
地名で「上下」があるのはどういう法則でつけられているのでしょうか?

例えば京都市街区を思い浮かべてください。
北から「上京区(かみぎょうく)」「中京区(なかぎょうく)」「下京区(しもぎょうく)」と並んでいます。
これを見ると、一般に北から上中下が決まるような気がします。

では、今回の上柳宿と下柳宿の位置を下のマップで見てみてください。上が北です。
どうです?逆ですね。
調べて見ると、京都の場合、御所が北にあるのでそこを上、とするようです。京都だけのルールですが、ほかにも例があるかも知れません。

それでは、一般のルールはなんでしょう?

有力な説として、川を基準にしている、というのがあります。近隣の川に対して、上流にあるなら「上」、下流にあるなら「下」。なるほど、これならなんとか妥当なような気がしますね。

ところが、です。
わが布川地区の南にあるこの上下の柳宿は、近くを流れる利根川の上流・下流とは反対に付けられているのです。
これは、謎です。

タヌポンの想像では・・・
もともと下柳だけがあり、柳宿と言っていた。あらたに「上」(この場合は前を通る「道の奥」という意味)のほうに集落ができたので「かみやなぎ」と呼び、最初からある柳宿のほうを下柳宿としたのではないか・・・。なあんて勝手な仮説を思い浮かべましたが、果たして真相はどうなのでしょう。だれに聞けば分かることでしょうか?

この両地区は布川神社大祭のときにそれぞれ山車を出して競演します。
見所としては、両集会所に大師や石祠などが集まっています。

タイトル画像は2画像のjavascript処理をしていますが、IE以外では固定1画像のみの表示となりますので、以下、2画像のミニ画像を再掲します。(クリック拡大できます)

下柳宿集会所内 上柳宿集会所前

布川地区マップ

柳宿地区は布川の南にあります。



上柳宿集会所

上柳宿集会所前

それでは、布川の柳宿の「南」のほうで、しかも利根川の「下」流にある「上柳宿」からご紹介しましょう。

ここは、集会所(左)と、四郡大師だけです。
ちょっと寂しいですが、ほかに石祠等は見当たりません。

後で分かりましたが、ここには以前に来見寺末寺の「東禅寺」があったということです。
その創立は不詳なのですが、ここは明治10年(1877)、布川小学校が南北に分かれたとき南校となり、同14年(1881)本校落成後廃校となった旨坂巻家文書に記されているようです(町史より)。
不動三尊像が安置されているとのことですが未確認です。(05/11/15追記)


四郡大師81番

四郡大師81番

クリックすると番号が見えます。

以下は、祠の中の大師像。
右の像の顔は・・・どうなってるのかしら?

大師像2体

下柳宿集会所

下柳宿集会所前

表通りから少し入り込んだところに祠などが立っているのが見えます。
上柳宿よりは何かいろいろありそうです。

ここも町史の記述で分かりましたが、集会所はもとは徳満寺末寺の「極楽寺」だったようです。いまは廃寺となっていますが、創立とか由緒は不明。
ただし、釈迦如来または阿弥陀如来(判別不能)や毘沙門天が安置されているとのこと。
集会所の中には入っていないのでそれらの像の所在は確かめていません。
(05/11/15追記)



地蔵と大師の祠が2つ、並んで建っています。

2つの大師堂

44番大師

44番大師

2つある大師のうち左のほうがこれ。
四郡大師の44番です(クリックして番号確認)。
番号のない右のほうの少し大きめのもやはり四郡大師のひとつなのでしょうか。
このあたりも四郡大師の不明なところです。


庚申塔・石祠など

大師右隣の庚申塔・石祠など 大師右隣の庚申塔・石祠など

わずか2坪くらいの敷地にズラリ並んだ石塔・石祠類。
長方形の敷地を取り囲むように、雑然と置いてあります。
敷地入口左からずーーと、眺めてみましょう。


以下のように、よく見ると、それぞれの石塔などの陰に、ほかにも名もない石祠などが隠れていたりします。
しかし、もう少し、きちんと並べられなかったものでしょうか。これではまるで捨てているみたいですね。

隠れた庚申塔・石祠など

小さな遊び場もあります。

倉庫?

何を格納するものでしょうか?
消防関連のものかな?

集会所裏、大師等の横にはこんな空間もありました。

小遊園地

(05/11/08)(撮影05/08/20)