タヌポンの利根ぽんぽ行 二宮神社

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更新経過

おそらく登って調べることはないと思っていた拝殿裏手の崖の上。
強力なナビケーターの協力を得て、探索。
それよりも、拝殿左手に元からある石塔を見逃していたとは!(16/08/03)


2014年梅雨。横須賀地区石造物再調査にともない、二宮神社境内も再確認。
従来の叙述の不備等もあわせて修正・追記。必要個所も再撮・差換え・掲載しました。(14/06/30)


ひっそりとした二宮神社ですが、当初訪れたときより少しずつ変化してきています。
ちょっと印象が変わったのは、境内の樹木が台風かなにかで倒れたりしたこともありますが、
右隣を仕切っていた垣根がなくなり、見通しがよくなったことです。

最初のコンテンツ作成時より5年以上経過し、あらたに石祠等も発見したりしましたので、
目次改訂を機に、大幅に内容を見直しました。(11/03/06)


横須賀地区にある瀟洒な神社。それが二宮神社。
古さと新しさがうまくマッチングしたようなとてもいい雰囲気です。
細い路地からさらに脇道に入ったところにひっそりと建っていました。
脇道イコール参道になるのですね。(05/04/23)


利根町北部マップ

利根町北部マップ

入口・参道と鳥居

十九夜塔・道標

十九夜講 十九夜講

神社参道入口の右脇に建てられているのは
奉納十九夜講」と記された石塔。
斜めになっていますが、全体的に、とくに
右の部分はかなり地中に埋まっています。
左右に刻まれた「文化七午四月吉日」で、
文化7年(1810)4月造立が分かりますが、
右のほうの下部にはおそらく「年」の文字が
隠れているのではないでしょうか。

「十九夜講」の下にもなにか文字が見えます。
これは、「」という文字だと思うのですが、
「奉納十九夜講東」では意味不明です。

ところが、石塔の左側面を見てください。
女人講中西」とあります。
東西となり、これは道標と思ったのですが、
東西は180度、石塔の角度は90度・・・。
ちょっと角度がおかしいような気もします。

でも、石塔の向きが東南なので、道標でいいのかも知れません。しかし地中に埋め込まれた部分の文字が見えないので、
東の下には何が記されているのか、また西の下も、少し掘り起こしてみましたが、ちょっと判読できません。
右に「ふ」、左に「江」があるようなので、「ふかわ」と「江戸」が刻まれているかもしれません。
ちなみに、東は円明寺・蛟蝄神社方面、西は、布川・戸田井・取手・江戸方面になります。

本体: 高80cm、幅32cm、厚20cm。

道標の詳細

上記道標の文字関連について、詳細が判明しました。またしても、古道探索の根本敏明さんの奮闘努力によるものです。
わたしが横着して、塔の下部を掘り下げるのを怠っていたら、氏が何回かの訪問でそれを代わりに行ってくださいました。
結果的には、途中段階での予想はほぼ的中していました。なお、塔の右側面にも北方面の指標が刻まれていました。
道標の「東・西・北」の方向を見ると、この塔は、本来は約45度程度左に傾けた位置に立っていたものと思われます。

塔正面下部・東

塔正面下部・東

塔正面下、東の文字のさらに下の部分。
当初、上の「奈」と「安」の部分まで、根本さんに
掘り下げてもらいましたが、これでは意味が通じません。
おそらく「奈」の下に「りた」、「安」の下に「ば」、
つまり、成田と阿波の地名が隠されていると予想しました。

結果はまさに「奈りた」=成田、
安者」=「あは」=「あば」=「阿波」でした。
なお、「阿波」は、「あんば」と現地では現在でも呼称され、
この前の道路は、「あんば街道」と呼ばれていたそうです。
茨城県稲敷市に「あんばさま」といわれる大杉神社があります。
この二宮神社が「二宮大杉大明神」とあるのは、
「あんばさま」大杉神社と関係があるのではないでしょうか。

塔左側面下部・西

塔左側面下部・西

左は、塔の左側面下、西方向の指標。
ふか王」=「ふかわ」=「布川」、
江戸」。
これは当初より読み込むことができていた部分です。
王の字は変体仮名で「わ」と読みます。

塔右側面下部・北

塔右側面下部・北

塔右側面の下部は、北方角の地名が記されています。
「小」に点がついたような字は「北」の崩し字です。
おく山
龍ヶア
おく山は奥山で、泉光寺 付近より北の地区です。

☆ 根本さんは、古道探索を専門として、その一環で、古東海道を調査研究されています。
この二宮神社前の道標にどうしても稲敷市の「あんば」の文字が記されていてしかるべき、と期待されていました。
その思いが、タヌポンが本来汗を流して掘り下げなければならない作業を代わりにしていただく原動力になったようです。

(17/01/25 追記)

参道

以下左は現在(2011)、右は2005年時。季節もちがいますが、雰囲気は変わりました。
右の垣根が取り払われて見通しがよくなりました。その反面、参道らしさが少しなくなったかも知れません。

神社参道2011 神社参道2005

鳥居

鳥居

石造の明神鳥居。神額はありません。

柱の裏には、「安政六未正月吉日
即ち、安政6年(1859)正月の造立。

政の異体字

政の文字がこのように書かれたものを初めて見みました。
こういう異体字をあえて使うのは、
石工さんの好み?

鳥居柱の裏

注連縄と祝樽

鳥居にはとても立派な注連縄が取り付けられています。ここの注連縄は竹を通したもので珍しいタイプのものだそうです。
でも、竹を通したものはほかにも見たような・・・。それよりも、鳥居の神額にあたる部分がユニークな形だと思います。
これは「祝樽」と呼ばれるものであることを最近知りました。(→ 羽中の稲荷大明神注連縄・祝樽 参照)

注連縄 祝樽

拝殿と本殿

拝殿

拝殿

二宮神社は二宮大杉大明神といい、
彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)
泥土煮命(うひぢにのみこと)が祭神。
彦火々出見命(日子穂穂出見命)は
通称山幸彦。配祀は猿田彦命。
神代の物語・山幸、海幸神話 参照)。
泥土煮命は宇比地邇神とも書き、
神代七代の3番目に当たる神様です。
創世の神々 参照)。

拝殿内部

由緒と沿革

拝殿前左に後述する四群大師の祠と並んで、由緒・沿革が記された看板があります。昭和55年(1980)11月建立。
それによると、二宮神社は、天正時代(1573〜)より上総郡横須賀村の鎮守様でした(『茨城県神社誌』による)。
天保11年(1840)棟梁中村新右衛門の手により再建されたとあります。これについてちょっと面白い話が・・・。
棟梁の中村新右衛門は、大平の辺田(へた)に住んでいる上手(じょうず)な大工」として有名でした。
(『広報とね』第244号「利根町の歴史散歩10」より)

祭礼が旧暦の9月29日に開催されるということですが、そのとき「二宮大杉大明神」の幟(のぼり)がたちます。
鳥居の脇にあるポールがそれですね。

由緒看板 由緒看板拡大

神額と鈴

神額と鈴

拝殿の上部に神額と鈴を見つけました。
神額には、二宮大明神と大杉大明神が並列で記されています。
こういう書き方をするものなのでしょうか。

この二宮と大杉がセットになっているのが、
タヌポンにはいまひとつ理解ができません。

二宮神社を調べると一宮(いちのみや)と呼ばれる神社と比べて、
下の格付けをされるのが二宮神社と総称されるようです。
もしくは二宮尊徳を祭神とする神社も指しますが、
ここの二宮神社の祭神は二宮尊徳ではありませんね。

また、大杉神社というのは別個に存在していて、それはそれで由緒等々をもっています。
この由緒看板には、合祀のことがいっさい記されていないので、大杉神社を合祀したということではないようです。

では、二宮だけでなく、大杉という名がどうして付随してくるのか、そのあたりがなんともよく分かりません。

賽銭箱

賽銭箱

昭和58年(1983)6月に寄贈されたもののようです。

寄贈者は、
蓮沼
白戸清一
佐藤
篠崎正一
の各氏。

本殿

本殿

流造りの建物。
絵馬や4.3mと2.6mの木太刀(きだち)があるということですが、
本殿の中はふつうは見られないようです。

常夜燈と手水舎

新旧常夜燈

旧常夜燈

鳥居手前左の植樹に隠れて古い常夜燈が1基見えます。
竿石の正面には「象頭山常夜燈」とあります(下左写真)。
象頭山(ぞうずさん)は、香川県西部の山で、金毘羅さんの象徴。
航海の安全を祈願する「金毘羅常夜燈」は 河内町藤蔵地区 でも見かけました。

その笠石裏面には、「明治十五午年十月」の銘(下右写真)。
明治15年(1882)10月の造立ということが分かります。

本体(台石含): 高139cm。

旧常夜燈竿石正面 旧常夜燈竿石裏面
新常夜燈 新常夜燈裏面

新しい燈籠は、1対。裏面には、
平成十一年二月吉日」および
六右エ門弓削博」。
平成11年(1999)2月の「奉納」ですが、
六右エ門、弓削博というのは2名?それとも
六右エ門とは弓削氏代々伝わる名?

横須賀の弓削氏といえば、天才画家
「小川芋銭」に関係ある弓削氏なのかな、
とちょっと気になりますが、
「小川芋銭」については、以下で。
河童の水車碑小川芋銭研究センター
小川芋銭と利根町 参照

本体(台石含): 高214cm。

手水舎の今昔

境内右手なかほどにある手水舎。下の写真は左右で約5年の差があります。左が2006年、右が現在(2011年)。
よく見ると、手水舎右の樹木が1本消失していますね。また、背後の敷地の見通しがよくなっています。

なお、ここの手水は珍しく水道が使えます。これが後日、たいへん助かりました(後述)。

手水舎 手水舎
手水石正面

正面は「奉納」ですが、
右肩の縦書「文久二壬戌年四月吉日」で、
文久2年(1862)4月造立が分かります。

手水石本体: 高44cm、幅96cm、厚44cm。台石: 高28cm。

下は、左側面。ちょっと見づらいのですが、上部に「願主」とあり、以下の9名の名が記されています。

手水石

蓮沼傳右エ門
岩井重右エ門
吉田半左エ門
弓解新兵ヱ
岩井重之亟
北澤佐五左エ門
弓解嘉兵ヱ
岩井五良兵ヱ
篠嵜又右エ門

弓解は「弓削」でしょうか。
現代に残る横須賀地区の名家が名を連ねています。

下は右側面。水道栓があるため撮りづらいのですが、上記左側面からの続きでしょうか、3名の名が記されています。
3名は「根本利兵衛 石上四良左エ門 蓮沼庄左エ門」。左方に「當村 氏子中」とあります。

手水石 手水石

記念碑と起念碑

旧常夜燈の後に、2基の石碑が並んで建っています。

拝殿改築記念碑

拝殿改築記念碑 拝殿改築記念碑碑陰

拝殿の改築は、昭和58年(1983)6月11日、
碑造立はその4年後の「昭和六十二年十一月二十日建之」、
即ち、昭和62年(1987)11月20日。

本体: 高127cm、幅61cm、厚13cm。台石: 高33cm、幅82cm、厚42cm。

碑陰は、背後に垣根があり全容が撮れません。以下、刻名を列記します。(70名)

総代蓮沼□□□□□岩井米吉□□□野口征男□□□弓削□□
□□□佐藤□□□□□篠崎□□□□□須海多喜男□□□須海政司
□□□白戸清一□□□篠崎保夫□□□海老原房三□□□山崎博彦
□□□篠ア正一□□□弓削□□□□□飯田□□□□□弓削久男
□□□□□□□□□□□小山□□□□□伊藤□□□□□須海昌男
氏子蓮沼□□□□□川崎喜藏□□□長島康夫□□□須海正治
□□□岩井喜造□□□坂本文徳□□□岩井乃木□□□小沢□□
□□□蓮沼□□□□□木村正則□□□弓削栄一□□□野口四郎
□□□蓮沼陸夫□□□蓮沼節哉□□□石上久夫□□□小林いく
□□□五十嵐英一郎□□蓮沼□□□□□牧野俊雄□□□竹内コ之助
□□□石上隆夫□□□飯島□□□□□藤波□□□□□田口□□
□□□五十嵐邦夫□□□岩井信夫□□□蓮沼秀治□□□坂本ちよ
□□□川上近吾□□□篠崎□□□□□岩井 まさみ□□ □蓮沼盛次
□□□篠崎金夫□□□小川□□□□□蓮沼詳次□□□上野吉郎
□□□北沢幸一□□□□□一雄□□□会田瑞穂□□□岩井信好
□□□弓削暢二□□□伊藤光之□□□北沢□□□□□根本平吉
□□□木村家治□□□弓削四郎□□□針谷文夫□□□北沢□□
□□□篠崎利文□□□白戸□□□□□根本□□


伊㔟太々講起念碑

伊㔟太々講起念碑 伊㔟太々講起念碑碑陰

伊勢太々講とは、古くは室町時代、
江戸時代に一般化した伊勢参りなどへの費用の醵金(きょきん)制度と言われています。
念碑というのが珍しいですね。
一般にこうした石塔は「巡拝塔」と呼びますが、
この場合は巡拝前の、醵金を開始し、
伊勢参りにいくぞと決めたことの記念碑?

伊㔟の「㔟」の字は、異体字でしょうか。
当初、風化で「大々講の字が太に見えます」
などと記しましたが「だいだいこう」は、
「大々講」ではなく「太々講」と記すようです。
なんとも不思議な言葉ですね。
太々しい(ふてぶてしい)講?(笑)

造立は、裏に「明治三十一年二月建
明治31年(1898)2月とあります。さらに、
右下に関係者が男女連名で刻まれています。

伊㔟太々講起念碑碑陰下部

利兵エ
蓮沼傳左エ門
□□□
蓮沼□□
北沢佐五右エ門

渡辺吉左エ門
篠ア又右エ門
□□□

本体: 高85cm、幅77cm、厚10cm。
台石: 高17cm、幅61cm、厚26cm。

二宮神社の境内社

二宮神社の境内社

コンテンツ改訂前では、二宮神社の境内社は
天満宮1社だけと思っていました。

再訪問して、天満宮の写真を撮ろうと拝殿の裏手に回ろうとしたら、
目の前に3基の石祠が・・・(左写真)。

なんだ、ほかにもあるじゃないですか!
以前はなにを見ていたのだろうと反省。

このほかにも右手の崖の上にも1基見つけて、
天満宮を含めて都合5社あることが分かりました。
でも、天満宮以外はほとんど不明の石祠なんですね、これが。
でも、後日、少し判明しました。

二宮神社の天満宮

本殿の建物に付属しているかのような天満宮。右の写真では、横にほかの石祠が見えるのになぜ気付かない?

二宮神社本殿と天満宮 二宮神社の天満宮

昭和42年(1967)11月に奉納とありますが、これはこの額の奉納時でしょうか。境内社自体の造立時は?
右写真は祠の中の、もちろんこれは菅原道真公の像ですね。天満宮=天満天神宮のことで、菅原道真公=天満天神です。

奉納天満宮 菅原道真像

珍しい名前の2基

境内社2基

せっかく見つかった天満宮右隣の2基ですが、
当初、何と言う名前なのか分かりませんでした。

右の石祠は、□直神社まで読めるのですが、
上の1文字が不明確。世直神社はヤマ勘でしたが・・・。

世直神社(よなおりじんじゃ)

珍しい名前ですが「よなおりじんじゃ」と呼びます。これは現在(2013/6月)のところ利根町唯一ですね。

世直神社 世直神社台座
世直神社右側面

石祠右側面には、明治十七申年九月
つまり、明治17年(1884)9月の造立。

台座には、當村 氏子中 信心 世話人
ほかに、岩井寅之助 等の名前も見えます。


さて、左のほうの石祠は、この場所が木陰で薄暗いせいもあって、
当初はほとんど解読をあきらめていたのですが、
再チャレンジしたとき、たまたま斜め上からの太陽光のせいで、
石祠内部の文字が浮かんできました。
試してみるものですね。
これも珍しい名前の石祠ですが、前に1基、
同じ名の石祠を立崎で見つけていたのがヒントになりました。

本体: 高51cm、幅47cm、厚39cm。台石: 高15cm、幅46cm、厚36cm。

青麻大権現(あおそだいごんげん)

石祠内を覗き込んでみると、青麻大権現と読めました。「あおそ」は難しい読みですが利根町で 別に1例 見つけています。
青麻神社は、仙台市岩切青麻沢に祀られているのが中心と言われています。その創建は古く仁寿2年(852)、
当時に京より穂積保昌という人がこの地区に麻の栽培を教えたのが始まりとか・・・。

青麻大権現 青麻大権現右側面 青麻大権現左側面

右側面は、蓮沼治右エ門。左側面は、明治九丙子年十一月
施主もしくは願主が蓮沼治右エ門で、明治9年(1876)11月に造立されたものです。

本体: 高34cm、幅44cm、厚26cm。

残り2基は崖の上

境内社もう2基

上の2基のさらに右手にもう1基石祠が見えましたが、
そこに近づいてみると、なんとその上の崖の途中に
さらにもう1基石祠が見つかりました。

急な崖なので、ちょっとそこまでは登ることができません。
足元が不安定で撮影もムリのようですし・・・。
でも、注連縄がはられているので、
実際はだれかが登っているわけなんですね。
それにしても、どうしてあんなところに?
山岳信仰の三峯神社なのかなとも思いましたが、
これは確かめるのはあきらめるしかありません。
ちょっと残念ですね。(11/03/06 記)

稲荷大明神

上の2基を見つけたのは、そうです、あの2011年3月11日の直前でした。3月5日に撮影し翌日掲載しました。そして、
それから再訪問したのは地震後2年経った現在。上記2基のうち1基が判明したのは、悲しいことに地震のおかげ、でした。
1基が崖の上から転げ落ちて、泥まみれになっていたのです。ですが、そのことで以下を記すことができました。

稲荷大明神

名前が判明した2基の右隣りの土中に埋もれていました。
笠石も台座も見つかりません。

地震後ずっとこのままだったのでしょうか。
これではあまりにも・・・ということで手水舎へ。
小ぶりの石祠なのでそれほど重くはありませんでしたし、
二宮神社の手水は水道が使えるのです。

きれいに洗って、とりあえず、拝殿前に置きました。
氏子の方がしかるべきところに設置してくれるでしょう。

寛政六寅年六月吉日
寛政6年(1794)6月造立の稲荷大明神。
祭神は、おそらく倉稲魂命(う かのみたまのみこと)でしょう。

さてもう1基は、と上を見上げましたが、元の位置には見えません。どうも大樹の根元に隠れているようです。
これは、また後日、なにかロープ等持参でチャレンジしてみることにしましょう。(13/06/28 追記・13/06/27 撮影)

崖の上にチャレンジ

まさか、上記の崖の上をよじ登ることになるとは、まったく「想定外」でした。またしても「根本さん情報」のせいです(笑)。
「ちょっときついけど、なんとかなりそうですよ」の魔の誘惑に乗せられて現地に行ったのが2016年夏。結論は、以下の写真。
左は、崖の上に登った後。前方10mほど下に見えるのが神社本殿の屋根。右はその近辺にある石祠。
実はこの石祠は、前述のものよりさらに上にあるのです。下の石祠は、どうみてもなにひとつ銘文が見えないので割愛。

崖の上から二宮神社本殿を見下ろす 崖の上の石祠

上り口ですが、当初左手から見上げると、とんでもない感じでしたが、右手に廻ってみると、なんとか登れそうに見えました。
なんだこれなら、と思いましたが、根本さんはさすがにチャレンジ精神旺盛ですね。結果的にはずいぶん高いところに。

稲荷大明神2

これも実は、表面石祠の中を覗いて、ちょっとがっかりしました。銘文が見えないのでなんであるかが分かりません。
ただ、割愛した石祠とはちがって左右側面に銘文があるので、記録に残しました。そうでないと、ここまで上った甲斐が・・・。

右側面は「東光院現住 良範代」、左側面「安永八亥天 六月日」で、安永8年(1779)6月の造立。
造立年はともかく、東光院とか現住など、神社とは関連がなさそうな言葉。あきらかに神道系の石祠のハズですが・・・。
この意味はこの次にもう1基、根本さんの指摘で見落としていた石塔を紹介しますが、そこでもさらにくわしい情報が判明。
実は、二宮神社には神宮寺として東光院という寺院が存在していたのです。(東光院は徳満寺の末寺で現在は廃寺)
そして、その別当職として、良範という名の住職が安永時代にいたということになります。本体: 高56cm、幅34cm、厚29cm。

稲荷大明神2 稲荷大明神2右側面 稲荷大明神2左側面

さて、それでは、この石祠のタイトルに?付きではありますが「稲荷大明神」と暫定的に記した根拠は・・・。

それは、石祠表面の上部に彫られている「宝珠」のマークです。これは上曽根の稲荷大明神の 手水 とそっくりです。
稲荷神社に特有のシンボル「宝珠」のマークと言っていいのではないかと推定します。
そうすると、地震で転がり落ちた前記の石祠も稲荷大明神で、ちょっと重複しますが、新たに造立ということでしょうか。

▼ さて、根本さん指摘であっと驚いたのは、本殿に向かって左。なぜ、以前、右や裏ばかりでここを見なかったの?
ここをひと目覗いた瞬間に、見落とすハズもない大きさの石塔が立っていました。それが、以下。

遷宮供養塔

左から、正面、左側面、裏面。正面上部にウーンの梵字が彫られて以下「奉遷宮供羪御神躰」とあります。その下左右に、
拜殿 石坂」「各造立成就処也」。拝殿と石段の造立時、一時的に神社の御神体を遷座した、その供養塔のようです。
時期は上部左右に「安永九庚子 四月吉日」安永9年(1780)4月の造立。「別當東光院 現住良範」が「敬白」しています。
前記の稲荷の造立とわずか1年ちがいですから、現住良範はまったく同じ人でしょう。石祠造立後にこの大事業も担当。

左側面には「願主 岩井重右衛門安重」および「法印良範 氏子惣中」とここにも良範が登場。
御神躰施主」の左に「大佛師瘤R金吾友信」。これは、時代的には押戸の大仏師、杉山林哲 の師匠にあたる人?
さらに左下には「護摩料取立卋話人弓削喜兵衛」と造立のための経理担当者の名も記されています。

そして裏面には「拜殿造立 大平大工新右エ門」と「石坂 石工六軒源右エ門」。
大平の大工新右エ門は、前述 由緒と沿革 で紹介した「へたの上手な大工」のこれも先代の棟梁と推定されます。

遷宮供養塔 遷宮供養塔左側面 遷宮供養塔裏面

本体: 高76cm、幅23cm、厚18cm。

二宮神社といいながら、神道宮司よりも実権のある別当職の東光院の住職が活躍していた時代でした。
そのため、上記の塔は、仏教色の強い内容の石塔で、境内社ではありませんが、便宜上この項目で紹介しました。
(16/08/03 追記・16/07/31 撮影)

四郡大師24番

拝殿に向かって左手前、由緒書き看板とならんで、四郡大師の祠が建っています。右写真は内部の大師像。
祠の柱の右に、昭和55年(1980)12月とあります。左隣の由緒看板が同年11月建立なので、その直後の建立ですね。

四郡大師 第24番 大師像
大師像の台石

左は、大師像下の台石。文字が彫られています。

横須賀村中
願主
坂本五右エ門
弓削新兵衛
蓮沼治右エ門
篠崎又右エ門

横須賀地区の有力者ですね。
これは、横須賀集会場の大師60番 の願主とまったく同一です。

本体: 高37cm、幅29cm、厚20cm。台石: 高17cm、幅32cm、厚26cm。

新四国24番札所

祠の上部に「新四国第24番」の札があり、それとは別に、四郡大師の定位置にもうひとつ「24番」の札もあります。
2つあるのが当初、なぜなのかよく分かりませんでした。重複していますが、これらは同じものを意味しているようです。
河内、相馬、印旛、埴生(はぶ)の四郡を四国に見立てた四郡大師のイベント、それが「新四国」と呼ばれています。

24番札所 御詠歌の木札

不可解だったのは、新四国の四郡大師としての番号と、それとは異なる別の番号が付いた場所がほかにあったことです。
たとえば、二宮神社と同じ横須賀地区の集会所の 大師60番 がそうです。同じ場所に西国3番の石柱があります。
これは新四国イベント四郡大師の発足以前に、その場所に別の巡礼成就を記念した塔が建てられていたからのようです。

ところで、新四国と題した御詠歌ですが、新四国もなにも、本家本元の四国88ヵ所霊場の24番のそれと同一です。

明星の 出でぬる方に 東寺 暗き迷いは などかあらまじ

ちなみに、四国の24番札所は、室戸山最御崎寺(むろとざんほつみさきじ)で御本尊は虚空蔵菩薩。
同じ御詠歌が記された二宮神社の額は、平成5年(1993)5月の奉納。


(17/01/25・16/08/03・14/06/30・13/06/28 追記) (11/03/06 再々構成) (05/08/27・05/07/14・05/04/26 追記) (05/04/23)
(撮影 16/07/31・14/06/23・13/06/27・11/03/05・11/01/02・10/11/12・06/09/10・05/08/27・05/02/26)


本コンテンツの石造物データ → 二宮神社石造物一覧.xlsx (15KB)